『おくのほそ道』を詠む⑬
宮城野
名取川を渡て仙台に入る。
あやめふく日なり。
旅宿をもとめて四五日逗留す。
ここに画工加右衛門といふものあり。
いささか心ある者と聞きて知る人になる。
この者、年比さだからぬ名どころを考置きはべればとて、一日案内す。
宮城野の萩茂りあひて、秋の景色思ひやらるる。
玉田・よこ野・つつじが岡はあせび咲ころなり。
日影ももらぬ松の林に入りて、ここを木の下といふとぞ。
昔もかく露ふかければこそ、「みさぶらひみかさ」とはよみたれ。
薬師堂・天神の御社など拝て、その日はくれぬ。
なお、松島・塩釜の所々、画に書て送る。
かつ、紺の染緒つけたる草鞋二足餞す。
さればこそ風流のしれもの、ここにいたりてその実を顕す。
あやめ草 足に結ん 草鞋の緒
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上の句には、端午の節句、邪気払い、旅への祈り、加右衛門への思ひ、など様々な想ひが重ねられている。
かつ、草鞋の緒があやめ草に感じられる美しさ。
芭蕉の言ふ風流とは、人間の人智を超えて通ずる道理だと思ふ。
それは、とても気持ち良く、美しいものだ。
子供の頃、冬に学校の行事先でクラスメイトの男の子が、池に落ちてしまい、びしょ濡れになったので、自分のジャンパーを貸してあげたことがある。
その後で、彼が紙袋に服を入れて返してくれたが、お礼の品(お菓子)が少し入っていたと思ふ。
嬉しかった。
でも、子供だからそんなお礼を期待して、やったわけではなくて、本当に困っていたから自分が助けたいという一心だった。
人を助けることは誇りだった、とても価値のあることだった、、。
芭蕉の句は、人のこころを感じさせてくれる。
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