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2022年度中日ドラゴンズ共通テスト第1問:解答・解説・講評

A

問1 ②
 中日ドラゴンズがどちらのリーグに所属しているか、及び1994年に行われた「国民的行事」について問うたものである。

(解説・講評)
 日本プロ野球にはセントラル・リーグとパシフィック・リーグの二つから成り立っていることは常識であるが、どのチームがどちらのリーグに属しているかを正確に把握している人は日本全体で見れば限られると思われる。そのため、前段で、リーグ分けについての基本的な問題を出題した。プロ野球に関してある程度の知識を持っている人からすれば、余裕で答えられる問題であるといえる。

 後段では、巨人長嶋茂雄監督が国民的行事と称した、10.8決戦についての知識を求めた。10.8決戦とは、1994年10月8日に行われた中日ドラゴンズ対読売ジャイアンツ第26回戦をいい、日本プロ野球初めてのリーグ戦(公式戦・レギュラーシーズン)最終戦時の勝率が同率首位で並んだチーム同士の直接対決であった。中日の先発は今中慎二、巨人の先発は槙原寛己で、結局中日が3対6で敗れた。中日ファンからすれば悔しい結果に終わったので出題も躊躇われたが、日本プロ野球における名勝負であることから出題するに至った。約30年前の試合であるため、若年層のファンには馴染みの薄い試合であったとも考えられるが、知らなかったファンはこの機会に覚えてきたい。
 なお、10.19は1988年のロッテオリオンズ対近鉄バファローズの試合をいうとされる。

問2 ④
中日ドラゴンズがリーグ優勝した年の選手や監督について問うたものである。

(解説)
①1954年シーズン、中日ドラゴンズは初めてのセ・リーグ優勝を果たした。この年、杉下茂は投手五冠王に輝いて最高殊勲選手に選ばれた。したがって、この文章は正しい。

②1974年シーズン、中日ドラゴンズは20年ぶりのリーグ優勝を果たし、当時の監督は与那嶺要だった。したがって、この文章は正しい。

③1988年シーズン、中日ドラゴンズは6年ぶりのリーグ優勝を果たした。同年、ドラフト1位の立浪和義は高卒ルーキーながら規定打席に到達し、新人王に輝いた。したがって、この文章は正しい。

④2006年シーズン、中日ドラゴンズは2年ぶりのリーグ優勝を果たした。タイロン・ウッズはホームラン47本、打点144で二冠王に輝いた。しかし、MVPを獲得したのは、打率.351で首位打者を獲得した福留孝介だった。したがって、この文章は誤っている。

(講評)
ウッズの成績が十分MVPに値することからすれば、④を誤りとすることはなかなか難しかったと思われる。消去法でなんとか正解に辿り着いてほしかった。

問3①
燃えよドラゴンズについて基本的な知識を問うた。

(解説)
X
1974年に発売された「燃えよドラゴンズ!」から、2021年発売の「山本正之・THE ジタクライブ』にカップリングされた「燃えよドラゴンズ’21 熱血FOREVER」に至るまで、全ての燃えドラの作詞・作曲を山本正之が務めている。したがって、Xの文章は正しい。

Y
2021年、「ナゴヤドーム」から「バンテリンドームナゴヤ」に名称変更がなされた。そのため、燃えよドラゴンズにおける「ナゴヤドームに詰めかけた」という歌詞は「戦う中日夢強く」に変更された。したがって、Yの文章は誤っている。

(講評)
燃えよドラゴンズは7回の中日の攻撃前に流れる曲であり、中日ファンにとって最も重要な曲であると言えるため出題した。「〜詰めかけた」という歌詞は今まで変更されることがなかったので、「バンテリンドームに詰めかけた」という歌詞に変更されるとの予想や、「ナゴヤドームに詰めかけた」という歌詞が存続するという予想もなされていた。しかし、上記のように大幅な変更がなされ、この変更には中日ファンの多くが驚いた。燃えよドラゴンズの歴史において大きな転換点と言えるため、Yでこの変更について問うた。


B

問4 ③
落合博満の選手時代の所属チームについて問うた。ロッテオリオンズから中日へのトレードや中日から巨人へのFAは有名なので、③を選ぶのはかなり容易であったと思われる。ちなみに、上記トレードは1対4のトレードで、牛島和彦・上川誠二・平沼定晴・桑田茂が中日からロッテに移籍することになった。

問5 ④
「燃える男」星野仙一について正しい文章を選ぶ問題である。
a:法政大学の部分が誤りであり、明治大学に訂正すると正解である。1997年度ドラフト会議で中日に入団した川上憲伸や、2016年度ドラフト会議で入団した柳裕也も明治大学出身である。

b:多くのチームでエースナンバーは18番とされるが、中日ドラゴンズに関しては20番と考える人も多い。杉下茂や権藤博、小松辰雄など錚々たる投手が20番を背負っており、星野仙一も1971年から1982年まで20番を背負っていた。

c:星野仙一の通算成績は146勝121敗34セーブであり、意外にも通算150勝を達成していない。しかし、この数字は中日ドラゴンズの在籍通算勝利数第3位であり、名実ともに竜のエースだったといえる。

d:星野仙一は中日・阪神・楽天の3球団を率い、それぞれのチームでリーグ優勝を果たした。そして、その勝負にかける熱い姿勢から「闘将」と呼ばれた。

問6 ②
新人王を獲得した選手についての問題である。谷沢健一は1970年に、川上憲伸は1998年に、京田陽太は2017年に新人王を獲得した。確かに、今中慎二の投球のインパクトの大きさからすれば新人王に輝いたようにも思われるが、エース級の活躍を始めたのはプロ3年目からである。


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