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『鬼滅の刃』を読むと「生きていればそのうち幸せになる」なんて言葉に納得することもできるんじゃないかしらと思って筆をとった

御峠呼世晴による漫画作品、『鬼滅の刃』の最終23巻が発売されましたね。書店では大行列〜なんてところもあったんじゃないかしら。現に、ワイの目の前でも50メートルオーバーの行列ができていて、心底うんざりしながらお会計の順番を待ったりしましたもの。

んで、ワイは無事に発売当日に購入することができ、読書することができた次第だったのです。するとまぁ、ヘミングウェイの短編小説じゃありませんが「何を見ても何かを思い出す」さながらに、「何かを読めば何かを思い出す」わけです。そんなワイが最終巻を読んで思い出したのが、とある死にたがりな友人のこと。

いつだったかなぁ、一年前、「死にたい…」とSNSにメッセージが来たんですよね。それを見たワイは「死ぬな」「生きていて欲しい」としか言えない自分に気づいたんです。「あなたに死なれたら、ぼくは悲しい」と言う以外に、何も言えない。それで下のような内容を送った覚えがあります。

自殺は不自然、というのはなんだろうな、そこに自分が幸せになることへの諦めがあるからなのかなと思います。
著名な文学者にも自殺をした方がいますが、本人がどうであれ、周囲からは惜しまれます。惜しまれるというのは幸せになることを諦めてしまったことへの惜しみ。この世では絶対幸せになれないという深い確信が、とても惜しいものに感じられるのではないかなと。

                [中略]

生きていれば幸せになる可能性を選び続けることができるけど、死んでしまったらその可能性とは無関係になってしまうところに、人に死んでもらいたくない理由があるんだと思います。

いろいろ送った気がしますが、ここで特に取りあげたい箇所は以上の点ですわ。

おいおい、『鬼滅の刃』の話はどないしたんや?って思われるでしょうが、関係あるんですよ。ちゅーのも、『鬼滅の刃』、とくに最終23巻で読めるのは「人が幸せであるということ」だったりするので。

自殺しようとする人ってのはどこかしら自分の不幸に耐えられず、そして幸せになることに掛けての諦めを持っている、と言えるでしょう。うつ状態にある人が今現在の気分の落ち込みようから自分の全人生を悲観してしまった挙句、もう自分が幸せになれるであろう可能性が尽きたことを悟る。

──『鬼滅の刃』がNOを突きつけているのはその点なのです。

以上のことを踏まえまして、ワイは『鬼滅の刃』の23巻を片手に書いたのが以下の記事になりますのや。

何が書かれてるのかっちゅーと、人が幸せになれるのは、人が現に生きているこの〈縁の世界〉においてだけで、人が〈縁の世界〉で幸せになろうとする人生を物語というのだ〜ってなことです。

縁の世界〉って何ぞやってなるかもしれませんが、これは「袖振り合うも多生の縁」なんて言うくらいのもんでして、生きていることは多くのものとの縁の中を生きることなりますので、人が幸せになる上でもこの世界での縁は無視できるものではないという含みがあります。

あとは「人生を物語という」といった言い回しに関してはですね、これは『鬼滅の刃』のなかで出てくるんですわ。「人の人生は物語だから」なんつうふうに。

ようするに、ワイが書いた記事で言わんとしているのは「生きていればそのうち幸せになる」なんていう至極当然なことだったりしますのよ。それを『鬼滅の刃』の最終巻に触発される形で、改めて「な〜るほ〜どね〜」と納得した次第でして、記事にしてみましたの。

上の記事では作品解説なんていう気の利いたことはしてないっす。ただ、『鬼滅の刃』を読むことの癒しみたいなものは常々感じていたので、その感じの正体を書いてみたとしたら、「友情、努力、勝利」のテーマじゃないですが、「意志・感謝・幸福」のテーマなのかもなぁと思いまして。

ちなみに、ワイに「死にたい…」とメッセージしてきた人は2020年12月13日現在、ちゃんと生存しておりますので、ご安心あれ。

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