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息を正して、力を抜いて、ユニ・チャームのマスク

 先日パートナーと東京を含めた首都圏へ行く用事がありました。

 私の故郷、岩手県で新幹線に乗り1時間30分、あっという間に大宮駅に降り立ちます。都会の人から見れば大した事は無いのでしょうが、岩手の山奥からはるばるやって来た私からすれば、大宮駅を行き交う人は目が回るほどで、ごった返していました。

 都会を行き交う老若男女を横目に見ながら歩きます。

 私の中で、都会を歩くビジネスウェアを纏う人は皆、カタカナ言葉の難しい高尚な仕事に就いているように見えるようになったのはいつからでしょう。スラッと背が高かったり、個性的な服を着ている方はモデル或いは、何らかのインフルエンサーに見えるようになったのはいつからでしょう。

 実際はそんな事は無いハズなのに、都会という背景を行き交うだけで、キラキラとしたフィルターが掛かって見えるのです。みんなヒエラルキーの上部を生きているように見えます。これが“田舎者コンプレックス”なのでしょう。私と同郷の若者が東京に憧れを抱いて上京していくのも頷けます。それが幻想だったとしてもです。

 いずれにせよ“今行き交う雑踏の中で最も身分が低いのは私”と言われているような気分で、大宮駅の往来の中をパートナーと共に歩みます。


 私は以前に“うつ病”と診断された過去があるのですが、その時から“広場恐怖症”というパニック障害の一種が症状として出るようになり、人ごみがすっかり苦手になってしまいました。
 広い場所で人が多く行き交う場所にいると、目まいがして、頭痛がして、視界がチカチカして歯を食いしばり、吐き気がしてきます。当初は近所のスーパーでの買い物すらままならない程だったのですが、ここ数年でショッピングモールでウィンドウショッピングを楽しめる程度には改善しましたが、こういった大きな駅やお祭りのような場所では未だに症状が出ます。

 “田舎者コンプレックス”を発症しながら、大宮駅を歩いている内に目の前が次第にチカチカしてきます。良く無い兆候です。

 隣を歩くパートナーは元々都会の人です。慣れた足取りで電車の乗り継ぎをするべく次のホームへ私を導きます。私は人ごみに半ば押し流されるようにしながら電車に乗り、傾れ込むように席に座ります。

 対面シートの向こうの窓からは故郷の駅とは違い、永遠と同じような構造のホームが奥へと続き、右方向から左方向から次々と電車が止まってまた休む間も無く発車してを繰り返しています。合わせ鏡のような風景と、次から次へと行き交う電車と人、人、人です。目が回ります。私は頭が痛くなってきました。隣の席にも見知らぬ学生がドッカリと勢い良く座って来て、目の前にも吊り革に掴まる人が押し出されるように立ち並び、気がつくと電車内はすし詰め状態となり、間も無く発車し始めました。

 隣に座るパートナーは、慣れた手つきでスマホとイヤホンを取り出し、1人の世界へと没入して行きました。置いてけぼりの私は、すし詰めの電車で隣に座った学生の勢いに、変に体を捩らせて、それでも身動き出来ず、じっとすし詰めの電車内を耐えていました。


 数駅過ぎた所で、隣に座るパートナーが私に
『何か怒ってる?』
 と小さな声で聞いてきました。

 私はハッとしました。別に何に怒っている訳ではありません。単純に慣れない環境に“広場恐怖症”の症状が出始め、眉間にグッとシワが寄って居たのです。眉間にシワが寄ると目も疲れてきます、さらに顎にも力が入リ、歯を食いしばっていました。パートナーには、何にも怒っていないよと小声で伝えましたが、表情と言動が噛み合わないのでしょう。不安そうな表情のまま再び自分の世界へと戻ります。

 この現象はきっと私がストレスを感じた時のクセのようなものです。顔に入った力を抜こうとしても、間も無く勝手に目の周りに力が入って、歯を食いしばってしまいます。噛み締めた奥歯がガリギリと私にしか聞こえない不快音を発します。

 そんな中、私はある事を思い出しました。先日私は川上未映子さん著の“深く、しっかり息をして”というエッセイ本を読んだのですが、その中で“息”に着目した話があったのです。内容をザックリと書けば、感情が不安定な時は息が浅いという話です。その内容を思い返して、私は呼吸に意識を集中させると、確かに息が浅く体全体に酸素を取り込んでいるという感覚には乏しいものでした。

 私は目を閉じて静かに深呼吸をしました。

 次第に顔や体に入っていた力が抜けてきます。ゆっくりと目を開けると世界がさっきよりも明るく見え、人と人の間から僅かに見える車窓からは、コンクリートとガラスで構築されたようなグレー色の世界が流れていきます。

 私は周囲を見回します。目の前には吊り革を掴んだビジネスウェアを着た女性がユニ・チャームのマスクをしてスマホの画面を眺めています。私はこの女性が身につけている、ユニ・チャームのマスクがメガネが曇りにくく息苦しさも少なくてお気に入りです。

 この女性が実は、私なんかが足元にも及ばない程に凄い仕事や立場の人間だったとしても、都会の人もユニ・チャームのマスクをするのです。至極当然の事尚且つ、変な部分で私は共感に似た感情を見出し安心感を覚えました。そうして、次第に都市を行き交う人に対する私の中で勝手に感じていた距離感がグッと近くなってくる感覚を覚えたのです。

 電車を降りる頃には、私は人と人の間に僅かに見える都市ならではの車窓風景を楽しんでいました。


 “田舎者コンプレックス”と私は最初に書きました。東京をはじめとした都会はいつもキラキラ輝いて見え、それに対して私のような田舎者は勝手に劣等感や独りよがりな憧れを抱いています。

 別にこの話は何も“都会”“田舎”に限った話ではありません。

 仕事や学業などでも色々な壁や障害にぶつかる事があります。そういった場面に対して苦手意識を持ち続けると、実際よりも強大な壁に見えてくるものです。嫌だ苦手だと思っている内に、メンタルや体調にも影響を及ぼして来ます。

 息を正して力を抜いて、周りを見渡しましょう。
 不要に力んでいる部分が綻んで、周囲が明るく見えてきます。明るくなると細部が見えてきます。細部が見えると、それまで強大に思えた壁や障害が、案外脆かったり、低かったり、或いは肩を組んで共に歩けるような共通部分を見出せるかも知れません。

 私がユニ・チャームのマスクに救われたように、です。

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