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「バイブスを伝えたい」——IT企業に飛び込んだプロDJ

サラリーマンとプロDJの二足のわらじ

あるWeb動画CMで、女優とお笑い芸人がお互いの政策や主張についてラップバトルを繰り広げている。2020年から21年にかけて公開されたもので、ネットユーザーの間でも話題となった。

「あのバトルビート、僕が作ったんです」

涼しい顔でこう語るのは、ドヴァのマーケティングセクションで働くSさんだ。大学生のころからDJ活動を始め、プロとしていくつもの楽曲を世に送り出している。また、日比谷公園大音楽堂(日比谷野音)や、クラブイベント「ageHa」の開催地として知られる新木場の「STUDIO COAST」などでのプレイ経験もある。

現在も二足のわらじをはく。日中はみなとみらいのオフィスに勤務し、夜は渋谷などにあるクラブへと足を運ぶ。週末には夜通しでターンテーブルを回すことも多々ある。

かつては音楽の道一本で生きていくことを夢見たが、世の中は思う通りにはいかない。サラリーマン稼業を続ける中で、ドヴァにたどり着いた。それまでIT業界は未経験だったが、「自分のバイブスを伝えれば、きっと道は拓く」と飛び込んだ。

一見すると、数々のフロアを湧かせてきた凄腕DJとは思えない、寡黙な雰囲気を持つSさん。その足取りを辿ってみよう。

他人が自分のベッドで寝ている日常

漁港の町で知られる静岡県沼津市。背後には雄大な富士山を望むことができるこの町で、1989年12月、Sさんは生まれた。

中学、高校はバスケットボール部に所属。米国のプロバスケットボールリーグ「NBA」が好きで、当時からよくテレビで試合などを観ていた。憧れは、ボストン・セルティックスで活躍したポール・ピアース選手や、フィラデルフィア・76ersで新人王やシーズンMVPに輝いたアレン・アイバーソン選手。

「バスケ選手というよりは、ちょっと悪そうな黒人選手が好きでした」とSさんは笑顔で話す。それが入り口となって、黒人カルチャーであるヒップホップ音楽に傾倒していく。

高校卒業後、「とりあえず田舎から抜け出したい」と東京の大学へ進学。上京して間もなくDJの活動を始めた。元々は地元の幼馴染がDJをしていて、自宅などに遊びに行ってはテクニックを教えてもらううちに、Sさん自身もプレイしてみたいと思うようになった。

「大学時代はDJばかりやっていて、渋谷や沼津のクラブを行ったり来たりしていましたね」

大学は卒業したものの、一般企業に就職するのではなく、音楽の道で食べていきたいと、入り浸っていたDJ機材専門店でそのままアルバイトとして働くことに。

時を同じくして、志を共にした仲間たちと原宿でルームシェアを始めた。まるで海外のような暮らしぶりだったとSさんは回想する。

「皆、音楽漬けの生活をしていて、その家には毎日いろいろな人が出入りしていました。家に帰ってきたら知らない人が自分のベッドで寝ていることも当たり前(笑)。音楽活動で稼いだギャラで、その日を生きるみたいな感じでした」

主な収入源はクラブイベントでの売り上げだったが、集客のためにイベントの告知チラシやフライヤーなどを制作する必要があった。外注するほどの余裕はなく、自分たちで作るより方法はなかった。そこでSさんがとった行動は思い切りが良い。

「イラレ(Adobe Illustrator)とか触りたいなと、印刷会社に入りました」

そこでDTP制作などの仕事に就き、デザインのスキルを身に付ける機会を得たのだ。一応、会社員として働いていたが、あくまでも音楽活動がメイン。「音楽で生きるための仕事でしたね」とSさん。給料の大半はDJ機材購入などに注ぎ込んだ。

リセットするために、沼津にUターン

精力的に駆け回っていたSさんだったが、20代も後半に差し掛かってくると、さすがに勢いだけでは物事が続かなくなる。上述したように、有り金はほぼすべてDJ活動に投じていたため、経済的に苦しくなっていた。さらには、ハードで複雑な生活環境だったこともあり、いろいろな問題も出てきた。「一度リセットしよう」と、Sさんは沼津の実家に帰ることにした。2019年のことである。

実は、沼津に戻る1年ほど前、SさんはDJとしてブレイクする千載一遇のチャンスを掴みかけたという。

「ラップバトルが流行り始めた時期に、短期間でテレビ出演が4、5回続きました。もしかしたらこのまま音楽で食えるかも、メジャーになれるかも、と思ったんです。でも、売れる人ってもうひと頑張りあるんですよね。もうちょっとスピードと運が足りなかった……」

沼津にUターンしたSさんは、地元の印刷会社に勤める。仕事の合間を縫って、自分や音楽仲間のホームページを制作するために、「アドビ認定プロフェッショナル」などWeb制作に関する資格試験の勉強に打ち込んだ。

久々の地元は良いリフレッシュになった。この間に結婚もした。沼津の隣、三島市にマンションを借り、新婚生活をスタートさせていた。

ただ、Sさんの中で何か物足りない、鬱屈としたものがあった。

「地元は自分をリセットできる良い環境でしたが、そろそろこっち(東京)に戻りたいなと思ったんですよ」

自分のバイブスを伝えたい

2021年が明けると、すぐに転職サイトで求人を探した。Sさんの妻が横浜出身だったこともあり、勤務地は横浜にしようと決めた。また、Webの世界に多少なりとも触れていたため、IT企業で働いてみたい気持ちがあった。とはいえ、即戦力を求める転職市場において未経験であることは大きなチャレンジだった。

「スキルや経験がないのは自分が一番わかっていたので、やる気とか、そういうものを評価してほしかった。もし面接してくれたら自分のバイブス、その思いを伝えられる自信はありました。その機会さえもらえればと願っていました」

そんな中、最初に面接に応じたのがドヴァだった。

コロナ禍で、かつ遠方に住んでいることもあり、面接はオンラインで行われた。Sさんは緊張したものの、自分の思いの丈を精一杯伝えられた感触はあった。

面接官として立ち会った現在の上司である倉知さんは、こう振り返る。

「当時は結構な人数を面接していたのですが、どの人も似たような受け応えばかりでした。一方で、Sさんは意欲的で、自分の専門以外の仕事もやってみたいという話をしてくれました。また、これまでも自己投資をしてスキルを高めている点にもやる気を感じました」

しかとバイブスを受け取りましたよと、倉知さんは笑う。

21年4月、晴れてドヴァの社員となったSさん。それから1年3カ月が過ぎた今、どんな成長を遂げたのだろうか。次回は、「未経験者のロールモデルになりたい」というSさんの働きぶりをお伝えしていく。

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