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【小説】悩殺

「【速報】〇×市でまたも男性が死亡 死因は『悩殺』」

毎晩、睡眠導入剤のような感覚で回し読むネット記事に飛び込んできたのは、ここ最近僕の住む市で起こりだした、連続的な不審死事件を取り上げたものだ。
まるでフィクションのような内容が衆人環視の好奇の目に止まり、瞬く間に全国に広まった。

画面越しに映される人の死は確かに無機質だし、そうでなくても二十数年も生きていれば、預かり知らぬ誰かの死は「現象」として飲み込んでしまえるのだけれども、僕がそんな風にドライである、ということを加味しても、しかしこの一連の事件(?)は、あまりにも奇異滑稽なものである。

「悩殺」。


被害者の死亡状況や特徴は共通して、
「雨の降る深夜」「20代位の若い男性」「鼻血を出している」「幸せそうな死に顔である」こと。

馬鹿馬鹿しいことこの上ないが、これらが複合的に起こりうるのは、たいがいセクシーでグラマラスな何かに遭遇した時であろう、という端的でなんの捻りもない推測のもと、どこからともなく、いつからともなく、この死に方は「悩殺」と呼ばれ始めた。

僕の住む市の役所は、街談巷説からなるこの「悩殺」をもじり、ほぼやっつけ仕事的に、しかも「死亡事故でありながら幸せそうな被害者しかいないので社会通念及び道徳倫理上何の問題もない」というイカれた理由で、

深夜に降雨が見込まれる日、日暮れ頃に通知される警報
――「悩殺警報」とかいうものを作る始末だ。おふざけが過ぎている。

俄には信じ難いこの事件、いつもであれば質の良いアメリカンジョークを聞いた時の様にふっと笑い飛ばせるのだが、そういう訳にもいかなかった。

僕の親友が「悩殺」された。

何度記事を読み直しても、名前も、年齢も、顔も、全部があいつだった。

すっと血の気が引く感覚。憤り。しかしその荒唐無稽な死因。
それらがないまぜになったカオスを喰らった僕は、精神の異常な防衛機制とでも言うべきか、俯き笑いをして電子タバコを口に含んだ。

吸い過ぎを示すライトが点灯したことで、茫然としていた時間の長さを自覚する。

そうしたら今度はもっと不謹慎なことに、
あいつがどんなに良い思いをして死んだのか、とか、犯人はどんな人間(現象?)なんだろうとか、この町はただでさえ若い男が少ないのだから、そのうち僕にもやってくるのだろうか、とかそんな事を考えた。
まあ、今までに観てきた下卑で安いポルノが自分の想像の及びうる限界点だったし、憶測の中でもそれらはモザイクまみれだったけれど。


そのまま丸一日寝てしまっていたらしい。
時刻は22時。
脳内はピンク一色だった癖に、やはり心身はしっかりと死に直面したショックを受けているようで、カーテンを開けて窓越しに映る程度でも目元のクマが分かった。
昨夜、関連ニュースをバック・グラウンドで再生したまま寝てしまっていたせいか、スマホの充電は切れている。赤色のバッテリーアイコンが虚しく点滅する。

どうしようもなく、けれども居ても立っても心のやり場を持てない僕はひとまずシャワーを浴びた。
誰と会うでもないのに、身嗜みを整えて、16号のシルバーとバングルを着けた。
時間を気にする必要はないのに、時計を着けた。
テスト勉強前に部屋掃除をしたくなるアレだろうか。
無為に過ごした一日を無かったことにするために、自らの傍にやってきた来た死に蓋をするために、心身のリセットを図る。

夜風を浴びながらひとまずの平穏を一服で取り戻したかった。
今日がなんでもない日に変わることを祈るべく、
「出かける」というテイの良い都合で自分自身に暗示をかけようと、車でコンビニの喫煙所に向かう。

車内の充電器でスマホが元気を取り戻していたから、溜まっていた通知にもろくに目を通さず、何人かの友人に電話を掛けた。
随分と連絡が遅くなってしまったこと、
暫く返す気力が湧かないかもしれないこと。
そしてその理由が親友の死であること--勿論、それが「悩殺」によるものであることは伏せて--を告げると、向こうも流石に居たたまれなくなったのか、連絡が遅くなった件は不問にしてくれた。

時刻は23時30分。いつもなら暇つぶしにネット記事を見漁るのだけれども、いつどこであいつの事件の記事が目に留まって悲しくなるか分からなかったから、ただずっと、うつ向いたまま、目を閉じて、吸った。
無くなりかけのパッション・フルーツのフレーバーだけが自分の世界に残り、それ以外が僕のことを忘れてくれるように。これが悪い夢であるように。


しばらくそうしていると突然、つん、と僕の腕を触るなにかがあった。
その時驚いたのは、別に何も、つつかれる感触と同時に、僕の大好きなホワイト・ムスクの香水が漂ってきたからとか、立っていたのが僕と同い歳くらいの女の子で、しかも昔から知り合いだったみたいな愛想で笑みを湛えていたからとかそういう訳ではなく、
精神統一、あるいは現実逃避へと至る一服を邪魔されたからである。

タバコの相席だろうか……?それならよくあることだ。
僕は、二転三転する非日常によるアルゴリズムの乱れが、それとは全く無関係の彼女の前で表出しないよう努め、そして、彼女のやや距離感を間違えたような
危なっかしいフレンドリーさを何とも思わなかったように、そのまま問いかけた。

「ムスクの良い匂い。でも吸うなら勿体ないよ」

「ん。ありがと、でも大丈夫だよ、そういうの嫌いだから」

改めて見てみれば、清楚で可愛らしい恰好だった。彼女の肌色を際立たせる白さの程よい化粧に、レッド・ドロップのティントがそれを邪魔しない。どこのブランドの、何番のやつだったかは忘れたけれど。これも僕の好きな色だった。

彼女の上から下を観察する役得眼福ツアーによって僕は、そのどストライクなシルエットに今しがた比翼連理の情を抱き、心臓は始まりかけた想定外の逢瀬に早鐘を打ちだした。安い男だ。

けれども、それが強くなればなるほど、彼女の存在がこの時間とこの場面にとても不釣り合いなものである、という違和が大きくなっていく。
間もなく深夜。……まさか。

「この時間にここでこんなことしてるなんて、どうせ万年夏休みの大学生だろうなと思ってさ、多分ちょっかいかけても大丈夫だろうなって」

……確かに合っているけども、だとしたら、この時間にここでこんなことをしている貴女は何なのだ。

「見てよ、急に雨が振ってきちゃってさ、行く当てないから雨宿りだよ」

彼女が自分の頭の上に手をやり、傘のジェスチャーをいじらしくして見せた。彼女の方に向けていた首を元に戻して、やっと気付いた。バケツをひっくり返したような雨なのだ。
こんなに五月蝿い音にどうして気付かなかったかと言うと、彼女の顔がいつの間にか耳元のそばにあったからだった。わざとか、雨音に負けないように声を通すためのどちらかは分からないけれども。

それから彼女がちょっと動いたり、話しかけてくる度に、そのホワイト・ムスクが、僕の頭から、この状況のおかしさとか、何より今が「雨の降る深夜」であるとか、そういうことに気を配るぶんだけの脳のキャパシティを甘く奪っていった。

「今っぽい七分袖、お洒落だけどさ、体調大丈夫?見てるだけで寒いよ」

……見ず知らずの僕のような奴を、それでも慮る優しさが温かかった。
ただし、そう言いながら手を絡めてくる――握るとか繋ぐとかそんなもんじゃない――のは、やはりおかしい。

「冷えちゃうし、軒下に居てもちょっと濡れるしさ、相合傘できたらよかったのにねぇ」

……動作とは裏腹に、いやらしさのない思わせぶりが心地よかった。
ただ、僕と彼女の距離がさっきよりもずっと縮まっていた。
余計には主張しない、しかし確かにある弾力が横っ腹に当たる。「あたっている」のではなく、意図的に「あてている」。流石にもう分かった。

絶対におかしい……のだけれども、浅薄で愚鈍な僕は、あいつを殺した「悩殺」の正体を、濃艶で性的な、普遍的なエロスの権化だと思い込んでいたから、
さっきからある違和は、実は僕の単なる思い込みに過ぎなくて、一生に一度起きるか起きないかの奇跡が偶然目の前にあるだけなのだと、そして目の前のこの女の子が「悩殺」であって欲しくはないと、
起こり得る最悪の未来を、正常性バイアスの天秤にかけそんなものはない、と信じることにした。

「そんなの吸ったら身体に悪いよ、辞めて私とお揃いにしようよ」
「大学一緒なのかな?こんど隣で授業受けようよ」
「君の友達のこと知ってるよ。この前……」
「君はさー……」
「それで、……」
…………

頷くついでに無意識にポケットから取り出し、スマホに目をやった。やはり通知が溜まっていた。
一番上は市役所から。

『⚠️本日、悩殺警報が出ています』。

まあ、もう、どうでもいいか。

………
……

「あれ、何か出てるよ」

何が何だか、今この瞬間の心地よさに溺れて、向こうの声も問いかけの意味も分からなくなってきた頃、
彼女はその台詞と一緒に、僕の鼻に優しくティッシュを被せてくれた。

「すーんってして」

幸せだった。

「血ぃ出てるよ」
「え?」

それが、冷えに起因するだらしなく垂れた鼻水ではなく、黒みがかった血であることに気付くまでの話だけれど。

「雨の降る深夜」「悩殺警報」「鼻血」。
全ての合点がいった時にはもう遅かった。
それと同時に、彼女の顔が、先ほどまでの哀楽に満ちたものでなく、無機質なアルカイック・スマイルに変わったのを見た。

それが標的の心を魅了し掻き乱し悩ませる、文字通りの「悩殺」を為したあとに見せる遂行の証明であることを、本能で理解した。

僕の中の何かが吸われていく。身体が脱力し、視界がすこしずつ靄がかっていく。彼女の顔はそれから、最後まで酷く不気味で生気を感じさせなかったのだけれど、僕は不思議と幸せだった。

そして、先ほどまで味わったひと時のロマンスと、「悩殺」の正体が何であったのかという推理が走馬灯の様に交互に走った。

誰も避けられない訳だ。
「悩殺」は別に、思い描いていたあんなことやこんなことに限った話ではなかったんだ。
甘酸くあったって良かったんだ。
ありふれた優しさや心地良さで僕たちは死んでしまえるんだ。
「悩殺」の正体は「ときめき」なんだ。
彼女は「ときめき」で人を殺すんだ。

……そして僕は死んだ。自分でも分かるくらい恍惚な表情のまま。

後日のネット記事。
「〇×市の域外でも『悩殺』 防ぐ手立て無し」
「『悩殺』被害拡大 とうとう性別・年齢問わず」
「全国に拡大『悩殺』 立て続けに死亡、しかし死に顔は依然幸せ?」

そんな風にしてあの「悩殺」は、僕の町をとっくのとうに飛び出した。
ちょっと出会い。言葉。優しさ。
あなたにとって最も都合の良い姿で、それは不意に現れる。誰の元にもやってきて、逃れる術はない。
あなたの心に最近、変化はなかっただろうか。
思い当たる節があるなら、
藻掻くのは諦めて、幸せになったほうがいい。
「ときめき」が安らかに殺してくれるから。


















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