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ダブルリミテッドだと気付くのには時間がかかる

この記事を通して一番知ってほしいのはダブルリミテッドの存在。単刀直入にその説明から入ることにする。広辞苑などには載っていないため、正式な語彙では無いようだ。そのためGoogle検索でトップに表示された説明を適当にここに引用させてもらうという、ライターとして最低なことをさせてもらう。(余談だがGoogleの検索順位は人によって違うことをご存じだろうか。)

"ダブルリミテッドとは、二か国語を話したり聞いたりできるが、両言語とも年齢相応の言語レベルに達していないことを言います。" 
-はぴみかん さんブログより

別の言い方をすれば、母国語でさえも十分に利用することができず、論理的思考に支障をきたしている状態の人を指す。こうなる経緯は人によって本当に様々だが、1番私自身が目にしてきたのは英語日本語の混乱だ。日本人の赴任先としては多い方だろう。ここでの教育は思ったより複雑だ。その時、というより帰国後のアフターケアも必要なのだ。なぜかって、人間は絶対に環境に合わせるから。そして築き上げた一言語の論理的思考を崩していくこともあるから。

ここであくまでも提言しておきたいのは、もちろん5ヶ国語操ることができ、論理思考も完全な人も死ぬほどいる。何らかの影響か、自頭の差で出来なくなった人の話をする。

個人的な体験: 小学生の頃アメリカの田舎に引っ越し、現地校で周りは98%白人。中学に合わせて帰国し、帰国子女受け入れ校に入学。そこでも帰国生達と英語で生活することが多く、日本語は少し不十分なまま。思考回路は英語だった。自分はアメリカ人だと思うほどアメリカで物心がついた。

系列の高校に進学し、まだ帰国子女の界隈にいるため英語で日常生活を送る。思考回路は英語。成績をとるための日本語は出来た。論文など書く機会があまりなく自分の論理性の欠如に気付かない。

大学生になり、まわりが全員海外に行ったことのない日本人になる。正直価値観は2.3割違う。でも帰国は適応能力だけはある。すぐに慣れて思考回路も気付かぬうちに日本語になってくる。

何が困るのかって、気付いた時のショックなのかもしれない。自分が論理的思考を出来ているのかなどは、受験の集団面接や、就活のグループディスカッションだろう。ある程度流れに沿った発言はできるが、一歩先まで考え抜いたアイディアをアウトプットする際に100%伝えられていないケースがあるのではないだろうか。これにより評価はある一定のレベル止まり。アイディア自体は2ヶ国語ご混じったその人だけの思考回路で出来たもの。まず考える時の言語は普通なら日本語が当たり前かもしれないが、帰国子女の場合違うことがある。帰国して2年ほどは英語で考えたいたが、徐々に日本語になってきた、など。それをどちらかの言語でアウトプット。ビジネスには通用するかもしれないが、もし母国語一本で育ってきたらより深く考え、思ったことを100%発言できたのではないか、と思ってしまう。

最後に余談だがダブルリミテッドは日本語と第二外国語を交えて会話できる数少ない友達といるのが本当に楽、という人もいる。日本語でも一緒にいるのが楽な友達もいる。結論、帰国子女の頭の中の構造における、母国語と第二言語の割合は1:9から3:7から9:1まで一人一人違うのだ。面白くないですか?

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