おーろら

都内の私大に通っています。統計学を専攻していて、Rでソーシャルメディアの分析をしつつ、…

おーろら

都内の私大に通っています。統計学を専攻していて、Rでソーシャルメディアの分析をしつつ、メディア論や現代思想・哲学に手を出しています。

マガジン

  • ながい文章

    ながい文章

  • 好き勝手に書いたやつ

    秒速5chで筆が進んだ記事はここに収納します。

最近の記事

2010年代が終わろうとしているが俺は今年読んだよい本を書くぞ

2010年代、終わります。 ぼくは90年代後半生まれなので、この2010年代が人格形成されてから過ごしてきた人生の半分くらいを占めます。 この10年間どうだったか・何があったか…みたいなのを書こうと思ったんだけれども、個人的なことがほとんどを占めちゃうし、そんなことあんまり興味ないだろうなあということで今年読んだ本の中からおすすめを紹介します。夏から年末にかけて50冊くらい読んだのである程度信用してください。 ランキングはつけません。みんな違ってみんないいので。 ニッ

    • 萱野さん・白饅頭氏のトークイベントのために代官山蔦屋書店来たものの、キラキラ感にアウェーを感じて代官山のドトールに避難してる

      • RMeCabでmecab-ipadic-neologdを使うためにトライアンドエラーした備忘録

        忘れないうちにということで、取り急ぎメモ。 実行環境Windows10: Ver.1903 MeCab: Ver 0.996 CaboChaを使いたいので32bit版 RMeCab: 普段の用途Rのrtweetパッケージからテキストを取得 ↓ MeCabがShift-JISじゃないとうまく動かないので、Rからiconvで UTF-8からShift-JISへ文字コード変換 ↓ RMeCabのdocDFで形態素解析 ↓ 頻度表作ったり感情極性辞書を用いて分析()している

        • 『リベラリズムの終わり』感想。およびぼくらが自覚するべきことについて

          卒論が一向に進まない。 以前、青識亜論氏と石川優実氏の討論イベントがあったものの、予定が合わず参加できずにいた。討論会が終わって数日後、ご存じの通りフェミニズム・アンチフェミニズム両方が大荒れしたという結果に終わっていて、相反するイデオロギーを持つ両勢力が、建設的に議論する事は難しいと感じた。 けれども、こうしたオフラインイベントに参加して、他人の意見を聞くという機会を作ること自体は重要であると思うのだ。実際、上記のイベントにおいても、アンチ・フェミニズム界隈の参加者が、

        2010年代が終わろうとしているが俺は今年読んだよい本を書くぞ

        • 萱野さん・白饅頭氏のトークイベントのために代官山蔦屋書店来たものの、キラキラ感にアウェーを感じて代官山のドトールに避難してる

        • RMeCabでmecab-ipadic-neologdを使うためにトライアンドエラーした備忘録

        • 『リベラリズムの終わり』感想。およびぼくらが自覚するべきことについて

        マガジン

        • ながい文章
          3本
        • 好き勝手に書いたやつ
          1本

        記事

          日記#1 インサイドセールスを始めることになった

          毎回コラムのできそこないみたいなものを書くのは時間がかかるのと、時間を書けているうちに自分の伝えたいことが変化していくので、勢いである程度かける日記をつける習慣をつけます。 1.なんで長期インターンを始めることになったか生きてるうちに色んな経験がしたいからです。 ぼくの生きがいみたいなものは、「他人がやったことのないような色んな経験をして、それについて考察すること」だと思っています。だから珍獣屋でタガメやカイコガを食したり、ふらっと横浜の占い屋に突撃してきたりしました。

          日記#1 インサイドセールスを始めることになった

          床屋さん「お客さんワックスとか使ってます?」 ぼく「昨日風呂入り忘れたなんて言えねぇ…ッ!    (使ってないんですよ~~体質ですかねぇ)」

          床屋さん「お客さんワックスとか使ってます?」 ぼく「昨日風呂入り忘れたなんて言えねぇ…ッ!    (使ってないんですよ~~体質ですかねぇ)」

          久々のみなとみらいは、気持ちのいい風が吹いていた

          大学に入学してから、みなとみらいに行くことがなくなった。 高校生くらいまでは、隔月くらいのペースで行っていたと思う。 駅近のビルで映画の上映を待ちつつ本を探したり、親に連れられてジャックモール(いつの間にか無くなっていた!)で服を買ったりしていた記憶がある。 というのも、毎日のように都内の大学に通っているので、わざわざ反対方向に移動するのが億劫であったり、かつて女の子に振られた場所だったりと、何となく行くのに気が引いていたのだ。(ちなみに、その女の子とは神奈川新聞花火大会

          久々のみなとみらいは、気持ちのいい風が吹いていた

          就職活動を終えて、その間に考えていたことと、これからやりたいこと①

          継続が力なら、ぼくは無力だ(飽き性) 2カ月前、ようやく就職活動を終えた。 「ぼくは上手く人とすぐに親しくなれるような器用なやつではないので、就活は早めにしておいたほうがよいだろう」と思っていたので、大学3年の5月ごろから就活を始めていたのだが、11カ月間の活動を経てようやく満足する結果を得たのである! この11か月間が、今までの人生の中で最もしんどかったと改めて思う。 面接のたびに自分が否定されているような気持ちになり、結果のメールで一喜一憂するのが続くからだ。とはい

          就職活動を終えて、その間に考えていたことと、これからやりたいこと①

          触った電子機器をおかしくさせてしまう男の話

          新しいノートパソコンが届いた。 ずいぶん前から逆張り野郎だったこともあって、パソコンを小学校の時に作った時からAMDが好きだったので、Ryzen搭載のHPのパソコンを購入したのである。 保護フィルムと一緒に通販で頼んだら、本体は在庫があるのに保護フィルムが無いせいで、今月頭に注文したのに2月上旬までかかると言われたのだ。 そこで、店頭在庫が無いものか秋葉原のヨドバシまで行ったものの、この製品は倉庫から配送しかないのだと。そして今度はオフィス以外の付属品を買わず注文したら

          触った電子機器をおかしくさせてしまう男の話

          マイナスの感情を煮詰めることで、プラスに転じることができると僕は考えている。 自分が特別な人間ではないと分かれば、そうありたいという呪縛から解放される。 生きる意味などないと悟れば、人生を情熱に捧げられる。 だから僕の、引き裂かれるような思いと孤独は、限りなく正しいのだ。

          マイナスの感情を煮詰めることで、プラスに転じることができると僕は考えている。 自分が特別な人間ではないと分かれば、そうありたいという呪縛から解放される。 生きる意味などないと悟れば、人生を情熱に捧げられる。 だから僕の、引き裂かれるような思いと孤独は、限りなく正しいのだ。

          かつて存在した「インターネット」という別世界と、その入り口としての端末

           私が初めてコンピュータに触れたのは幼稚園の年中くらいだっただろうか。私の親の教育方針は「何かやりたいならやらせてやる、ただしやり方は自分で調べろ」というもので、コンピュータやインターネットに関しても例外ではなかった。  とはいっても、物事の調べ方を調べろというのは酷なわけで、Googleの検索フォームにどうやって文字を入力するかを教えてくれたのは覚えている。  思えばその「自由放任」な教育方針が、とても有り難いもので、そして今の私自身を大きく構成している。小学生の頃に浮

          かつて存在した「インターネット」という別世界と、その入り口としての端末

          擦り替えられた鳥(我々の認識を、Google検索を)

          ヒトは思った。 私たちはどのような生物なのか? Google検索をした。 よく知っている人形の画像が現れた。 クジラは思った。 私たちはどのような生物なのか? Google検索をした。 海面で力強く跳ねる同胞を目にした。 七面鳥は思った。 私たちはどのような生物なのか? Google検索をした。 まず調理された肉塊が現れた。

          擦り替えられた鳥(我々の認識を、Google検索を)

          この前見た夢 部活の強化練習で、上体起こしをしている。 だけれども、3,4回目から急に上体を起こせなくなった。 どれだけ力を入れても、うんともすんとも言わない。 目が覚めたら、うつぶせで寝てた。

          この前見た夢 部活の強化練習で、上体起こしをしている。 だけれども、3,4回目から急に上体を起こせなくなった。 どれだけ力を入れても、うんともすんとも言わない。 目が覚めたら、うつぶせで寝てた。

          結果が他人によって決まるということ

          私は「結果が他人によって決まること」が嫌いだ。 どれだけ努力を尽くしても、それが成功するかどうかは他人任せ。自分では変えられない。(尤も、努力の多寡は主観でしか決定されるものでなく、本当にそれが最善を尽くしたかどうかなど誰にも分かるものではないのだが) この世の中の殆どの事柄がそうしたものではないだろうか。 「あの子が自分と付き合ってくれるかどうか」 「この会社が自分を採用してくれるかどうか」 「この作品が評価されるかどうか」 思えば私は、今までの人生で(といっても、まだ

          結果が他人によって決まるということ