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久々のみなとみらいは、気持ちのいい風が吹いていた

大学に入学してから、みなとみらいに行くことがなくなった。

高校生くらいまでは、隔月くらいのペースで行っていたと思う。
駅近のビルで映画の上映を待ちつつ本を探したり、親に連れられてジャックモール(いつの間にか無くなっていた!)で服を買ったりしていた記憶がある。

というのも、毎日のように都内の大学に通っているので、わざわざ反対方向に移動するのが億劫であったり、かつて女の子に振られた場所だったりと、何となく行くのに気が引いていたのだ。(ちなみに、その女の子とは神奈川新聞花火大会に行ったのだが、その年以降は開催されていない)


ともあれ就活や部活の大会も終わって一息つき、​観たい映画もあったので、数日前にブルグ13まで歩いて行った。その日は横浜駅からみなとみらい線の上を沿うようにして歩いていたのだが、何というか、「こんなに気楽に向かえるところだったかな」と感じたのだ。

映画は非常に面白かったのだが、暫くぶりにみなとみらいに来た高揚感からか、「近いうちにまた来よう」と思い、そして昨日ぶらぶらと歩きまわってきた。

ぶらぶらしたといってもそこまで大した距離を歩いたわけではなくて、本屋を回ってスタバで卒論関係の勉強をしていたくらいなんだけれども。ただ、なんで最近感じていなかったような心地よさを得たのかを考えていた。


①大手町などと比べて、縦にも横にも空間の余裕がある

始めて丸の内・大手町エリアに来た時、周りのビルがあんまりにも高くて、またそれが所狭しと並んでいて、思わず見上げてしまった(上京若者ムーブ)

駅から目的の建物に向かうのに、土地勘がまだついていないため地上をよく歩いていたのだが、前を真っすぐ見ると、そこに空は映らないことに気付いた。また通りゆく人々のも、その建物の数に見合うほどの量で、なんだか気圧されてしまった。


それに対して横浜・みなとみらいは、当たり前ではあるのだが人の量も、建物の高さも到底及ばない。けれども、建物の高さの割には道幅は広くて、行き交う人々の歩調もそれぞれ異なっていることに、安心感みたいなものがあったのかもしれない。


②休むところが多い。ていうか東京ベンチ少なくない?


マークイズみなとみらいからランドマークタワーまで歩いてみると、一定の間隔でベンチや座れるモニュメントが設置されている。
以前の大晦日に、友人と関内のあたりを深夜徘徊した時も、ちょくちょくベンチを見かけた。


△みなとみらい駅周辺。平日であったが、昼間は子供連れの母親が多かった。広い空間があり、座れる構造物が多いため、ゆったりするのに最適だと思う。

カフェや何かしらの建物以外にも休めるところがあるのは結構便利で、ちょっと体調を崩してしまった時とか、靴紐を結びなおすときに少し楽になる。

ぶっちゃけ①と被ってはいるのだが、空間的な余裕があるのだ。立ち止まってもいいんだよと語りかけられている気持ちになる。


それに対して、東京はベンチみたいな「少し休めるところ」が少ないイメージがある。少し調べてみたらテロ対策だとか、人の数が多すぎるだとかで少ない(あるいは足りない)そうな。

東京一極集中の弊害が叫ばれていて、今までは自身とは関係なさげと考えていたが、思わぬところでそれを感じることとなった。


③根本的に、小さいころから慣れ親しんだ街か、期待と不安の中飛び出していった先かという違いなのかもしれない


よくよく思い返してみると、割と小さい頃の思い出があった。

Y150で「自立する巨大蜘蛛!」と銘打たれた蜘蛛付きクレーンに落胆したり、コスモワールドのカップ入れでよそ見をして投げたら一等賞を当てたりと、今まで忘れていただけで思いのほかエピソードがあったのだ。

家族や友人と、あるいは学校の行事なりで、何度も来たのに、つい最近来なくなっただけで過去を思い起こさなくなってしまう。


それに対して、今通っている東京は、最初は自分以外の信頼できる人がいない中、電車に乗ったのだ。第一志望の大学に落ちてしまい、自分と真反対のタイプの人間が多いであろう私立大に通う不安。規律の厳しかった高校から出て、より多くのことが出来るであろう、大学生になったことへの期待。

面接で自分の人格と経歴を他人と比較され、品定めされるんじゃないかという不安。自分の人格を買われ、新しいことにチャレンジできるのではないかという期待。

そうしたものが入り混じって、ぼくの"東京観"とでもいうべきものが形成されたのかもしれない。そうした「リスク・リターン」の象徴として見ている東京で過ごすことが、緊張の原因だったのだろうか。

だからこそ、横浜・みなとみらいが「ふるさと」として際立っていたのかもしれない。


尤も、来年からはそんな東京の中で働き、長い時間を過ごすことになるのだが、この”東京観”は変化していくのだろうか?そして、ぼくにとっての「ふるさと」は、ぼくの心の中で、どのような位置を占めることになるのだろうか。


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次にみなとみらいに行くときには、レンタル自転車の手続きを事前にしようと思う。夏がやってくるにしては、今日の風は涼しかった。


また、もうそろそろガール・フレンドを作る努力をしなければならない。
少なくとも、みなとみらいを”失恋の象徴”にしておかないために。

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