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就職活動を終えて、その間に考えていたことと、これからやりたいこと①

継続が力なら、ぼくは無力だ(飽き性)



2カ月前、ようやく就職活動を終えた。

「ぼくは上手く人とすぐに親しくなれるような器用なやつではないので、就活は早めにしておいたほうがよいだろう」と思っていたので、大学3年の5月ごろから就活を始めていたのだが、11カ月間の活動を経てようやく満足する結果を得たのである!

この11か月間が、今までの人生の中で最もしんどかったと改めて思う。
面接のたびに自分が否定されているような気持ちになり、結果のメールで一喜一憂するのが続くからだ。とはいえ、結果さえ得てしまえば後は野となれ山となれ、noteで好き勝手に書くことが出来る。


①なぜこの記事を書くに至ったのか?

久々にnoteにアクセスし、編集ページを開いたのは、こう思ったからだ。「『就活の攻略法』は腐るほど溢れているけど、
 『その過程でどういったことを感じたか、何に苦しんで、
 どう考え方が変わっていったのか』については少ないんじゃないのか?」

私は緊張感のあるシーンが得意でなく、面接はもってのほかだった。
サマーインターンに二十数社応募して、個人面接を通過できたのは二社だけだったのだから相当だと思う。

当時、面接に何度も落ち続けているのがつらくて、就活の記事やサイトを読み漁った。けれどもあるのは「どうすれば通過できるのか?」だけで、なんというか、それができない人の拠り所みたいなものを見つけられなかったのだ。

そうした一種の共感を求めている就活生に見てもらえばいいなと思い書いたのである。とうの昔に終えてしまった社会人の方々には、自分の時にはどうだったかなあと過去を振り返って読んでほしい(そして、フォローしてほしい)。

というわけで、就活のテクニックみたいなものよりも、一人の就活生だった人の考え方を書き連ねているので注意してほしい。

あと、長期インターンに応募したいから、アウトプットの習慣をつけなきゃいかんからだ。

②所詮就職活動は、それをどれだけやりなれているかでしかない

スマートに就活を終えたわけじゃないのに、よくそんなこと言えるなという話ではあるのだが!

結局僕がまともに面接を通過できるようになったのは、「自信のある様子を見せ、楽しそうに面接する」ことができるようになってからであった。

「別に落ちても○○を受ければいい」「このやり取りは前こうやって返した」そうした考えが積みあがっていくと、就活を始めた直後とは別人のように振舞えるようになった。

これだけのことで、面接の通過率は驚くほど上がった。
「相手の質問の意図を理解する」「自分の志望度を伝える」といった
コンテキストでの努力は、まず相手に与える印象という原始的なモノに到底及ばなかったのだ。

集団面接とかで周りの人の自己PRなどを聞いていると、目覚ましい結果を上げていたり、できた人柄を持っているような印象を受ける。
けれどもそうした人に限って、過度に緊張していたり、自信なさげに振舞っている。後で話を聞いてみると、やはりそれなりに就活に苦労しているようだった。

それ以降、「就活は所詮一種のゲーム」、「就活の出来と、その人がどうであるかは無関係」と思えるようになり、気が楽になった。

③企業は「ザ・リーダー」という人しか見ることができていないのではないか?

「自己PRでは、リーダーシップを発揮したことを書きましょう!」と
就活サイトなり書籍なりによく書かれている。

ぼくが「リーダーシップ」と聞いてまず浮かぶのは、中学高校の、文化祭の出し物を決めるときに真っ先に手を挙げるようなクラスメイトだ。

リーダーシップの本質とは、責任感だったり、取り組んでいる物事に対する積極性だと考えている。

けれどもぼくの周りの、あるいは選考で知り合った、結果を挙げている就活生を見ると、リーダーシップを発揮した経験のある人というよりは、どうにも「『ザ・リーダー』のような風貌の人」が多いのだ。

逆に、ぼくの含め苦戦している人は、「フォロワー」のような人が多い印象を受けている。単純な自己PRのインパクトだけでいうと、前者を上回る人もいるのに、である。

なので、企業側は多様なリーダーシップを認識することが出来ず、分かりやすい「ザ・リーダー」のような人しか見ることが出来ていないんじゃないのかという疑念がある。

学生がその会社に入社しても、暫くは「フォロワー」的な動作を要求されるだろう。無論、その領域の中で積極性を活かせ(オーナーシップを発揮しろ)という話ではあるんだろうけど。

けれども、何十名の「ザ・リーダー」みたいな人を集めたところで、同じタイプの人が大勢いる中で、彼らが今までそうしてきたような「ザ・リーダー」のような行動ができるのかということには、甚だ疑問が残る。

④ぼくたちが思っていることは、ぼくたちが思っている以上に、他人には伝わらない

あるいは、「ぼくたちがただ思っていることでは、相手にとって不十分」ということだ。

面接では「なぜ当社に興味を持っているのか」「学校生活の中でどのようなことに力を注いだのか」と質問される。

ぼくたち学生側もそれに対して、事前に練った志望動機だとか自己PRを話すんだけれども、どうにも相手はしっくりきていない様子だ。何とも相手の反応がピンとこないまま面接が終わって、一週間後に落選メールが来る。

なぜこのようなことが起こるのか?思うに、

①:話のバックグラウンドが十分に伝わっていない
②:①は解消できたが、相手の感情を動かせていない

の2点が原因ではないかと考えている。

①は、要するに論理、ロジックの話である。
例えば、志望動機で「貴社で自分の能力を試し、成長したいからです!」と
答えたとする。すると、相手は、「それがなぜ当社で?」「なぜ成長したいのか?」といった疑念が沸き上がる。

無論、そうした疑問点に対してフォローするように自己PR等を述べるのであるが、今までの自分の経験を交えて、完全に相手を納得させるには、
面接は時間が短すぎる。

②は、情理の話である。
筋道立てて内容を伝えることと、相手が納得するかどうかは別の話である。

例えるなら、仲の悪い相手と口論して、不幸にもあなたが言い返せなかったとする。

しかしその時、あなたはきっと、
「なるほど、その論理では相手の言うことは正しいな」
とは思わないだろう。
(インターネット上でよく見る口論の顛末である)

それと同じで、コンテキストの整合性と、それが相手の腑に落ちるかどうかは、また別の話なのである。



まだ書くべきことは残っているのだが、今回はここまでにする。

誰かが「絵でも文章でも、とにかく世に出していけ」と言っていたので。


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