見出し画像

質問「売れさえすれば何でもいい、という考え方をどう思いますか?」

解答「悲しいです」


売ることよりも大事なことがある。
売ることだけがすべてではない。

私が営業として働き出した頃は
まだ、そうやって信じられている部分がありました。
中には、お酒が入ると説教する人もいました。
牧歌的な時代だったのだと思います。

今は、そんなシーンほぼ見られません。
内心ではそう思っている人にも
「ただし、目標・予算を達成する限りにおいては」
というアスタリスク(*)が点いています。
売れえすれば後は何でも構わないと
信じて疑わない人もいます。

「あなたの会社の商品を1万個買ってあげましょう。
 その代わり、すべてゴミ箱行きにします」
競合から、そんな申し出を受けたら
「ありがとうございます!」と
魂ごと売ってしまう人も多いのではないでしょうか。

なぜ、売れさえすればいいという考え方は
具体的に何がどう、いけないのでしょうか?

それは、売ることにこだわると
単一的なスケールの追及につながり
結果として、商品・産業を滅ぼしかねないからです。

そもそも、“売れる”というのは結果です。
営業サイドでは“〇〇だから売れた”という場合でも
顧客サイドでは“〇〇だから買った”と言い切れないでしょう。
そこに至る心理の過程はブラックボックスです。

仮に「価格が安かった」と言う場合でも
内心「管理しやすかった」「デザインが良かった」「性能が良かった」
もしかしたら、「天気が良かった」「受付の子が可愛かった」
そんな動機も含まれているかもしれません。

“〇〇だから売れた”というのは
それらを勘案した上で取捨選択したものです。
要するに、思い込みに過ぎません。

本来であれば一つの商品についても
お客様の数だけ、営業の数だけ売れる理由があったわけです。
かつての企業は、それらを
次の商品開発や広告展開に活かしました。
そこには間違いや見当違いもありましたが
その分、企業には多様性が確保されていました。

企業の成長を進化にたとえるなら、これは健全な状態です。
生き残ることは、あくまでも結果に過ぎません。
進化論では、どんな危機に直面してもいいように
その過程で多様性が確保しておくことが重要なのです。

しかし、いつの頃からか、売れさえすればいいという考えが
多数を占めるようになり、状況は変わりました。

効率的に売るために「選択と集中」が始まります。
多くの“〇〇だから売れた”が排除されていきました。
IT技術の進歩により、リアルタイムで
状況を数値化することができるようになった結果、
その流れにますます拍車がかかりました。

今、多くの企業はマーケティングとアナリティクスを従え
「これだ、これで行けば間違いない!」とタクトを奮っていますが
それが唯一無二な正解なわけではありません。

私達が分かっている(と言っている)のは
「いつ、誰が、何を買ったか」顧客の行動結果に過ぎず
結局は、売れたものを指して、売れていると言っているだけです。
「これだ、これで行けば間違いない!」と言うのは
他の可能性を排除しているだけのことなのです。

これは進化論でいうと
今、生き残っている種別を
「生き残っているから」という理由で選び出し
それ以外にもたくさんある可能性すべてに目を瞑った上で
進化の矛先を決定している、蛮行です。

結果として、多くの産業が、進化の袋小路に陥りました。
今、まさにその過渡期にあるのが
コンビニの酒類ケースをにぎわせている酎ハイ・ハイボールです。

酎ハイ・ハイボールはビールに比べて
「安価だけど、その割に美味しい」と評判で
近年、出荷量を増やしてきました。

かつては色んな種類の商品がありましたが
今、その棚には「ストロング」「超」「男」「極」など
メーカー問わず、似たような商品が並んでいます。

共通点は2つあって
「アルコール度数が高い」「口当たりがいい」こと。
特に度数に関しては、他社が追随するようになってから高まる一方です。
今では、アルコール度数9%まできました。

本来、お酒というものは酔う前と酔った後、
その変化やプロセスを長らく楽しむものです。
しかし、コンビニに置かれた酎ハイやハイボールに
そんなお酒の“文化”としての側面は微塵にも感じられません。
そこにあるのは「いかに効率的に酔えるか」それだけです。

会社帰りのサラリーマンが
コンビニに立ち寄って酎ハイを買い
家までのわずかな間、スマホを片手に飲み歩く。
最近、そんな姿をよく見かけます。

余計なお世話かもしれませんが、
“効率的に酔おう”とする行為は、見ていて寂しいものがあります。
結果重視、採算重視、効率重視の世の流れを
まるで一心に背負っているようです。
同じ酒飲みとして、やるせない気持ちになります。

酎ハイ・ハイボールの飲料メーカーの営業は
そういう顧客をどう思っているのでしょうか。
おそらく、何も考えていないでしょう。
彼らの頭の中には、陣取り合戦のことしかありません。

今後も、酎ハイ・ハイボールの
アルコール度数は上がっていくでしょう。
「売れさえすればいい」という考えは絨毯爆撃と同じで、
一面焼け野原になるまでやむことはありません。
それ以外の指標がないため(捨て去ってしまったため)
正確に言えば、やめられないのです。方向転換できないのです。

酎ハイ・ハイボールのアルコール度数に関しては
そう遠くない日に、規制が入るはずです。
実際、街中で酩酊した男性による迷惑行為が増えており
それとアルコール度数の高まりとの相関関係が疑われ出しています。
健康被害を訴える記事も目につくようになりました。

酎ハイ・ハイボールは
・アルコール度数に限度を設ける
・コンビニでの取り扱いを厳しくする
・新しい酒税項目の対象となる
などの規制を受け、産業としてやせ細っていくでしょう。

帰りの電車の車内でも
酎ハイを一息に飲みほす老人を見かけました。
おそらく、定年退職後、年金だけでは食べていけず
バイトか何かをした帰り道なのでしょう。

かつて、戦後の日本では
飲まなきゃやってられないけれど、
お金がない、物資がない、飲むものがない…
仕方なく、工業用のメタノールを飲んで
酩酊していた人がいたそうです。

私は、今、日本に
焼け野原が広がっている気がします。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?