石弘之「砂戦争 知られざる資源争奪戦」
砂は限りある資源である。
常に河原や砂浜にあり、自然から永遠に供給される、というものではない。
セメントに混ぜる骨材として砂は使われている。世界中に都市部が増え、住宅は高層化し、コンクリート需要は留まることを知らない。無限にあるかに見える砂漠の砂は、細かすぎて使えない。
砂を巡って殺し合いが起きている。かつては無造作に砂を大量輸出していた国も、ことの重大さに気が付き、次々輸出禁止措置を始めた。
ギャレット・ハーディンという、アメリカの生態学教授が提唱した「コモンズの悲劇」が第一章で引用されている。
教授は、封建領主が定めた家畜の放牧に利用できる共有地「コモンズ」を例にとって、こんな論理を展開した。誰もが自由に利用できる共有の放牧地では、村人がそれぞれに自分の利益を最大化しようとして、放牧する家畜の頭数を増やす。その結果、最終的に放牧地の草が食べ尽くされて家畜を飼えなくなる。つまり、「コモンズの自由は破滅をもたらすので、管理が必要だ」と説いた。
砂資源の乱獲は、自然が供給する砂の量を遥かに上回るペースで続いた。代替資源が見つからなければ遠からず枯渇するほどに。かつて豊かな砂浜を抱える海岸が数知れずあった日本でも、砂浜自体の数が激減し、代わりにテトラポットが転がっている。
インドでの違法採掘の現場ではこんな具合だ。
ムンバイ市内を流れるターネー川上流では、砂マフィアが地元の漁師たちを雇って砂を採掘している。数年前までは水深15メートルほどの川底で砂を集めることができたが、最近はさらに深く潜らないと砂が採れなくなってきた。このため、耳からの出血や頭痛などの潜水病に苦しむ労働者が増え、命を落とすダイバーが後を絶たないという。
埋め立てにより国土を増やすシンガポールと、砂密輸に悩むインドネシアとの争いや、砂漠の中にありながら他国から大量に砂を買い付けるドバイなど、各国の砂事情も興味深い。
そもそも砂浜がどうして出来たか、という話もある。
森林消失による土壌侵食に急流が川底や谷壁を削った土砂が加わって、海岸にまで土砂が運ばれて形成されたのが砂浜だ。海底に堆積した土砂は沿岸流と波の働きによって岸へ打ち上げられて砂浜に加わる。
新田ブームによって、各地の砂浜は目に見えて広がってきた。この砂は、花崗岩の山で侵食や崩壊が進んで河川によって運び出されてきたもので、海岸に美しい白砂をつくり上げる。だが、内陸の山々が荒れていることの証である。
江戸時代に農地を増やす為に行なった新田政策が、山林の自然を破壊し、結果美しい砂浜となっていたわけだ。
砂浜を守るための松の話なども、知らないことだらけで読んでいて脳が喜んでいるのが分かった。
といったことをあげていけばキリがないくらい、砂とそれに関わる事柄について書かれている。私は一時期息子がハマっていた砂場遊びに、息子以上にハマっていたことを思い出していた。そして最近あまり砂場遊びしたがらないのも、私が調子に乗って遊び過ぎたせいかもと思えてきた。幼い子どもと遊べる期間はそう長くはないのだ。限りある機会を大切にしていかなければ。
2020年に発行されたこの本の著者は、発行時80歳。世界を飛び回って蓄積された経験と学識が、活き続けている。