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我が家の鬼演出家によるゾンビ演技指導

ゾンビ映画における肝心なところは何か。
それはゾンビがゾンビであることである。
「ゾンビらしさ」が必要なのではない。
誰もがもつゾンビのイメージに寄り添い、演技をするのではなく、演者が「ゾンビ演技をしている役者」に見えないように、本当のゾンビであるように見えることが大事なのだ。
以上は、ゾンビ映画年間視聴数ゼロ回の私の所見である。

総合演出家への道を歩み始めた我が家の三歳男児は、父親の演技へのダメ出しだけではなく、自ら演じての演技指導が始まった。


ゾンビごっこの始まりの経緯から話そう。
レバーとかボタンとかついてるアンパンマンのおもちゃがある。
それをロボットのリモコンに見立て、人を動かす。「おとうさんスイッチ」っぽくもある。
レバーを前に押して「進め」、下げて「バックしろ」など。
ちなみにあまりリモコンの指示通りには動いてくれない。
ボタンの一つが「ゾンビボタン」であり、それを押すとロボットがゾンビになり、操縦者に襲いかかってくる。おもちゃに罪はない。そういう風に見立てたのは私だ。
あくまでロボットの一機能なので、ゾンビボタンをオフにすればゾンビ化は解除され、襲いかかられずに済む。
大体オフにする時にリモコンが壊れる設定で、私は毎回襲われる羽目になる。

ゾンビごっこが楽しかったのか、遊んでいる途中に息子は突如ゾンビ化するようになった。
両手を前に垂らし、「うぼー、ぐあー、ゾンビだぞー」と言いながら私に襲いかかってくる。
交代で私もゾンビ化する。
居間と隣接する和室のふすまは、寝る時以外外されている。
敷居上に架空のドアがあり、和室は家の中、居間は外、という設定でゾンビ劇が始まる。
「パパもゾンビやって」と言われたので、素直にゾンビったり、逆方向に走っていく小ボケをしたりすると、演出家としての血が騒ぐのか、「アンタじゃ無理だ、オレが代わる」と言うかのように、再び息子がゾンビ化した。

「ゾンビっちゅうもんはなあ、自分がゾンビやとは思っとらんのや。
死んどるとも思っとらん。
腐った頭なりに考えてやっとる。
いつまでもうぼー、ぐあー、だけやないに決まっとるやろ。
始めはやみくもにやってたことも、次第に系統立てて考えてやるようになる。
ゾンビかて成長しとるんや。
死ねんのやで?
下手したら何十年何百年とゾンビやで?
頭ぶっ潰したり燃やしたら終わりやと勘違いしとらんか?
粉々になっても灰になってもゾンビはゾンビや。
粒子になっても分子になっても生き続けとるわ。
死ぬこと出来ずに考え続けとるわ。
わしの演技見とけ、勉強しいや」

なんてことは言ってないが、息子のゾンビ演技は進化していた。
架空のドアを突き破ってきたりせずに、インターホンを鳴らしてから入ってくるのだ。人の理性が戻ってきているのだ。
ただし息子よ、ゾンビが鳴らそうとインターホンの鳴り方は変わらず「ピンポーン」だと思う。決して「ビンボーン」とは鳴らないと思う。

うぼー、ぐあー、びんぼーん、というゾンビの叫び声で家の中が満たされる。ゾンビから人間に戻った息子はいつもよりおやつをたくさん食べた。

結論:ゾンビも疲れる。

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