入院記録⑤(脳脊髄液減少症による入院)※全文読めます
※今後の見通しが立ったので、そちらの経緯は別記事にてまとめています。
2月19日(月)入院13日目
入院記録3日分をまとめてnoteに投稿。12日間が3ヶ月間に感じるという式を考えてみる。12=90、しかし月の計算を通常年の2月、つまり28日で計算すると12=84まで減らせる。この12日間で読んだ本のページ数を、通常時の読書量と比較すると……と、こういった考えを推し進めれば、12日間=3ヶ月、と証明できるわけだ。
そんなわけはない。
入院から2ヶ月ぶりに身体を起こした、という同室のおじいさんが看護婦に祝福されていた。聞こえてくる状況にもらい泣きしてしまう。彼は車椅子で病棟を周った後部屋に戻ってきた。看護婦さんに「フジファブリックって知っとるか」と言い出して、私の口から変な声が出そうになる。
家の近所の小学校がメンバーの出身校らしい。以来「夜明けのBEAT」が頭の中から離れない。「若者のすべて」は入院中には似合わない。
リハビリの際に理学療法士さんが会話の糸口をつかもうといろいろ話しかけてくださる。
「小さい頃どんな漫画が好きでした?」
「ジョジョの奇妙な冒険ですね」
「ああ、絵が苦手で読んでませんでした」
「どんな映画が好きでしたか?」
「(ぱっと思い浮かんだのが)タルコフスキーっていう、ロシアの……」
「何ですかそれ?」
ことごとく裏目に。
「ご趣味は?」
「読書したり、文章書いたり」
「文章って、小説とかですか?」
「ええ、昔は小さな賞をもらったことも……」
この時の会話が後の記事に繋がる。
ふと読書中「さ」と「き」の表記が気になる。手書きだと離して書くのに。調べる。短歌としても書く。手書きも手も言葉もなくなっていくような。
作家・吉村萬壱先生の誕生日なのに、祝日になってない。「全国ではクチュクチュバーン祭りが開催され……」というニュースも流れてない。「CF」で書かれたような世の中になっているのに。
といったポストに吉村萬壱先生本人から律儀な返信をもらう。
少し前は6人の大部屋に3人しかいなかったのが、この日一気に満員になる。複数の患者への回診が同時に行われていると(受診科、主治医がそれぞれ違うため)、聞こえてくる声が混ざり合って混沌とした状態になる。飯の後のうたた寝には、心地よいBGMとなる。
「予定は二泊三日で」
「21日退院やね」
といった声が聞こえてくると、嫉妬という感情が自分の中で生まれることに気がつく。
まるで遺言のように「楢山孝介としての『きらら携帯メール小説大賞』の思い出」を書いて投稿。同賞の同期で、現在は作家として活躍されている岡部えつさんに、リポストしていただく。
昨日と同じような読書。短歌の本を無理やり読み切る。
就寝前の家族とのLINE通話で、妻と少し今後の展望の話をする。未定部分が多すぎるので進まない。
真夜中に目が覚めた時、家の布団かと勘違いする時がある。既に忘れかけている感触を、夢で確かめようとしているのか。
2月20日(火)入院14日目
同室患者が「手術前」から「手術後」へと次々に変わっていく。
山田玲司「非属の才能」を読む。昔読んだ気もする。山田玲司の書いた美大生の短編漫画が好きだったことを思い出す。
昼食にカレーライスが出る。
「カレーライスだあ!」と心の中で叫ぶ。なぜか夕食にも続けてカレーライスを食べる気まんまんだった。「カレーライス乱心事件」をその後記事として書く。
この文体、切り口に見覚えがある。コラムニスト、深爪さんである。かつて彼女が電撃少女と名乗り、掲示板で舌鋒鋭い文章を書いていた頃を思い出していた。先日の「楢山孝介〜」に続き、それよりさらに古い時代、掲示板で即興小説を書いていた「名無しさ」時代について書こうと考えていた。その際に深爪さんについても触れようとしたのが頭に残っていたようだ。
午後、妻を交えて主治医から今後の方針を聞く。明日のMRI検査後、結果に問題がなければ、現在のほぼ寝たきり入院生活から、起き上がっての生活に移行する。病状を見ながら、問題なさそうなら月末を目処に退院。退院後は日常生活を行いながら、2週間通院して様子を見る。問題なければその後職場復帰。復帰の際にも、できればデスクワークなどへの配置転換が望ましいが、そこは会社の判断による。
主治医の見解では「以前からも軽い症状はあったようなので、おそらく今後も、痛み止めを飲みながらになるのではないでしょうか。長く踏ん張る、いきむような動作はしないように」とのこと。
今の感じだとおそらくそこまでする必要はなさそうだが、痛みが激しくなるようなら、ブラッドパッチ療法を視野に入れていくと。
あれだけ現場ががいっぱいいっぱいだった状況だったのに、事務職として戻れるか? という懸念。病状の申告は自分次第であるから、極端な話、激痛に耐えながら「大丈夫です」といえば退院できるのかもしれない。そんなことはしないが。
妻はまだ試用期間だったため、3月11日までに職場復帰できなければ、自主退社するようにとの勧告が来ているという。私が退院できれば、妻の職場復帰は問題ないはずなので、間に合うとは思う。
身体を起こしてからの私の病状がどうなるかはまだ未知数のため、自分のことははっきり言えない。ただ今後の収入面のためにも、妻の職場復帰を最優先と考えたい。
私の勤め先に現状を報告。
今後が具体的になったことで、新たな不安の種も生まれる。起き上がり生活になった途端に痛みが酷くなれば、これ以上入院生活が長引いてしまうのか?
良い方向へと考えを変えようとする。
良い方向とは何だ。
カレーだ。カレーライスだ。
しかし夕食はカレーではなかった。
2月21日(水)入院15日目
カレー事件が尾を引く中、またもや昼食時に事件が発生する。いつもなら3個の塩むすびが4個あったのだ。いわゆる「ウルキオラの胸に刻まれた数字を見た時の黒崎一護状態(漫画「BLEACH」より)となり「4……だと?」と口にする(してない)。
それだけでは終わらなかった。おかずのポテトサラダを見て私の中で流れ出したのはZAZEN BOYS「ポテトサラダ」。色合いが違うなと思ったら、さつまいもベースのポテサラだったようだ。それは構わない。だがレーズンが入っていた。レーズンが。ポテサラに、レーズンが、レーズンが、ポテサラ、ポテサラ、レーズン。胸の中の向井秀徳がポテサラ、レーズン、と繰り返す。
昔からレーズンパンが苦手だった。
被災地などでは被害から時間が経つにつれ、状況や食料への不満が湧いてくるという。それは何も言えなかった極限状況からの快復の兆しでもあるのだとか。
Googleドキュメントを使用してこの文章を書いている。日本語としておかしいところには下線部が引かれ「間違ってないですか?」と確認してくる。「レーズンパンが苦手だった」のところを指摘された。どこかおかしかったかな、と確認すると「苦手だ」を「好きだ」に変換しましょうか、と出てきた。やかましい。
MRI検査じゃなくてCT検査だった。
検査の結果、硬膜の隙間が埋まってきている(液が補充されているor漏れが治まっている)ことが分かった。安静療法が効果を上げていたわけだ。
今後の見通しなどは別記事にまとめた。
午後からのリハビリはベッド上ではなくリハビリ室へ。落ちた筋肉を取り戻していく。リハビリ中は問題なし。リハビリ室のある3階から病室のある4階に移動する際に階段を使った。登り方を忘れていた。頭の位置が上がっていくことに若干の恐怖を覚えた。入院直前の激痛の記憶は、仕事終盤、地下から1階に上がってくる時から始まっていたからだ。
リハビリ後少し横になってからは、ベッドを起こして、座ってのあれこれ。今のところ頭の痛み、重みはない。
そろそろ睡眠薬はいらないかなと思いつつ、眠れなかった場合からの最悪コンボを想像してしまい、結局薬の力を借りて眠りにつく。
読書記録
「短歌があるじゃないか。 一億人の短歌入門 (角川ソフィア文庫)」
穂村弘東直子沢田康彦
「非属の才能 (光文社新書)」
山田玲司
「自作小説の収益化について考えてみた」
七草みずきpeco
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