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「私は、尊重されている」

今朝の毎日新聞の連載「香山リカのココロの万華鏡」に、こんなことが書いてあった。

精神科の専門書には「例え認知症の患者さんであってもまずは本人ひとりと面接」と書いてあるそうで、「認知症だから会話が通じない」と決めつけるのではなく「私は、まずあなた自身の話を聞きたいんですよ」という態度を医者が見せることで、患者さんは「私は尊重されている」という安心感を感じることに繋がるという。
彼女は最近、内科の外来でも診療しているそうなのだが、子供の診療でも、本当は「まずは本人ひとりと面接」を実施したいそうなのだが、中々実現できないらしい。親が「子供のことをいちばん知っているのは母親の私なのに、どうして追い出そうとするんですか!」と言われることもあったそうです。

この記事を読んで、認知症を疑われている方も、子供たちも、「私は尊重されている」と感じられないケースが多いのかもしれないなと、僕は感じたわけです。というのも、自分自身だって小学3年生の息子と病院に行った際には一緒に入室しているなと。子供の自立を望んでいる親として、子供がひとりで医者と話す機会を無くしてしまっている自分自身に気付いたわけです。

さて、こういうことは子供や親のような家族に対してだけ言えることではないな、とも思う。
「自分の方が詳しいから、部下ではなく、自分が説明してしまう」
「心配だからといって、ついつい同行、同席し続けて、おまけに自分ばかりしゃべってしまう」
決して悪気はなく、むしろ相手を思いやるつもりの行動が「相手を尊重する」こととは正反対の振舞いになってしまっている、。そういうケースは日常でも多々あるな、と思ったわけです。

人間は、「私は、尊重されている」と感じるからこそ、安心してチャレンジできる。尊重されているからこそ、失敗を恐れることなく、高い壁にも挑むことができる。

コロナ禍という過酷な状況を乗り越えていくためには、社員一人ひとりが果敢に挑戦し続けることが必要不可欠です。社内が一丸となり、安心してチャレンジし続けられる、そんな組織を創るためにも、このような「小さな尊重」の積み重ねが大切なんだなと、改めて考えさせられました。

よし。
まずは息子を一人で診察室に入れてみよう(笑)

追伸

いちごの花の花言葉は、尊重、愛情です♪

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