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掌編小説 『梯子』

 僕は今、梯子を登っている。ただ、ひたすら。理由は聞かないでほしい。コンクリートに囲まれていて、狭い。地面はもう見えない。地上もまだ見えない。遠く、遠くに小さく空が見える。それが今が夜で、もうすぐ朝だということを、なんとなく教えてくれた。僕はその小さな空を目指して登っている。

 一つ一つ、最初は急いでいたが、やがて急ぐことをやめ、かといって、ゆっくりになる事もなく、ただひたすら登り続けている。
 
 僕が握りしめている金属の棒たちは、ひんやりと冷たく、ザラザラしている。梯子が取り付けられてから、ずいぶん時間が経っているのが触るだけでわかる。どうしてこんな長い梯子を取り付けたのだろうか。そんな考えは登り始めた序盤に捨てた。あまりにも長い梯子について考えるとイライラして、登るのが辛くなる。余計な考えはエネルギーの無駄。だから僕は早々に、梯子について考えるのをやめた。今は一つ一つ、登ることに集中する。

 長いこと梯子を登っていると、休むことを覚えた。梯子の隙間に足を入れ、座る。なんなら寝ることだってできる。サーカスみたいに、足を引っ掛けて逆さまになることだって出来た。問題は水と食料。これがなかなか手に入らない。ちょっとした虫でさえ重要だ。最初はムカデやゴキブリに躊躇していたが、今ではご馳走だ。どんな虫だって食べる。小さな虫だって一瞬で捕まえられるようになった。

 そして、水。夜になると、梯子は少しだけ結露するんじゃないかと思った僕は梯子を舐めた。ひんやりとした金属は血のような味となんとなく水分を感じさせた。それでもどうしようもない時は、尿を飲む。もう何周もしたせいか、透明になった。やがて、尿すらも貴重になった。人間の排出行為は全て貴重なのだ。

 そんな梯子を登る生活をしていると、体が梯子に適応してしまった。

 指は、少しずつ変形していく。指は常に曲がった状態になり、関節が丸くなり、手の平にはまるで猫の肉球みたいなものができた。それはすごく硬くで大きいので、梯子にピッタリ挟むことができた。力を入れずに梯子にぶら下がり、休憩することができるようになったのだ。
 
 足も、うまく梯子にフィットするように変形してしまった。ちょうど梯子の棒の部分がフィットするように、湾曲してしまっている。当然、足にも肉球のようなものができてしまっているので、足のだけでぶら下がる事も容易だ。

 そして、梯子を舐めること、虫、排泄物、これらだけで生きていけるように体が適応してしまった。正直、これ以外何もいらない。というか、かつて何を食べて生きてきたのか忘れてしまった。

 というよりも僕はなぜ、梯子を登っているのかわからない。いかなる理由があって、僕は梯子を登っているのか、梯子の先には何があるのか、全く思い出せない。
というよりも、僕は元々梯子に住む生物なのではないのだろうか。梯子が目の前のコンクリートにくっついて、ずっと存在しているように、僕はこの梯子があるから存在している生物なのではないのだろうか・・・やめよう。

 余計なことを考える事も、昔を思い出す事も、体力の無駄なのでやめた。

 僕はとにかく登ることに集中しよう。一つ一つ。この手にしっかりと梯子を握りしめて登る。やがて、辺りは明るくなり始めた。

 上を見ると、空が目の前にあった。

 下は、何も見えない。

 僕は今、梯子を降り始めた。

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