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なにもないから、なにかある。


 京都の南部、東西を低い山で囲まれた京田辺という土地で、3年半一人暮らしをした。今は実家のある名古屋に住んでいる。


 通い慣れた大学と一休寺、大学生にふさわしい居酒屋と竹林以外には特になにもない街で、とりわけ治安が良いとか悪いとかもなく、便利ではないが不便というわけでもない。


 市は「玉露のまち、京田辺」を謳っている。72年前、1948年の第二回全国茶品評会で玉露部門一等一席という賞を受賞したらしい。その後も15回その賞を受賞している。なかなかやるじゃん、京田辺。


 大阪北新地へはJR学研都市線で一本。約50分電車に揺られる。京都駅へは近鉄京都線で途中普通から急行に乗り換えて約30分。祇園四条へは京阪電車に乗り継いで約40分である。なかなかのアクセスの悪さである。近鉄電車で15分もすれば奈良県に入る。京田辺では奈良交通のバスが走り、なんならほぼ奈良。人には「京都と大阪の間で奈良の近く!」と説明する。何県だそれ。



 3年半前の2017年4月、名古屋から京田辺に引っ越した。名古屋駅まで電車で7分といった名古屋市内のそこそこ便利で閑静な住宅地で生まれ育った私からすれば、京田辺の第一印象は最悪であった。


「なにもない。」


 それに尽きる。なにもないのだ。最寄り駅は普通電車しか止まらないし、駅前にはコンビニがないどころかタクシーすら停まっていない。おまけに日が暮れると真っ暗で恐怖さえ感じた。

 「こんな不便でなんもない場所、住めない。」


 このときの私は、3年半後、ようやくこんな場所から出られるというのに、こんな場所のために思いを馳せてこの文章を書くことをまだ知らない。




 京田辺の思い出の場所といえば学校と国道沿いのマクドナルドとファミリーマートくらいしかない。どこにでもあるようなマクドナルド。なんら他と変わらないファミリーマート。


 2018年の6月の中旬、朝8時頃。大きな揺れで目を覚ます。横に揺れる。縦に揺れる。食器が割れる。大きな音を立ててばたんばたんと物が落ちる。あまりに突然のことにベッドから立ち上がることができなかった。急いでテレビの電源を入れる。映ったニュースには、「大阪北部で震度6弱」と赤色の文字。


 初めて経験する大きな地震。とても家でひとりで過ごす気にはならず、近くに住む親友にラインで連絡をいれ、10時半に国道沿いのマクドナルドで待ち合わせをすることにした。


 果たして何度、このマクドナルドで親友と二人で語らいあったのだろうか。地震が起きた日、親友が彼氏と喧嘩して腫れた目で現れた日、テスト週間、なんでもない日。シナモンメルツとホットコーヒーを交互に胃に流し込んでは、愚痴を言い合った。


 24時になりマクドナルドが閉まると、決まってまっすぐ帰らず、歩いて3分のファミリーマートに寄った。イートインスペースで、うるさい大学のCMをBGMに似合わないおでんを頬張った。


 「おでんがあれば戦争なんてなくなるはずなのにね。内戦地におでん届けようかな。」


 平和ボケした日本の大学生のせいで内戦地に送り込まれるなんて、おでんには荷が重すぎる。






 何もない盆地であるからこそ、京田辺は暑くて寒かった。


 真夏は日中40度に達する日も少なくないほど蒸し暑いのに、夜は秋の風が顔を覗かせる。10月の中旬にもなれば夜は15度を下回り、トレンチコートでは寒さをしのげない。冬になると、部屋の隙間から忍び入る冷気に悩まされ、こたつに頭まで入った。大阪の市内から帰ったときなどは、最寄りの駅に降り立つたびに、その温度差からぶるっと身震いをした。



 私は京田辺に降り立った瞬間に吸い込む空気が大好きだった。冬の寒い日には、息を吸い込み鼻をツンとさせた。年中感じられる湿った土の匂い。家までの15分の道のりで嗅ぐ、夕食の匂い。

 「おかえり。」そう言われた気がした。 


 両脇を竹林で囲まれたゆるやかな坂を登ること15分、大学が見えてくる。間に合うか間に合わないかの瀬戸際の1限の授業の日でさえも、この道は私を急かさない。夏場は東に位置する左側の道を歩くと日陰で良い。といっても学校に着いたころには汗で顔がぐちゃぐちゃになる。冬場は反対に日向である右側を歩く。秋には赤と黄に染まった学校を遠くに見ながら登る。春は決まってウグイスが鳴く。

 「おはよう。」と。






 先々月、9月の下旬。私は体調の療養のために京田辺を去った。


 体質上、光や派手な色や柄が苦手な私が作った白い家具で統一された暗くて落ち着く部屋と、誰にも邪魔されないひとりの時間を手放した。もうひとりでは生きていけなくなってしまっていた。好きな掃除も料理も散歩もこのころには楽しめなくなっていた。 


 引っ越しの忙しさのあまり、京田辺での一人暮らしの思い出にふけることができたのは、部屋が空っぽになってからだった。


 辺鄙な場所にあるためあまり友達を呼んでいない方だと思っていたが、60人以上がこの部屋に来ていたようだ。

 離れたくないなあ。

 率直にそう思った。この部屋が、なにより京田辺のことが自分が思っている以上に好きだった。遊ぶ場所から遠くて、終電も早くて遅くまで遊べないし、寒いし暑いし。文句ばかりだったのに、いろんな思い出と一緒に京田辺の風景が思い出されて、少し涙がでた。





 朝昼晩、春夏秋冬で音が、匂いが、空気が変わる。京田辺はめくりめく自然の美しさを何度も私に教えてくれた。



 サッカーワールドカップのベルギー戦が終わった朝、外に出て朝日と一緒に食パンを食べた。

 第一志望の6回目の面接の結果を待つことが苦しくて、京田辺を散歩しながら涙を流した。山に落ちる夕日が私に寄り添った。





 「ああ、また京田辺に帰るのかあ。遠いなあ。」そんな言葉を吐きながらも、足取りは重くない。


 京田辺を去った私に、その日はきっともう戻らない。


 けれど、またそっちに行った日には鼻の奥を冷気でツンとさせて、土の匂いで歓迎してね。




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