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【挿絵小説】タックスキングダム 第四章

1 コラボレーション

 夏休みが終わりに差し掛かっている。何とか宿題を終えた俺は、税理士事務所で兄貴の手伝いをしている。
「まぁ、順調なんじゃないか?」
 発足して間もないジャポーネ芸能事務所の試算表を入力しながら、兄貴は感想を述べた。
 事実、初期投資から赤だった帳面は、黒に転じている。だが、そこは一寸先は闇の芸能界だ。いざというときのための保険は、積み増していた。
「税務面での心配はない。当面は大丈夫だろう。あとは澪桜、お前だ」
 兄貴の指摘に俺は首を傾げる。見かねた兄貴が言った。
「進路だよ。どうするつもりなんだ?」
 流石にここでミュージシャンになると言うのは、憚れた。だからと言って税理士と答えるのも違う気がしている。
 そんな俺の心の迷いを見透かしてか、兄貴が言った。
「まぁ、好きな道を選べばいい。だが、後悔だけはしないようにするんだな」
 ――後悔のない道、か……。
 兄貴と別れた俺は、悩んだ末に考えることをやめた。今はバンド活動に全力を尽くすべき気がしたのだ。
 やがて、兄貴の手伝いを終えた俺は、ジャポーネ芸能事務所に向かうと、マネージャーを務めるジュリア姫が悪戦苦闘中だ。
「あ、澪桜さん。すみません、お出迎えが出来なくて」
「や、大丈夫です。ちょっと税務資料を届けに来ただけですから」
 俺は兄貴から預かった資料を手渡すと、ジュリア姫が出した茶に口をつけた。
 何気なしに次の音楽フェスのタイムテーブルを確認していた俺だが、不意にジュリア姫が切り出した。
「今度の蘭さんの新曲、聞かれました?」
 黙ってうなずく俺にジュリア姫は、思わぬことを言った。
「あの新曲。先日、澪桜がリリースした曲への返し歌なんでしょう?」
 これには、俺も驚いた。確かに俺と蘭は今、新曲のリリースで互いの信念をぶつけ合うキャッチボールをやっている。
 だが、それを俺と蘭以外の人物が気づいていたとは思わなかったのだ。目を丸くする俺にジュリア姫は、くすくす笑いながら言った。
「素敵だと思います。澪桜さんも蘭さんも気丈ですけど、音楽に対してはピュアなんですね。互いの才能をぶつけ合う。無才の姫の私からすれば、本当に羨ましいです」
「や、とんでもない。でも姫は一体、いつからそれに?」
「はじめからです。澪桜さんの歌は言わずもがな、蘭さんの歌も好きですから。多分、蘭さんは何かの事情で今しか、ミュージシャンをやれないのかなって」
 ――この姫、感受性が恐ろしく鋭いな。
 俺は改めて姫の持つポテンシャルに驚いている。同時に己を無才と卑下する姫をいかに覚醒させるかについて考えた。
 ――案外、この姫も思わぬキッカケさえあれば、大化けするんじゃないか。
 そんなことを思いつつも、まだその方法を掴めずにいた。



 夏休み最後の一大イベント、音楽フェスの日程が近いている。参加するのは、話題性に富む新進気鋭のミュージシャンばかりだ。
 無論、俺達タークスや蘭達のエルタも招待を受けているのだが、ここで主催者から思わぬ提案がもたらされた。
「はぁ!? あの蘭達とコラボをやれ?」
 思わず声をあげる俺にジュリア姫がうなずく。
 ――冗談じゃない。
 俺は、あまりの内容に開いた口が閉まらない。本来なら一蹴するところだが、事情がそれを許さない。
「ここだけの話、大筋スポンサーの豊菱ホウリョウミュージックからの提案なんです。もし、これを成功させれば一気にメジャーデビューはおろか、海外進出も視野に入ってくる。流石にこれを蔑ろには出来ません」
 ジュリア姫の説明に俺も黙らざるを得ない。ちなみにこの提案を示された蘭達の反応も同じようなものだったらしい。
 ――そりゃそうだろうよ。向こうも拒絶するに決まってる。そもそもフェスまで準備の時間がない。
 拒否を決めてかかる俺だが、意外なことにあの蘭がこの提案を受けたという。俺はしばしの絶句の後、問うた。
「仮にコラボするとして、一体、どっちのバンドグループの歌を使うんだよ?」
「それを今から共同で作れって言うのが、スポンサーの意向なんです」
 ジュリア姫の返答に俺は、頭をくらくらさせた。そこへ一本の電話が入る。受話器を取ったジュリア姫は、それをすぐに俺に手渡した。
「え、相手は誰?」
「蘭さんです」
 手短に返答するジュリア姫に俺は、言葉を失った。だが無下に断ることもできず、受話器をとった俺に蘭が言った。
「澪桜、事情はそう言うことや。不本意やけどな」
「あぁ、話は分かったがもう時間がない。今から一緒に一曲作るなんて俺は……」
「アンタの事情なんて、私は聞いてへん。場所を伝えるから、今すぐこっちに来て」
 高飛車な蘭が伝えた場所――それは病院だった。
 ――どう言うことだ。
 俺は首を傾げつつ、ただ言われるがままに指定された病院へと向かった。タクシーを走らせながら、俺は考えている。
 ――あまりに蘭が素直すぎる。これは何か事情があるな。しかし、今から共同で一曲なんて本当にできるのか?
 俺は首を傾げつつ、目的の病院でタクシーを降り、病室へと向かった。そこで待っていたのは、あの勝気にまさる蘭と病床からこちらをうかがう少年である。
「澪桜さんですね。はじめまして。お会いできて光栄です」
 頭を下げる少年に俺も思わず、礼で応じる。その傍らから蘭が面白くなさげに言った。
「弟の翔や。どうしても会いたいって言うから、アンタに来てもらったんや」
 その後、三人でしばし談笑した後、蘭は俺を連れて病院の屋上へと向かった。街を一望しながら、俺は切り出した。
「おい蘭。一体、どう言うことだ。今回のコラボの件といい、なんで……」
「仕方ないやろう。弟にどうしてもって頼まれて、断れるわけないやん!」
 声を荒げる蘭に俺は、問いを重ねた。
「翔君の具合、そんなに悪いのか?」
「もって半年……医者はそう言うてる。私だっていつまでもボーカル張れる訳やない。多分、これがラストチャンスなんや」
 そう語る蘭の目には、悔し涙が滲み出ている。


 湿っぽい空気が流れる中、俺は意を決し屋上のベンチに腰掛けるや、カバンからタブレット一式を取り出し言った。
「蘭、時間がない。お前との楽曲、今から作るぞ」
 かくして俺と蘭は、互いの合作に取り組みはじめた。もともとアンサーソングでやり取りしていただけに、互いのペースは分かっている。
 そこで痛感したのが蘭の才能だ。
 ――コイツは、やっぱり天才だな。
 認めたくはないものの、俺の中にミュージシャンとしての蘭を好む自分がいることを否定できない。
 複雑な思いに駆られつつ、俺達は時間に押され突貫で一曲の合作を作り上げた。
 もっともそこからが大変だ。スマホで互いのメンバーを音楽フェス会場近辺に集結させるや、作り上げたばかりの楽曲を一から覚えさせていく。
 とにかく時間がなかった。



 音楽フェスの日が到来した。出番を待つ俺達は気が気でない。
「ほとんど一発勝負みたいなもんだ」
 嘆く俺に蘭も同意しつつ、苛立ちを隠せない。
「まさか、アンタらと一緒にこの場に立つなんてな。趣味の悪い冗談もええところや」
「それは、こっちのセリフだ」
 俺達は非難の応酬に明け暮れる。もともと気が合わない間柄なのだ。上手くいくはずが無いのだが、ただそれでも互いのテンポは合った。
 嫌いだが、息は合う――そんな不思議な関係にある俺達は、やがて、ステージへとのぼっていく。
 タークスとエルタが互いに一曲ずつ演じた後、再編成した選りすぐりのメンバーで、コラボ楽曲の準備に入った。
 一体、ステージの上で何が起こったのか、困惑する観客を前に俺は言った。
「蘭。タイミングはお前に任せる。一気に入ってくれ」
「えぇ、そうさせてもらうわ」
 蘭は俺に目配せの後、ワンツースリーで突貫作業のコラボ楽曲へとなだれ込んだ。業界の中でも険悪な仲にある二グループの共演に、観客は驚きを隠せない。


 だが、曲がサビに差し掛かるあたりで、その虜になっていく。多少の間違いはあったものの、なんとか最後まで演奏し切った。
 そんな俺達を待っていたのは、これまで聞いたこともない観客の熱狂的な大歓声だった。

2 暴露
 音楽フェスでのコラボ成功を受け、俺達を巡る環境はさらに激変した。共演の依頼が殺到しているのだ。
 そんな中、俺の頭に一つの疑念がよぎる。
「このコラボ、仕掛けたのは豊菱ミュージックじゃなく、ジュリア姫の方じゃないか」
 そう思わざるを得ないのだ。自らを無才の姫と卑下しながら、スポンサーを巻き込み俺達を縦横無尽に振り回すフィクサーぶりに苦笑を禁じ得ない。
 どうやらジュリア姫は、これまでとは別な方向でその潜在力を発揮し始めたようである。
 ここで気になるのが、魔王ゾーラだ。
「アイツは一体、何をやっていたんだ」
 そもそも魔王ゾーラが蘭を抱き込んだのは、新たな着想を自身の戦略に組み込むためだ。
 だが、実際には大した妨害もなくコラボの成功を見届けてしまっている。察するに、コラボが失敗に終わると踏んでいたようだ。
「つまり、今回のコラボはジュリア姫と魔王ゾーラの代理戦争だったってことか。まんまと掌の上で踊らされていた訳だ」
 俺は呆れると同時に今後の魔王の出方に懸念を覚えている。
 ――あの魔王がこのまま引き下がるはずがない。果たしてどんな手を打ってくるか……。
 この不安は後日、現実のものとなって返ってくることとなる。

「澪桜、大変だ」
 蘭達エルタと合同練習していた俺は、サクラから一本のネットニュースを見せられ、声を上げた。
「なんだこれは!」
 そこには、蘭達の事務所のバックにいる反社会勢力を暴露する内容が晒されている。さらに疑惑の矛先は、俺達タークスにも向けていた。
「一体、どう言うことや」
 頭を抱える蘭の傍らで、俺は舌打ちする。
 ――間違いない。魔王ゾーラの奴だ。何もかも破滅させ、混乱に乗じ全てを乗っ取る気だ。
 困惑を隠せない俺達だが、そこへジュリア姫が帰ってきた。手荷物を両手に抱えながら、ジュリア姫は断りを入れる。
「スミマセーン。ちょっと遠くまで出向いていたら、遅くなっちゃって……」
 呑気に皆の昼飯を広げるジュリア姫に、俺は事情を説明した。今まさにタークスとエルタは魔王に葬り去られようとしている――そう危機感を伝える俺に、ジュリア姫は黙って聞き役に徹していたが、思わぬ一言を吐いた。
「こんな記事、一切気にしないでください」
「や、でも姫。今、ネットは俺達のことで大炎上してるんだぜ。この危機をどう乗り越えようってんだよ?」
「簡単ですよ」
 ジュリア姫は、何でもないことのように続けた。
「いいものを作り続けるんです。人の噂も七十五日――信じた道を貫けば、離れたファンも戻ってきます」
「しかし、反社勢力が……」
「いいですか澪桜さん、これは戦争なんです」
 断言するジュリア姫に、俺は改めて目を向けた。多少、虚勢を張ってはいるものの、ジュリア姫の目には、確固とした覚悟が宿っている。
 そこには、かつての根暗なジュリア姫は存在しない。今やマネージャーの域を超え、対魔王の司令塔になりつつある。
 ――変われば変わるものだ。
 俺はジュリア姫に頼もしさを覚えつつ、意を決した。
「蘭、ここは攻めだ。一気に乗り切ろう」
 かくして俺達は、非業中傷と真正面から向き合うこととなった。



 魔王とジュリア姫の代理戦争だが、影響は現実世界だけでなく魔霊界にも及んでいく。エンタープライズを擁する俺達に対し、魔王も同様の魔法法人の立ち上げに成功したのだ。
「新手の召喚獣?」
 新学期の始まった教室で声をあげる俺に、サクラが説明した。何でもエンタープライズと同様の朱雀科に属する召喚獣らしい。
「分かった。学校の帰りに魔霊界へ偵察に行こう」
「あぁ、待ってるよ」
 うなずくサクラに俺は、二つ返事で応じた。その放課後、剣道部の練習を終えた俺は早速、サクラ、ジャックとともに魔霊界へと乗り込んだ。
 エンタープライズを召喚するや、その背中にまたがり一気に空へと舞い上がっていく。上昇気流をつかまえ上空までたどり着くや、視察へと入った。
 ――相変わらず、魔物はいないか……。
 眼下の地上を眺めながら、俺はエンタープライズを御していく。だが、魔王ゾーラのアジト近辺へ辿り着いたとき、それは現れた。
「おい、何だアレは!」
 指差し吠える俺の目の前には、エンタープライズ同様に翼を広げる一匹の黒き召喚獣がいる。その背にまたがるのは忘れもしない。あの魔王ゾーラである。
「あれが魔王の召喚獣・デスバードさ」
 ――デスバード……。
 サクラにその名を告げられ、俺は改めてその容姿を確認する。漆黒に包まれたその異様な様は、まさに死の鳥を連想させるに十分な姿だ。
「追撃しよう」
 俺はエンタープライズを一気に旋回させ、デスバードへと迫った。だが、魔王もさるものである。そうはさせじと反対に切り返し、俺達を逆に追い詰めに入った。
「おい、デスバードはどこだ?!」
「後ろです。ピッタリ張り付いています」
 背後を振り返りながら叫ぶジャックに、俺はエンタープライズを急旋回させる。
 だが、それを待っていたかのように魔王ゾーラが雷の魔法を放った。間一髪でその雷撃をかわしたものの、魔王ゾーラの攻撃は続く。


 ――くそっ、どうすれば………
 完全に守勢に回る俺にサクラが太陽を指差し吠えた。
「澪桜、アレだ!」
 その意を察した俺は、すぐさま弧を描く軌道で太陽に向かう。完全に逆光となった魔王ゾーラに対し、俺はここぞとばかりにエンタープライズを減速させ、一気にデスバードの後ろへと張り付いた。
「よしっ、今度はこっちの番だぜ。ジャック、頼む」
 意気込む俺は、デスバードを射程に収めるや、ジャックにエンタープライズの操作を託す。魔王が放つ弾幕があちこちで炸裂する中、俺は徴霊の剣を天にかざし呪文を誦じた。
「徴霊の剣の名において、万物に宿りし神々に命ず。直ちに霊力の徴収に応じられたし」
 たちまち一帯から霊が集結していく。それをサクラが魔術化し、目前の魔王ゾーラに放った。この俺達三人による連携プレーに、さしもの魔王ゾーラも崩れ落ちた。
「よしっ」
 俺は思わず拳を握り締め、ガッツポーズを取った。そのまま魔王ゾーラをひっ捕えるべく、距離を縮めていく。
 遂にあと少しで手が届くところまで来た俺は、剣を片手に吠えた。
「魔王。勝負だ!」
「ふん、小癪な小僧だ」
 魔王ゾーラは鼻を鳴らし、剣を取る。互いの召喚獣を横腹で体当たりさせながら、俺達は刃を交えた。
 あと一歩で魔王ゾーラに手が届く――興奮を隠せない俺だが、ここで思わぬ事態が生じる。エンタープライズが失速し始めたのだ。
「しっかりしろ、エンタープライズ!」
 俺が叱咤するものの魔王ゾーラの背中はぐんぐん離れていく。
「さらばだ。小僧」
「待て魔王!」
 俺の遠吠えも虚しく、魔王ゾーラの乗るデスバードは完全に姿を眩ましてしまった。
「くそっ、あと一歩だったのに……」
 俺は忸怩たる思いに地団駄を踏むしかなかった。
 その後、近くの丘に着地した俺は、エンタープライズを確認し、思わず声を上げた。
「おいエンタープライズ、大丈夫か!?」
 なんと懐に大怪我を負っているのだ。どうやら魔王の張る弾幕にやられたらしい。
「全治一ヶ月ってところですね」
 ジャックの分析に俺はうなずくや、エンタープライズに応急措置を施していく。
「エンタープライズ、無理をさせてスマン!」
 俺はぐったり身を横たわらせるエンタープライズに頭を下げ、その身を送還させた。

3 国王と魔王のタブー
「兄貴、税法を教えてくれ」
 性懲りもなく部屋を尋ねる俺を、兄貴は「またか」とばかりに出迎える。質問を重ねる俺の頭にあるのは、先日の対魔王戦だ。
 あと一歩と魔王ゾーラに迫りながら、まんまと取り逃がした。そればかりかエンタープライズの負傷に気付かず、無理をさせ一ヶ月の静養が必要なまでに追い込んでしまったのだ。
 悔やむ俺は痛感した。
 ――全てが、あと少し足りなかった。
 その少しの差を埋めるべく、兄貴に頭を下げ教えを乞うている。
 もともと魔霊界は税制を模して構築された世界だ。魔王討伐に必要な全てが税法に詰まっていると言っても過言ではない。俺はかつてないほど、真剣に税制と向き合った。
 さらに税制を理解するには、正しい国語力や計算を含む数学力も必要になってくる。自然と学校の勉学にも向き合わざるを得ない。
「勉強なんざ大っ嫌いだが、取り組まないと、エンタープライズに顔向けができねぇ」
 剣道に軽音、税法に勉学と俺は全てに没頭していった。
 そんな矢先、ちょっとした事件が起きた。日頃の無理が祟ったのか、大きく寝過ごしてしまったのだ。
「やっべ。遅刻だ……」
 俺は慌てて制服をまとい家を飛び出す。やがて、十字路に来たときだった。暴走気味の対向車の存在に気付かなかった俺は、突然のクラクションに息を飲む。
 気付いた時には、体を弾き飛ばされ地面に叩きつけられていた。
 ――くそっ……事故ってしまった。
 全身の激痛に呻きながら、何とか立ち上がろうと試みるものの、体が言うことを聞かない。
 そうこうするうちに俺の朦朧とする意識は、微睡の中へと溶け、目の前が真っ暗になってしまった。

 ………
 ……
 …


 どれほど時間が経っただろう。はたと気がついた俺は、自身が見たことのない部屋で寝かされていることに気づく。
 上体を起こそうとしたが、激痛のあまり体が動かない。そこへ聞き覚えのある図太い声が響いた。
「無理をするな。傷口に響く」
「お前は、魔王っ!?」
 思わず声をあげる俺に、傍らの魔王ゾーラは笑みで応じる。
「いかにも。魔王だが、ここでは投資家ゾーラ・タカスギで通っている。そちらの名で頼もうか」
 ――くそっ、何てこった。あろうことかよりによって魔王の奴に捕まるなんて……。
 忸怩たる思いに唇を噛む俺だが、魔王ゾーラは落ち着きを払った表情で微笑みながら言った。
「澪桜、君を見ていると私は昔の自分を思い出す。ひたすら世界の謎と異世界の構築に没頭していたあの頃をな」
「ふんっ、いきなり昔話かよ。俺をどうする気だ。どうせこんな身だ。煮るなり焼くなり好きにしろ」
「そう熱くなるな。感情に任せ冷静さを失う。君の悪い癖だ」
 魔王ゾーラは俺を諌めつつ、席を立ち部屋を出る。入れ替わるように現れたのは、テロ脱獄犯で逃亡中の剛だ。
「よぉ、澪桜。こんな形で足元をすくわれるとは、お前にしては、ぬかったな」
「大きなお世話だ。好きにするがいい。覚悟は出来てる」
「そうツンケンすんなよ。それよりこれ、何か分かるか?」
 剛が差し出したもの、それは紛うことなき浮遊石である。その旨を指摘する俺に剛が、意味深な笑みを浮かべて言った。
「すべては、コイツが始まりなんだよ」
「どう言うことだ?」
 聞き耳を立てる俺に剛は、説明を始めた。曰く、魔王と国王の双子兄弟は税務立法の傍らで鉱石集めを趣味としていたのだが、偶然、魔霊界に通ずる浮遊石を見つけたらしい。
 二人はこの浮遊石を機に魔霊界の創世主として、税制をベースにした霊力徴収の魔術システムを一から作り上げたのだが、これには続きがあるという。
「実は魔王と国王には、一人の想い人がいたんだ」
 神妙な顔で述べる剛に俺は意外さを覚えた。
「それは、初耳だ」
「あの二人にとって最大のタブーだからな。その想い人が魔霊界での実験で暴走に巻き込まれた。ここで二人は何を守るかで意見が割れる。想い人か、それと魔霊界か」
 ここで剛は一つの格言を挙げた。
「澪桜、〈最大多数の最大幸福〉って思想は分かるか?」
「分からん」
「十八世紀にイギリスの思想家ベンサムが提唱した思想さ。功利主義とも表現するが、要するに〈多くの人が幸福になる行動を選ぶことが良い選択だ〉と言う思想だ。煎じ詰めて言えば、多数決だな」
「ふむ。ありふれた思想だが、それのどこに問題がある?」
 首を傾げる俺に剛は、例えを提示した。
「仮だが、線路を走っているトロッコが制御不能となったとして、線路の先に5人の作業員がいる。お前は線路の分岐を切り替えて、トロッコの進行を変えれるが、分岐の先には1人の作業員がいる。どっちを助ける?」
「両方助けるさ」
 この答えに剛は「そりゃそうだ」と大いに笑っている。俺はやや不機嫌気味に要約した。
「つまり、魔王ゾーラは想い人を、国王は魔霊界を主張したんだな。で、想い人の犠牲の上に魔霊界が生き残った、と」
「あぁ、功利主義ってやつだ。利己主義と対になる考えだが、お前の身近な社会にもあるだろう」
「累進課税制度か?」
「そうだ」
 ようやく的を得た俺に剛は満足げだ。確かに全国民が同額の納税をするのではなく、担税力を垂直的公平に求めるべきだとする考えは、剛の言う功利主義にかなうものと思われた。
「だが、魔王ゾーラは違う。少数派となってしまう人達も幸福になれる選択をすべき、と考えているんだ」
「うーん……なるほど、な」
 俺は思わず唸ってしまった。確かにどんな決断を前にしても絶対的な解が存在しない以上、その時々で最適なものを選ぶべきとなる。
 となればコミュニティ全体の効用を増大させるべく、一部の快楽を削り他の多くの快楽を増加させることは、必ずしも正義とならない。
 人間の尊厳や個人の自由まで鑑みれば、思わぬ落とし穴を感じてしまうのだ。
 悩みにくれる俺に剛は、さらに重要な秘密を切り出した。
「その魔術実験だがな、想い人を犠牲に魔霊界が生き残ったんだが、その際に無から産まれたのが、ジュリア姫なんだよ」
「なんだそれは!?」
「気になるか? なら交渉だ。澪桜、一度、ジパング王やジュリア姫から離れ、魔王側についてみないか?」
「はぁ!? 俺に皆を裏切れっていうのか?」
「一度反対側にも立ってみろって言ってんだよ。見える世界がガラッと変わるぜ。ま、ゆっくり考えてくれ」
 剛は、俺の肩をポンと叩くや部屋から去って行った。残された俺は悩みにくれた。これまでの俺の解釈は、暴走する悪の象徴・魔王ゾーラとそれを食い止めるジパング国王という単純なものだった。
 だが、事実はそう簡単でもないらしい。
 ――犠牲をかえりみない魔王ゾーラの手法は確かに問題だ。だが奴を破壊者に駆り立てるだけの理由は存在する。果たして俺は、どうすべきなのだろう。
 ベッドに転がった俺は、天井の眺めながら答えのない問題について、頭を捻り続けた。

 魔王ゾーラの拘束下に置かれて約二十四時間が経過した。俺は今、剛に案内されアジトの外にいる。
「おい剛、本当に俺を解放して大丈夫なのか?」
 外へ案内する剛に俺は不安が止まらない。だが、剛は大いにうなずき言った。
「澪桜、貸し一つだぜ」
「あぁ、恩にきる。だが、これだけは言わせてくれ。俺は魔王軍の傘下には、入らない」
「別に構わないさ。だが、俺もこれだけは言わせてくれ。澪桜、お前は必ず魔王軍の元に落ち延びる。いつでも席は空いているぜ。ジュリア姫にもよろしくな」
「ふっ、たいした自信だな。分かったよ。姫にも伝えておこう。じゃぁな」
 俺は手を振り、見送る剛に別れを告げた。単身で帰路につきながらも、頭の中は魔霊界のことでいっぱいだ。頭脳をフル回転させつつ、一つ一つ考えをまとめていく。
 ――確かに今の俺は、盤上の駒に過ぎない。プレイヤーは魔王ゾーラとジパング国王だが、いずれは二人を逆に手駒に取って、実質的な覇王になろう。それまでは我慢だ。
 俺は決意を新たに家へと帰っていく。その足取りはどこか軽やかだった。

第一章:https://note.com/donky19/n/n6a87f6c20e46
第二章:https://note.com/donky19/n/n175b331ac0be
第三章:https://note.com/donky19/n/n6199cdd1e360
第四章:https://note.com/donky19/n/n70a31a9e2439
第五章:https://note.com/donky19/n/n08deeb2c8c0e
第六章:https://note.com/donky19/n/nfb081e9f520d
第七章:https://note.com/donky19/n/n44e254e5823c
第八章:https://note.com/donky19/n/ne685072a0b7e
第九章:https://note.com/donky19/n/n6a0c4d9d38d6

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