『【宮台真司×上祐史浩(前編)】なぜ高学歴エリートがカルトにハマるのか?現代日本の問題点と新興宗教について徹底討論 /【宮台真司vs上祐史浩(後編)】無差別事件はなぜ起こる?社会学・宗教学的に分析/日本の未来について討論∶トマホークTomahawk』の感想をまとめてみました

トマホークTomahawk さんのYouTubeチャンネル

【宮台真司×上祐史浩(前編)】なぜ高学歴エリートがカルトにハマるのか?現代日本の問題点と新興宗教について徹底討論

https://youtube.com/watch?v=BEfsAK3LpeA&t=0s

無差別事件はなぜ起こる?社会学・宗教学的に分析/日本の未来について討論

https://youtube.com/watch?v=AtxBuQrdKrw&t=0s

上記前後編動画を視聴させて頂き感想を投稿したのですが、いざ書いてみたら長文になってしまい、まとめて備忘録として記事にしてみました。


★(後編までは視聴していませんが)こちらもとても興味深い動画でした↓

【麻原の素顔】元オウム真理教最高幹部 上祐史浩さんにオウムの誕生から崩壊後まで聞きました
大人の教養TV

https://m.youtube.com/watch?v=SJzSh-KQ4RE


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問題は孤独ではなく『孤独に耐えられない/個を確立しきれない/未分化な自我の弱さ』にあるのではないかと思います。

関係性が腐敗していても、個を確立していなければ環境や関係を識別し取捨選択する事ができません。 

関係/環境の病理に埋め込まれ、支配し搾取する側に回るか依存する側に回るか、どちらにしろ支配依存構造を温存したまま憎悪や抑圧を連鎖/移譲し、圧力鍋の中にそれらを限界まで封じる事になり、最終的には健全な共同体感覚を機能不全にしてしまうからです。

孤独を恐れ忌避するが故にそれに支配されてしまうのです。本来人間は孤独なもの、死ぬときは独りです。それを受け入れられない事が問題の本質だと思います。

人格障害や自己愛攻撃性人格の精神内界構造(外界へ責任転嫁をする外化構造)についても広く周知される必要があるのではないかと思いました。



※(上記のコメントに対して盲点を教えて下さる貴重なご意見を頂いたので、補足を追記します…。ご指摘下さった方には感謝致します。どうもありがとうございました🌳🌿🐱🌱🌲)


◆追記─────────────────

これは強者弱者の問題ではありません。

大人(思春期・青年期以降)の発達段階の問題です。

無理してそうなるのではなく、自然にその様な世界観に発達していく潜在能力が各々にあるのに、それを抑圧し、支配操作搾取の為の現状や環境や関係性に埋め込まれスポイルされてしまう事が問題なのです。

健康的な強さのある自我や自尊心が育まれていないのであれば、必要な段階まで遡り、その健全性を取り戻す為のサポートが必要なのです。

それをサポートされ尊重されなければ、その人はそれを抑圧し、支配操作搾取の為に現状や環境、関係性等に埋め込まれ、スポイルされ続ける事になってしまいます。

彼等彼女等の新しい能力をだめにしてしまっては、本末顛倒だからです。

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■変性意識状態には段階があります


現象自体は普遍的なものですが、それを翻訳/解釈する個人のマインド(PCで云えばOS)側に発達段階があるからです。


変性意識状態に入る人間に『健全な自我の強さ』がないと、深刻な問題を惹起する可能性があります。

安易な自我肥大に陥り集団へ溶解し暴走する危険性についても知っておく必要があると思います。

それはきわめて自己中心的、原始的なものであり、原始的結末を招く力を秘め、宗教やイデオロギー等に扇動されやすく、選民思想や万能幻想の投影、加害侵害虐待行為の正当化等の危険性もあるのです。

未分化な(自他の境界を尊重できない or したくない)まま肥大化した自己愛が、他者の領域を侵食し吸収し侵略することを《愛》《正義》《善》等と正当化し突き進む事は、自身の問題を他者の問題と融合させ巻き込み、その関係性や集団に溶解し更に問題を大きくする事になります。

本来自律性を持った自分自身の問題/感情に対しての責任も放棄し責任転嫁することをも正当化可能な為、問題をより複雑に大きくしてしまうのです。

虐(いじ)め、集団リンチ、戦争の構図にもそれがあります。集団で犠牲の血を求める情動や衝動に溶解し、個々でそれに対して責任をとろうとせず、加害侵害虐待行為を数の暴力で正当化してしまうのです。

そして自他共に融合し、その変性意識で暴力の利益や快楽を得る。集団で襲いかかり暴力の祝祭を楽しむ。あまり表には出ませんが戦争体験者には戦争は楽しかった、という意見も実際にはあります。

共感というものの悪しき側面も、冷静に見た方がいいと思います。共感が権力をもつこととイコールになる。集団の持つ深刻な問題にはこれが関わっています。

自分自身の感情の面倒は自分で看(み)る、自分の責任を自分自身でとるということには、外側にある物事や関係する相手の問題に関与し続けて他者の領域に不当に侵入したりさせたりしない適切な境界線や限界を設定し、自他共に個々の自律性を尊重することも含まれます。

必要以上に相手の面倒を看たり世話をする事で相手の領域に干渉していくことを正当化する事自体が、自分自身の感情の面倒を自分で看れていない、他者との関係を使ってそれを何とかしようとしている、ということでもあり得るからです。逆転移が起きているのです。

自他の境界線が未分化なまま健康的な自我の境界線や自尊心が育くまれていない段階では、先ず『適切な限界や境界設定』が必要です。

外界への果てしない責任転嫁を、適切な形で可能な限り当人へ返し、当人が自分自身でそれを負わなくてはならないからです。健康な自尊心とは自他の感情に適切な境界線を引くことでもあるのです。

人々が健康的な自我の強さや自尊心を持ち、個を確立し、自律した存在として個々人が在ること、それを尊重しサポートする/される事は、戦争のような大きな悲劇を草の根の段階で防ぐ一番の近道なのではないかと思います。





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