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死ねば、面倒臭いことは全て終わり。本当の自分って何だっけ?

朝起きるのも、人付き合いも、眠くなるのも、腹が減るのも、精神を病むのも、心が繊細なのも、自己犠牲で自分を犠牲にしていくのも、いちいち財布と相談して何かを買うのも、楽しいことをしてる最中に終わりがくる虚無感を想像するのも、他人に不快な感情を抱くのも、全て面倒臭い。

世の中を見て絶望したり、クソな自分を見て落ち込むのも、メンドイ。

皆は生きることが面倒臭くないのか?ってよく疑問に思ってる。

自分が良い暮らしをするために誰かを蹴落としたり、それができたら今度は築いた地位を維持するためにまた誰かを踏み台にしたり、それができなかったら自分が誰かの踏み台になって惨めな思いをして、何を選んでも面倒臭いんだよ。

死ねば全部から解放される。早く死にたい。
世界からさっさとおさらばしたい。

死を押さえつけるものは恐怖とわずかな希望。

5%くらい、頭の片隅でまだ自分の人生は日の光を浴びる可能性があるんじゃないかって、思ってる。

35歳のタイムリミットまで、もしかしたら、何かあるんじゃないかって。

死への恐怖は年々薄れてきてる。
まぁ大学生の時 自殺未遂したときも別に怖くはなかったけど。
生きる恐怖に比べたら死の恐怖はまだマシ。

酒を吐くくらい飲んで脳みそを一時的にぶっ壊せば、死ぬ恐怖はかなり無くなる。意識が飛びそうなくらい酒を飲んだ時、首を吊るロープに手が伸びそうになった。

本当の自分ってどれだ?

ずっと素を出せていたら楽なんだけどなー、ってよく思ってるけど。
いや、そもそも素の自分ってどれだ?

シラフでいるときの暗くてネガティブ思考な自分?

酒に酔って笑いのツボが浅くなってテンションが上がった自分?

人と話してる時 普通の人間っぽく振る舞ってる自分か?

どれか分からない。どれも素の自分で、どれも素の自分じゃないような。

仮面をかぶって生活するのも、ダルイ。人間の本性だとかなんとかよく聞くけど面倒臭いことしないでくれないかな。


自分の寿命を誰かにあげれたら良いのにね。

死にたくない人間だって大量に存在するでしょ? その人に寿命をあげれたら、どれほど良かっただろうか。

そうすれば自分の無価値な人生も、多少は有意義なものだったって思える。

「君が無駄に過ごした”今日”は、昨日死んだ誰かが死ぬほど生きたかった”明日”なんだ。」 

っていう嫌いな名言が存在するのだけれど、自分からすれば

「明日生きる誰かが過ごす一日は、自分が死ぬほど死にたかった一日」
って感じなんだよな。

全然上手く言えてないけど。

「生きてるだけで丸儲け」っていう明石家さんまの言葉。

いやいや。

「死んで全てから解放された真の自由」の方が遥かに丸儲けでしょ。



noteはわりと衝動的に、適当に書いてる。
だから後になって消すこともしばしば。



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