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僕は僕に“矛”を配りたい -アメリカ留学奮闘記(後編)-

これはこれは私が2022年の9月から2023年の8月までの1年間、アメリカのボストンに留学したときの奮闘記(後編)である。

*瀧本哲史氏の著書、「僕は君たちに武器を配りたい」の題名と構成を参考に書いていますが、本著の内容と当ブログは全く関係ありません。

1.「何故、数ある武器のうち、”矛”なのか。」

このブログは「僕は僕に”盾”を配りたい -アメリカ留学奮闘記(前編)」の続きである。前編では、2つのセメスター(秋&冬セメスター、春&夏セメスター)のうち、前半の秋&冬セメスターで体験したことを綴ったが、今回は後半の春&夏セメスターに体験したことを踏まえて、今後の自分あるいはこの記事を読んで下っている方々の人生にプラスの影響を与えられることを記録して残していきたい。

前編では、慣れない外国での共同生活や学生生活で打ちひしがれた体験から、自分自身を精神的苦痛から守るための”盾”を配った。

https://note.com/don_juan/n/n90d910ceb03a

特に、前半の学期の最後に行われたビジネスチャレンジと呼ばれる「グループでゼロからビジネスアイデアを創出し、実際に存在しているコンサルティング会社にプレゼンをして勝敗を決める。」と言ったビジネスコンペティションでは、イタリア人のチームメイトと喧嘩し、自分だけ単位を落とすように陥れされそうなった上に、「あいつ(私)はくそだ」と仲間に吹きまれたおかげで多くの友達も失いかけた。

その直後に書いたのが、前編の"僕盾"である。3週間の冬休みが明けて、新学期・新クラスを迎えるにあたり、前期と同じ経験をしないようにと、”盾”すなわち、社会という弱肉強食の世界で生き延びる術を配った。

しかし、後期(1月~7月)を経て、今年の8月16日に卒業した今、少し考えが変わった。

それは、男が持つべきものはやはり”矛”である。”矛””とは即ち、

「周りの人間を巻き込みながら、自分と自分の周りにいる人全員を幸せにし、人生を好転させるもの」である。

前期は1人で黙々と勉強し、課題のレポートを書いたり、試験を受けて、ぎりぎりの卒業最低単位のCを貰っていた。後期も前編で書いた通り、なるべく目立ったりイキったりせず、1人で黙々と勉強して、卒業単位を取得するつもりだった。

しかし、「中二病」という持病の発作が起きてしまい、
授業中に一発かましたくなったり、存在感を発揮したくなり、目立たず学生生活を過ごすのは無理だと悟った。そして、以下に紹介する具体的な3つの矛を培った私は、多くの友達に助けられた。特に後期(1月~7月は)は友達の助けがなければ、単位を落とし、卒業できなかったと思う。

では、私が留学後半に培った、周りの人間を巻き込みながら、自分と自分の周りにいる人全員を幸せにし、人生を好転させる”矛”とは何なのか。

2.「一つ目の矛:周りの人間への圧倒的なGive」

私が座右の銘にしている言葉がある。

”We make a living by what we get, but we make life by what we give"
”私たちは得るもので生計を立てているが、与えるもので人生を作っている”

これは、第二次世界大戦時に首相としてイギリスの勝利を導き、イギリス史史上最も偉大とされている首相、Winston Churchillの言葉である。

前職の銀行時代にこの言葉と出会ったときに、毎日、私の成長のために叱って下さったり、優しく慰めてくださった上司である中村課長を表しているような言葉だと私は思った。もちろん私だけなく、課の全員にクリスマスチキンや誕生日ケーキを振舞って下さり、多くの人から愛されるような上司だった。

私も将来、中村課長のように見返りの求めないギブを与え、自分の周りにいる人を幸せにしたいという思いから、このWinston Churchillの言葉を自分の座右の銘にすることを固く誓った。

アメリカでの留学の話に戻ると、自分が当時シェアルームしていたブラジル人のルームメイトと卒業した後もメッセージを送り合ったりと固い絆で結ばれているのも、お互いがGiveし合った結果だと思う。

彼は毎週のように部屋でパーティーをし、自分が注意して喧嘩になったり、自分も掃除をサボって注意されて喧嘩になったりと色々トラブルはあったが、自分は彼が自分にしてくれたことにはとても感謝しているし、彼も自分がしてあげたことには感謝しているだろう。

例えば、自分はパーティーなどの人が多い場所が嫌いで、授業がないときにはひたすら部屋に籠って勉強しているタイプだった。しかし、そんな内向的な自分を友人宅やバーで催されたパーティーに連れ出してくれたおかげで、多くの友達ができ、英語での会話に全く困らくなったことにはとても感謝している。

一方、私も彼に対しては、週3日間以上は、彼の好きな日本食を振舞った。Youtubeで刺身の捌き方を勉強し、彼が好きなサーモンの刺身を振舞ったりした。

最後の別れ際には、彼は母国ブラジルのサッカーのユニフォームを自分にプレゼントしてくれたり、私も直筆の手紙と彼の好きな日本のアニメのキャラクターがデザインされたシェイカーボトルを渡した。

自分も彼も、お互い見返りを求めてGiveしていたのではない。私は友人関係、恋人関係、家族関係等、すべての人間関係において、片方がTake(見返り)を求めるとその関係性は破綻すると確信している。

何故なら、他人のために何かしてあげるGiveのほとんどは、見返りを望むタイミングで返ってこないからである。

人間関係の悩みやのトラブルのほとんどは

「自分はこれだけ○○(会社)や○○(さん)のために尽くしているのに、見返りが返ってこない、報われない。恩を仇で返されている。」

という思考の癖から来るものであるからだ。

それ故に、「Give&Take」や「返報性の法則」という考え方は危険である。

そして、人間関係に関する悩みやトラブルは、これらのGive&Takeといった考え方を捨て、タイトルにある(見返りを求めない)圧倒的なGiveによって解決することが多い。

これが私の銀行員生活と留学生活を通じて培った”矛”である。

3.「二つ目の矛:”俺ならどんなことでも乗り超えられるというマインドセットとそれを実行する勇気”」

後期になってクラスが変わってから、同じクラスメートのケアラニちゃんというアメリカ人の女の子に片思いしていた。その子の両親かその祖父母が日本人で、見た目がほぼ日本人で、苗字も日本人の性であった。
メイクが、ザ・アメリカ人みたいな厚化粧もあって、見た目が完全に渋谷のガングロギャルのようだった。

何故、私がその彼女に片思いしたかというと、

「見た目が渋谷のギャルっぽいのに、めちゃくちゃ頭が良かったから。」である。一言でいうと、ギャップ萌えである。「ギャル=馬鹿」という偏見が故に、無意識のうちに彼女のことをバカだと思っていた。

しかし、彼女がチーム課題のクラス内プレゼンで、他の男子生徒を差し置いてプレゼンをリードし、めちゃくちゃ流暢な英語でプレゼンしている姿も見て、心を奪われてしまった。見た目は日本人だが、アメリカ育ちのネイティブなので、英語が流暢なのは当たり前であるが。

私の通っていたHultでは、基本的にそれぞれグループが割り当てられ、授業の座席もグループごとに割り振られている。グループ課題や授業内でグループワークがあるときも基本的に、グループで行動することになっている。

しかし、ごくたまに、授業内で即興でグループで割り振られ、その授業内でプレゼンをするというワークがあった。

今でも忘れないのが、とある授業内の即興で割り振られたグループが、私が片思いしていた渋谷のギャルの見た目をしたケアラニちゃんと同じだったのである。
そのグループワークでは12人ほど集められ、20分間チームでディスカッションをしながら、5分ほどで1~2人が代表して発表するというもの。

しかも、グループワークの内容が、その当時破綻したシリコンバレーバンク(以下、SVB)を買収したファースト・シチジンズ・バンクはどのように当事者へ対して、買収責任を説明するべきかというもの。

私は、元々留学する前は、M&Aによって経営統合したばかりの地方銀行へ勤務していたので、このトピックに関しては、誰よりも知見があると確信していた。

天は自分に味方をし、ケアラニちゃんにアピールする絶好のチャンスだと確信した。

いざ、グループで集まってディスカッションが始めると同時に、自分から話を切り出した。M&Aによる生じ得る課題やその解決法や対策。

渋谷のギャルの見た目をしながらもリーダーシップのあるKちゃんも、私の話に食いつきながら、話をまとめていった。もちろん、自分は銀行による経営統合によるメリットやデメリットを熟知していたので、文法ガン無視のカスみたいな英語で話に入っていた。恐らく、約20分のディスカッションのうち、15分くらいは自分がが喋り倒していたと思う。

そして、発表の時間がやってくる。プレゼンの時間は5分前後と限られ、かつチームのメンバーの数が多いので、誰かが代表してプレゼンしなければならない。

普段のチーム課題でのチームプレゼンでは、自分が話す内容の原稿を予め用意して臨むのだが、今回は原稿がないためフリースタイル(即興)でプレゼンしなければならない。

ディスカッションの時にあれだけイキって喋り倒したのに、英語が苦手だから発表はしないなんて、男としてくそカッコ悪すぎるという思いと、フリースタイルでの英語のプレゼンなんて自分が出来るわけがないという思いが交錯しながら、葛藤した。

しかし、タイトルにある

”俺ならどんなことでも乗り越えられるというマインドセットとそれを実現する勇気”

を持って、プレゼンは俺が代表してやると自ら名乗り上げた。ただ、やはり全部自分がプレゼンをしたら、支離滅裂の取り止めの無いものにないものになってしまうので、前半は自分、後半は渋谷ギャルのケアラニちゃんによって担当してもらうことになった。

100人以上入るであろうばかでかい会場で、12人のグループを代表して私はプレゼンを始めた。恐らく、私のプレゼンを聴き始めたクラスメートの全員は、

「何で一番英語が下手くそなコイツがプレゼンをしているんだ」

と思っていただろう。

途中、言葉が詰まったりしながら自分のパートのプレゼンを終え、渋谷ギャルのケアラニちゃんにバトンを渡した。一人で全部プレゼンすればカッコよかったが、それでも一番英語がへたくそ自分が、自ら名乗りを上げて壇上の上でプレゼンできたことは誇りに思う。

そして何より嬉しかったことが、同じグループで一緒だった、それまで一度も話したことがなかったインド人の子が

「プレゼン素晴らしかったよ。俺の名前は○○。これからもよろしく。」

と言い、握手してくれたことである。

私はこのグループワークやプレゼンを通して確信した。

「できるかできないかなんて関係ない。」

「自分ならどんなこともできるというマインドセットとそれを実行する勇気こそが、自分と周りの人を巻き込み、人生を好転させる矛であると。」



4.「三つ目の矛:バカになれ」

今振り返ると、前期で自分がグループワークで省られたり、友達ができなかった理由は単純明快で、友人やクラスメートにTake(見返り)を求めていたからである。これは冒頭の圧倒的なGiveとつながる話である。

前期の秋・冬学期には、「英語ができないJap(ジャップ)でも、頭が良いことを見せつけたい。存在感を発揮したい」という承認欲求から、グループワークでも自己中心的な言動や、自分の意見が無視されると不機嫌になったりと、まるで子供のような振る舞いをしていた。

しかし、後期は英語だけでなく、他の人よりも勉強もできないことを受け入れ、バカになることに徹した。

バカになるとはどういう事か。次のように定義する。

「プライドを捨てて、周りの人を楽しませること。」である。

後期の最初のグループは、自分以外エリート集団だった。理系出身のインド人2人に、成績優秀者であるスペイン人、ほぼ英語ネイティブに近いペルー人。かつ、授業の難易度もかなり上がり、エクセルを使って膨大な量のデータを分析する内容が多く、ド文系の自分にとって、彼らのディスカッションの内容にまったくついていくことができなかった。

だから、自分はディスカッションで発言やアウトプットをして貢献できなかったので、バカになってチームの雰囲気をよくすることができなかった。バカになってチームの雰囲気を良くすることに徹した。

例えば、グループにスペインやペルーなどのスペイン語話者が多かったので、ミーティングで雰囲気が悪くなった時には、デスパシートという世界で最も有名なスペイン語の歌を熱唱したりした。

また、「さっき学校の前歩いていたらさ、中国人の可愛い子に話しかけられて、これ逆ナンじゃね?とうとうアメリカのボストンでも俺のモテ期来たか~と思ったんだよ。そしたら、よく分からん紙渡されて、見てみたら宗教の勧誘だったわ。泣いていい?」

とかいうくそどうでもいい話をミーティング中に話したりした。

そうして、バカを演じることに徹したことにより、自分が何を話しても笑いが起こるという最強の状況を創り出すことに成功した。

バカになりきったからこそ、授業中に英語がへたくそでも手を挙げて発言することできた。何故なら、バカだからである。

ある時、リーダーシップの授業で2回手を挙げて発言したことがあった。そしたら、教授が私の発言をスルーしてこう言った。

「あなた前よりも発言するようになったじゃないか。素晴らしい。」

そして、自分のところへ来てグータッチをすると、クラスで拍手が沸き起こった。何故なら、教授も他の生徒も、日本人が英語が下手くそで、シャイなのは知っているからである。

そのときこう確信した。

「バカになることが、プライドを捨てて、自分の可能性を広げることができる。そして、周りの人間へ対してもポジティブな影響を与えることができる。」

そして、前期のグループワークで発言しまくって、喧嘩した挙句、自分だけ単位を落とされそうになったときとは打って変わって、後期のグループではチームメンバーの一員として全くアウトプットできなかったのにも関わらず、他のメンバー自分のことを評価してくれたのだ。

そして、冒頭でも話したとおり、個人課題のときには多くの友人に教えてもらったり、助けてもらえたおかげで、何とか単位を取得することができたのである。

5.まとめ

よくネットで、MBAやビジネススクール留学はペイ(元が取れる)するかどうかという議論を目にすることがある。もちろん、実際に留学した人は、年収何千万円の外資系投資銀行やコンサルティングファームから内定を獲得することができた故に、ペイすると主張するであろう。一方、MBAやビジネススクールに何千万円を払わなくても外資投資銀行やコンサルファームに入る手段はいくらでもあると主張する人もいるだろう。

ただ、私は人生における重要な決断をペイするかペイしないかというものさしで計ろうとする考え方はあまり好きでない。言わずもがな、経営や金融の世界では、元が取れるか取れないかが重要なのは間違いないが、その考え方を自分の人生や私生活にまで転用している人で、魅力的な人に出会ったことが見たことがない。

これは自分への戒めであるが、損得を考えているうちに人生あっという間に終わっていく。自分にできるかできないかで行動を起こすか迷っているうちに人生あっという間に終わっていく。

したがって、

「自分がやりたいこと」と「自分が出来ること」を突き詰めて、冒頭に紹介したWinston Churchill の言葉を体現する魅力的な人間になっていきたい。


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