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稲妻のような真実を

まっしろなワードの画面、またはノートブックを前にすると、期待と緊張でピリッとします。それは畏れにもちかい感覚で、いちめんの積雪を前にした朝のようでもあります。

書くということは、彫り出すことにも似ていると思います。新雪のかたまりを彫っていって、いずれ美しい像が顕れると信じ、不可能にも思える挑戦に手を伸ばす。言葉で語り尽くせる範囲など限られているかもしれないのに。

しかし、そうして彫り出したものが、真に美しいものであったとき、私は喜ぶのです。なんど見返しても愛おしい、てんしのような言葉たち。私はそれを愛します。

そして、真に美しいことばとはなんでしょうか。少なくと私の価値観から述べさせていたたきますと、切なる言葉ということになるでしょうか。その人が何回も何回も想い、または考えたものの集積。そうでなければ稲妻のような鮮烈な一瞬間の感覚。その人がどうしても記さなければならないと迫られたもの。いくら言葉にしてもあふれ出してしまう、とめどない感情や愛。事例を挙げていけばきりがありせん。


けれど
歳月だけではないのでしょう
たった一日っきりの
稲妻のような真実を
抱きしめて生き抜いている人もいますもの

  「歳月」茨木のり子『茨木のり子詩集』岩波文庫より

茨木のり子の詩集のなかでは、この詩が収録されている『歳月』がもっとも好きです。死後発見、発刊された亡き夫への愛の詩集。茨木のり子と夫との生活はたしかに「たった一日っきりの / 稲妻のようような」ものであったかもしれません。けれどそこには「真実」があった。そしてそれを「抱きしめて生き抜いている」人としての茨木さんであったのでしょう。彼女は真実をきっと、見きわめたのです。それを成就ということもできるかもしれません。


あなたのかたわらで眠ること
ふたたび目覚めない眠りを眠ること
それがわたくしたちの成就です

「急がなくては」茨木のり子『茨木のり子詩集』岩波文庫より

私は、これらのような言葉こそを真に美しい言葉だと思いました。きっとガサツな口ぶりでさえ、誰かにとっては真実になる。そもそも茨木さんは俗語をとても上品にもちいるひとでしたね。

ああ、私もそのような言葉の中に生きたい。真にうつくしい生存を生き抜きたい。そう思わざるをえないのです。茨木さんのような言葉を読むと。そういえば、茨木さんの詩の中で、忘れられない一節があります。それを引用して、本日はこのとわずがたりを終えたいと思います。


立居振舞の美しい
発音の正確な
素敵な女のひとと会いました
そのひとは私の背伸びを見すかしたように
なにげない話に言いました

初々しさが大切なの
人に対しても世の中に対しても

  「汲む」茨木のり子『ポケット詩集』童話屋より


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