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抜錨

私の声を聞いてください。私の声を聞いてください。私はきらきら町に住んでいる歌と詩が好きな18歳です。名前は高畑彩です。友達からは綾鷹と呼ばれています。私の声を聞いてください、私の声を聞いてください。私は初めてきらきら町商店街で路上ライブをします。何かが変われると思っています。私はあたらしい倫理を探し出さなければならないのですから。教室は嫌いです。嫌いでした。大学には滑り止めで合格しました。学部は親が言ったところを選びました。私は自分の体からあふれる音楽を否定できない。ランボオと言う詩人を卒業前に始めて『識り』ました。堀口大學も小林秀雄の訳も全部糞くらえ。中原中也の訳だけが正継だとそのとき知りました。少なくとも行分け詩は。


繊細さのために、私は生涯をそこなったのです。もしくはいやったらしい純粋さのために、私は青春を損なったのです。私は歌いたい。自由がない。私は歌いたい。心臓がばくばくと鳴っている。私は歌いたい。私は自由がある。私の声を聞いてください。


何年も書き溜めた詩が、私の愚かさを証明する手段です。まだ半年も練習していないアコースティックギタ―が、私の若さを証明する手段です。私は発さなければなりません。いつのまにか、どう言った訳かは分かりませんが、言葉が力を持ったらしいんだ。人を殺すのも護るのも、言葉一つでできるようになったと知って、私は狂喜しました。私は私の人生を歩める。私は私の友を護り、私は私の敵から受けた呪いを、祝いでめちゃくちゃに荒らすことが、できる。(私は言葉で人を故意に殺すようなことは絶対に、ぜったいにしません。私は祝います。どこまでも祝います。生まれてきたことを、この世にあなたがいることを。鼓動が高まって、眠ることのできない夜が何度でもあったことを。私がここに立っていることを。私が何度でもこれから、恋をするであろうことを。なんどでも体をひらくことがあるだろうことを。季節が巡ることを、四季のいっさいを、恐ろしいほどにしんとした夜の雨を、喝采のごとく鳴り響く蛙の合唱を、この世から音楽が消えないことを、熱狂を、喝采を、暑中見舞いを、初夏を、春を、梅雨を、私を受け入れた世界の一切を。神さま)


私は生きていきます。私は、これから歌います。私の声を聞いてください。私の声を聞いてください。美しいものとはここから始まるのです。きらきら町の終わらない鬱屈を、私は哄笑へと変えるために歌うのです。私の終わらない人生の鬱屈を、私は大笑いに変えるために歌うのです。わかりますか、人は千代の過客、うつくしいものとはここから始まるのです。ことばが力を持ち始めたのは、私が怒りを心行くまでに研ぎに研いだから。ポップアンドミュージック。私は歌う。高尚な音楽が、人間の欲望には欠けている。私は戦う。俺の馬鹿らしい、青春の辞世を謳う歌を聞け!


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