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新卒で自由業(フリーランス)となるのは随分と敷居が高いことを認識してもらいたい話

はじめましての方から頻繁に起こしいただく方まで、ようこそ。 どうも、ゑんどう @ryosuke_endo です。

このnoteでは、特に読む必要がないと感じられることかもしれないけれど、ぼくがだれかと対面して話したい”雑談”を文字化するものなので、そんな雑談にお付き合いくださる方は、ぜひ読み進めてください。

はじめに

「好きなことを仕事に」とか「サラリーマンなんてダサい」といった無責任な風潮もあるだろうし、傍からみると甘美な響きがあるから聞き耳を立てたくなるのはよくわかる。

学生生活を終え、社会人としての一歩を踏み出す瞬間から自由業(フリーランス)になることの是非について考えてみたい。

ちなみに、ぼくは新卒フリーランス(自称)となった人間である。

自由業者(フリーランス)≠フリーター

以前、「自由業とはフリーランスなのかフリーターなのか」と題したnoteを書いたが、そこでも記載したとおり自由業者(フリーランス)と自称できるのは専門的な知識や技術を有しながら企業と雇用契約を結べるけど結ばないヒトのことだ。

この「雇用契約を結べるけど結ばない」点が重要なのだ。

就職や転職をし、企業から雇用契約を持ちかけられればいつでも雇用契約を結べるだけの専門的なスキルなり経験、知識を有していながらも、それを敢えてせずに時間や場所に縛られない働き方を選択している。

これが自由業を生業とするフリーランスの特徴だ。

反面、フリーターとは「一般的な知識や技能(スキル)」で自由な働き方をするヒトを指す。専門的な領域に関する知識や経験、スキルの面でフリーランスとフリーターの間には大きな隔たりがあることは理解したいところだ。
商売とは情報の非対称性を利用する駆け引きだ。

一般的な生活者では得られない情報や知識、それらを駆使した経験から得られるスキルを基にサービスやプロダクト(製品)を提供することで売買を成立させる。

魅力的なプロダクトや製品でない場合、いくら金額が安価であろうがヒトは手を伸ばして確認もしなければ、料金を支払って購入することなどもってのほかだ。

インターネットやソーシャルメディアの発展、技術的な発達により情報の非対称性をつくり出すことが難しくなってきているいま、フリーランスとして活動するのは決して容易なことではない。

「見た目はフリーランス、稼ぎはフリーター」といったコナンくんもビックリな自称フリーランスがいることも想像に難くないのは言うまでもないだろう。

自由業者として活動するためには相応の知識や経験、さらには専門的なスキルを併せ持つだけでなく「顧客を抱えることができる」点が最も重要で、フリーターには成すことができないことを改めて強調しておく。

いい加減な助言をする大人に飲み込まれないで

ぼく自身が新卒フリーランス(実質的にはフリーターに近かったのは否定しないが、それ)になったのは自らの実力と過大評価していたからに他ならない。

自分ではできると思っていたとしても、客観的に見たら何の変化もつくりだせないイキってるだけのカッコ悪いことに気づいてもいない痛々しい若者であったのだ。

スポーツトレーナーとして契約先を見つけたのはよかったが、そこから次の契約を結ぶには至らず、結果的に他の優秀なトレーナーに契約を奪われた末にバイトなどを併用することで生きながらえる他になかった。

そこから会社員生活を送るようになったわけだが、何よりも法人や組織から「雇用契約を結ぼう」と言ってもらえることに安堵したことを鮮明に覚えている。

それまでに自分がしてきた活動を評価してくれただけでなく、ぼくが入った際の計画や企画を考え、正式にオファーとしてくれた当時の雇用主には本当に感謝している。

そこから点々としながらも短くはない会社員生活を送るキッカケになったし、あのオファーがなければ…と思うと背筋が凍るような心持ちにもなってくる。自信も自尊心も自己肯定感もボロボロになっていた。

いま、ソーシャルメディア上では「好きなことを仕事に」とか「就活ダサい」といった言説が目に入ることもある。多数派ではないことを承知の上で述べるが、そんな他人の人生に責任も取れない人間がいい加減な助言を与えるべきではない。

合理性を獲得するための無駄」の中で、イチローの言葉として「無駄なことをしないと合理的になれない」を紹介した。

客観的に見るとムダに思えることでも、実は合理性獲得のためには不可欠な要素だったりする。プログラマの三大美徳に「怠惰」「傲慢」「短期」があるが、怠惰とはムダなことを省略したいと思える性質のことを指す。

上記のイチローも、プログラマの抱える「怠惰」な性質も、本質的にはつながっているのではないか。

スリムに、スムーズにフリーターではなく自由業者として働きたいのであれば、ムダを知ることも大事な素養なのである。

おわりに

一重にムダというと語弊があるかもしれない。

就労し、会社員として身銭を稼ごうとするヒトたちがすべてムダなことをしていると言うつもりは一切ない。ただ、ムダな仕組みやムダな工数をサクような事態が発生していることはあるだろう。

出勤簿と称し、ただただシャチハタを押すだけの労務管理や紙での提出を義務付けている超過勤務申請(残業申請)、印鑑がなければ承認されない社内稟議など、「それっていります?」と聞くと根本的な存在意義を誰一人として答えられないものが組織にはどうしても発生してしまう。

ぼくはそれらを総称してムダとした。

たとえ新卒フリーランスになったとて、相手方にそういった事情があることを認識できていないのだとしたら、仕事のススメ方が変わる。ただただ納品すればいいのではなく、相手の状況や事情に合わせた進捗を図ることも自由業者にとっては大切な素養なのである。

それはムダを知ってるかどうかによって対応できるかどうかが変わるといえる。これは大言壮語でもなんでもない。

会社員として組織のムダや業務過程での憤りを体感しているからこそ、中のヒトたちの苦労を推し量った業務対応が可能になるのだ。

新卒でフリーランス。一見するとかっこよさそうだし、名乗れたらちょっとモテそうな気もする。違う、それは勘違いだ。

「それ、フリーターだよね」と言われても否定できるだけの稼ぎを出せなければならない非常で過酷な環境である。

このどうでもいい文章が、未来ある若人の目に届き、生き急いで誤った判断を防ぐことにつながるのだとしたら、これ幸いだ。

ではでは。

ゑんどう

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