誰かの享楽が誰かの負担によって成り立っている事態は任意団体において無くすべき
我が家の長男くんは、これを書いている時点(2023.05)において不登校状態です。別に、それ自体は何が問題だとは思っていません。彼の問題だとも思っていませんし、学校の問題だとも思っていません。
強いていえば150年以上も連綿と続いてきている教育法上の問題であり、学校制度における問題だと捉えているため、現場の教職員に問題を押しつけたいとも思わないし、彼らだけで解決できるものでもないと認識しています。
そんな長男くんの境遇を前提に話を進めますが、たまたま「クジ運」によってPTAの役員(学年委員長)を世帯として担当することになりました。
PTAに対しては「無駄なことはやめてしまえばいい」と無責任に思っていたため、まともに参加すると空気を乱すことになるだろうことは想像に難くなかったのですが、新参者ですから、ひとまずは落ち着いている次第です。
そんな矢先、教職員の歓送迎会をPTAが主催するって現場に居合わせる機会がありましたので、あくまでも個人の雑感を記しておきます。
ただ、歴々と連綿と継続してきたPTAの役員方を否定するつもりではありませんが、結果的に否定することになってしまうかもしれませんが、あくまでも「個人の雑感」ですので、その点をご了承いただける方は読み進めてください。
どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。
任意団体だからこそ"汗をかく人"は明確にすべき
歓送迎会。
新たに組織に参画してくれた人たちに向けて、「ようこそ私たちの組織へ」と迎え入れるための機会であり、これまでに功労してくれた方々に向けて慰労と感謝を伝える機会ですよね。
ボクも今年で齢40になろうかという年齢に差し掛かっている人間ですから、これまでに数多の歓送迎会や飲み会の場に参加してきましたので、それぐらいは把握しているつもりです。
しかし、なぜ、教員の歓送迎会をPTAが主催するのかを理解できていません。そんなもの、教員が企画・主催すればいいはずで、自らの組織に歓迎・送迎する人間に向けた手向けの機会なのだから、自分たちで主催することが筋でしょう。
百歩譲って、PTAが主催することを許容したとして、なぜ、そこに属する人たちが汗をかき、お酌にまわる必要があるのか。
教職員たちに向け、誰の杯が空いており、誰が1人でいるのかを見定め、すかさずに酒を持ち寄っては何気ない会話を進めなければならないのか。
ちょっと冷静に振り返ってみます。
PTAは任意団体であり、体裁としては希望する人たちが運営する団体であるはず。役員(この呼称もおかしいでしょうが…)だからといって、年長者、歴任者におもねるような態度を好きでもないのにやるべきなのかどうかは再考した方がいいんじゃないでしょうかね。
その役割を担っているのは性別で言うと女性しかおらず、受付から目配せをする人たちは原則的に女性しかいない、と言う時点で昭和の価値観が全開なわけです。
そんな風景を目の当たりにし、正直、絶望的な感情を抱いたのはいうまでもありません。
イヤイヤ参加せざるを得ない状況は是正すべき
もう一度言います。上記した通りPTAは任意団体です。
個人が「任意」で参加する組織なわけです。任意ってことは、参加するもしないも個人の、ひいては世帯の判断に委ねられていることを意味し、強制的に参加させられることは任意団体ではありません。
「そんなことを言い出したらPTAなんて回らない」
仮にそうなのだとしたら、そんなPTA、潰してしまえばいいじゃないですか。誰も任意で参加したくないような組織体制になっていること、それ自体が問題なのです。
任意団体である以上、PTAには加入したいと思えるだけの理由が必要であり、子どもが属する世帯に明確な動機がなければならないはず。
それを「児童(子ども)のため」と両親の犠牲を強いるようなことがあってはならないはずで、お酌や場の空気や運営を必死に回そうとする人たちが「仕方のないことだから」と諦めながら参加すべき組織ではありません。
もし、こういった状況が全国の小学校や中学校でまかり通っているのであれば、即刻見直すべきだろうとは思うのですが、おそらく歴々と続いてきたからこそ、また、これからも続いていくことがわかっているからこそ「変えること」が難しいのでしょう。
仮に、任意団体として丁寧に表明した上で加入者に説明したとして、それによって加入者が激減し、活動規模を縮小せざるを得ない状況になるのだとしたら、それこそ歴々のPTAが果たしてきた"功績"だといえることでしょう。
そんな誰も参加したくない、くじ引きで運任せの担当や役員決めなどしている時点で、根本的に破綻していることを認識すべきです。
PTAの存在意義と目的を明確にすべき
こういったことが、このどうしようもない在宅フリーランスと名乗っている引きこもり失業者が書いていることから露呈していることから分かる通り、可視化され、忌避される事態に陥りやすくなっていることは多くの人が把握すべきではないでしょうか。
これを書いたからといって、何かが好転するわけでもなければ、大きな変革が起こるわけでもないことは百も承知です。
承知の上ではありますが、そういった「誰かの負担を強制的に強いることによって成り立っている任意団体」なんて継続するだけ無駄だと思える人が増えないことには本来的な意味における子どものためになりません。
少なくとも、ボクはそう思うのです。
小学校や中学校の運営(教育法上)だけでは賄えない学校運営の補助をすることがPTAの役割であるはずで、そこには「善意」に甘えるような態度があってはならないはずです。
大切にすべきは児童や生徒たちであることに異論はないのですが、PTAで負担を強いられる人材の家庭には、その当事者である児童や生徒、学生がいるわけで、その家庭の都合が無視されていいことはならないでしょう。
もし、仮にそういった負担を強いることが常態化していて、その世帯に負担が強いられるような状況を生んでいるのだとしたら、それはPTAの存続するための理由になるのかどうか検討した方がいいのではないでしょうか。
「これまでがそうだったから」では済まされないのが現代であるはずなのに、悪しき前例踏襲がまかり通っているのだとしたら、それは断罪すべき対象であり、即刻、是正されるべき事象なのではないかと強く思う次第でございます。
おわりに
こうやって書いてきたので、ボクは随分と過激な変革希望者なのだろうと思われる方もいるかもしれませんが、そんなことはありません。
なぜなら、そういった歴々と続いてきた組織ほど、急激な変化を起こすことに大きな軋轢が生まれることを把握しているからです。
でも、です。
知ってますか。人間って、みんな死ぬんですよ。
そして、子どもたちとの時間なんて、あっという間に終わるんですよ。
人生が100年だとして、まともに子供達と濃厚接触できる時間なんて、せいぜい10年から15年しかありません。
その時間の数年ほどを嫌々ながら過ごすことって、大いに無駄で不要なものだ、とボクみたいな人間は思ってしまうのです。
その善し悪しは分かりません。わかりませんが、単一の存在だけが汗をかいているのに、のうのうと酒だけを食らっている存在がいていいとは到底思えません。
それ、誰にとっての必要な活動なんですか。
ボクに納得のいくように答えてくれる人、ぜひ、教えてください。
ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)
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