自らの幸福を他人に委ねる他責思考な人には近寄ってきてほしくないって話
「生殺与奪の権を他人に握らせるな!」と、あるマンガの主人公を叱咤した男がいましたが、このセリフは誰に向けられているのかといえば読者である我々にこそ向いているのではないかと思っています。
自分の人生に責任を持ち、他人のせいにしないこと。何より、自らの幸福を他人に押しつけるような他責思考でいるんじゃない。そんな風に聞こえてしまうのは、ボクが他責思考な人間に嫌気が差したからでしょうか。
ボクは他責思考な人はどう考えても幸福にはなれないと思っているのですが、他責思考な人は他責思考だから自らの他責思考を責められたとしても気づくこともなければ自らを変容させることもありません。
なぜなら他責思考だから。
こう言う人には、ぜひ半径50km圏内に近づいてきてほしくないと願って仕方ないのですが、他責思考だから平気な顔して近づいてきます。拒否や拒絶をしたところで他責思考だからわからないのです。
他責思考な人が幸福になれないと断言してしまうことは少し憚られるかもしれませんが、その理由と対処法について考察してみたいと思います。
どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。
他責思考=生殺与奪の権を他人に握らせている
まず、他責思考がどんな思考なのかを説明する必要があるかもしれないな、とここまで書いてきて気づきました。
他責思考とは、自分の失敗や問題を他人のせいにする思考習慣のことです。
自己責任を放棄しているため、周囲とのギャップは自らの不勉強等によって引き起こされるものではなく、そういった不勉強な状況を生み出している自分以外の要因の責任であると断定するような思考をします。
平たくいえば、自己評価が極めて主観的で自己中心的なのです。他人からの評価を信用せず、自らの評価こそが絶対正義であると信じて疑いません。自分以外の存在はすべて自らを崇め讃えるべきだとすら思っているような節を感じることさえあります。
他責思考をすることは非常に楽でしょう。
自分の幸福を他人に委ねていればいいんでしょうから、自分は何をしなくても幸福になれる権利を持っているはずで、自分以外の人間は自分を幸福にする義務を負っていると考えていればいいんですから。
ただ、ここまでお読みいただいた方は気づいてらっしゃるでしょうが、そんな人間が幸福になどなれるはずがありません。
自分の幸福ですら他人に委ねるようなことをしているので、それこそ生殺与奪の権を他人に握らせている主体性のない愚者だと断定してしまいたくなります。
幸福は自分で定義するもの
そもそも、幸福は誰が決めるものでなく自分で定義するものです。
結婚をしたら幸福になれるわけでもなければ、結婚式が幸福の絶頂なわけでもありません。結婚はあくまでも紙ペラ一枚で済む作業でしかなく、幸福になるための行動を模索していくことが結婚生活でしょう。
別に結婚をしていようがいまいが関係なく、幸福感を得ることが上手な人は「自分が何をしたらうれしいのか」を把握している人であり、ちょっとした幸福感を噛み締めることが上手な人だといえます。
たとえば、朝起きたら朝日が心地よくてうれしい、とか。それだけで幸福感を得られるように定義づけられているとしたら、毎日が楽しいでしょうしうれしくなることでしょう。
朝をただ毎日くる時間的なものだとしか認識していなければ、朝日がまぶた越しに入ってくることを喜ばしいとも思えないでしょうから、そんなことで幸福感を得られるようなことはあり得ません。
しかしですね。
誰でもない、自分だからこそ、自分で何をうれしく思うのか、何をしたら幸福に思えるのかを把握し、自らの幸福を定義づけしていなければ幸福になどなれるはずがないじゃないですか。
ゴールもない50m走を走れっていわれたら困るはずで、何をもって幸福とするのかを決めてもいない状態で幸福になれないとボヤくのは、ゴールも決めない50m走を走ることと同義なのです。
交流を遮断する他にないけれど…
自分の幸福を決められないだけなら模索すればいいし、何をしたらうれしいのかを探ることからはじめればいいのですが、決められないだけでなく探すことも放棄して他人から幸福にしてもらおうとする人っています。
いつまでも、いくつになっても他人の責任にしかできないんだから、自分の価値観を押しつけ、そこに従わない人間は「ダメな人間」や「役に立たない」と切り捨てては、自らの幸福に貢献せよと無言ながらに迫ってきます。
そんな人とは関わりを持ちたくないし、一切の交流を遮断するに越したことはないのですが、他人に自らの幸福を求める他責思考な人は人の生き血をすするゾンビかの如く追いかけてくるのです。
やめてくれ、もう勘弁してほしいと懇願したところで無駄で、自らを満足させるよう圧をかけてきては満足できないことがあれば怒り出してしまいます。
そんな態度に嫌気が差し、こちらの態度が悪くなろうものなら、失礼だなんだと文句をつけてきて、さらに不快な感情を抱いてしまいたくなるのですが、それが自らのせいだとは微塵も思いません。
もう対処法としては、ブロックする他にないのです。
物理的にも心理的にも完全にブロックして交流どころか情報自体を遮断する他にありません。それ以外に方法がない、というところも含めて、非常に面倒な相手であることに違いありません。
おわりに
こういった他責思考の人に出くわす度に、ぼくは自分がそうなっていないのかどうかを振り返ることにしています。それはもう、恐怖でしかありません。
仮に自分がそうなったとして、その被害を全面的に受けてしまうのは家族でしょう。
家族がボクのことを本当に迷惑な存在だと認定している状態で過ごしていることなど想像しようものなら、背筋に冷たい汗が走ります。
確実にそうはなりたくないと思うものの、そういった人は今日も元気に他責思考を振りまいて生きているのでしょうから、それもまた背筋が冷たくなる思いです。
みなさん、そんな人は可能な限り避けていきましょう。
ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)
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