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不登校となった長男くんとの2年間を振り返る「登校できることがすべてじゃないけれど」

どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

2年前の2021年10月、いわゆる行き渋りのような状態が発症し、徐々に頻度が高くなってきたかと思いきや、11月に入ると起床時の腹痛を訴えてくるようになったり、起き上がることができなかったりするように。

あれよという間に、欠席日数がかさんでいき、彼は不登校となりました。

そこから2年が経過したいま、彼は在籍級を特別支援級に替え、地域のフリースクールにも通っています。それらの行動や判断の一つひとつが影響したのかどうかはわからないものの、先日、彼が自らの意志で「学校に行く」と言い出し、勇足で登校していく背中を見るに至りました。

それが継続するかどうかはわかりませんし、何が良くて何が悪かったのかも判断できませんが、本人が学校に安心できる環境と状況があることを認識し、居場所を感じられるようになったのであろうことを踏まえると、これまでの接し方や態度などは不足しているところもあったでしょうが全体を通してみるとよかったのかもしれません。

紆余曲折ありながら、なんて書くと終わったような物言いになりますが、おそらくこれからも「渦中」なのであろうとは思いつつ、これまでを振り返ってみようと書きはじめた次第です。

不登校の原因…を知ろうとする姿勢が大事

不登校となる原因をわかっている、わかる家庭は決して多くはないでしょうね。我が家だってそうでした。

我が家の長男くんの場合は、「なんでだろうね」なんてことを本人を含めてよく話し、さまざまな検査等を踏まえて一定の結論みたいなところに行き着くことができましたが、不登校になった瞬間や直後などは理解や把握することはできなかったのはいうまでもありません。

でも、それ(不登校って状況)を拒絶したところで何にも解決しません。

不登校に至ってしまった経緯を模索すること。これしかないんですよね。できることって。

もちろん、小学校低学年の頃から不登校といった状況となると、子どもを自宅に一人で残しておくわけにもいかないから働き方を考えなければならないし、場合によっては仕事を辞めるって決断をしなければならないでしょう。

我が家の場合、ぼくが柔軟な働き方を選び、しがない個人事業主として細々と活動しており、妻さんからは「引きこもりの失業者」なんて二つ名をもらうに至りましたが、生活様式を彼の状態に付き添うことから始めなければ向き合うものも向き合えなかったのも事実です。

結局ね、本人も「なんでいけなくなったのか」をわかっていないので、一緒に悩むしかないんです。なんでだろうねー、どうしてだろうねー、ってアホみたいに「不思議だねー」なんて言いながら、言葉の端々にある違和を探すことの繰り返しです。

我が家の長男くんは、過集中というか丁寧に板書をするって若干のASD(自閉スペクトラム症)気質があるため(WISK-Ⅳの結果より医師がそう判断しました)、集団での授業進行についていくことができないことが断続的に続いた結果、クラスで過ごすことにつまづいたことが大きな要因であることがわかりました。

ここに至るまで1年かかりましたが、それがわかるまでに模索をしてきたからこそ、どんな要因や原因があるのかを把握することができましたし、それが線としてつながっていたことも実感することにもなりました。

また、1年で大きな要因がわかったのも運がよかったと言えるでしょう。

不登校って言葉は嫌いですし、学校システムの傲慢さを表すような言葉になっているとすら思いますが、その状態に陥っている児童や生徒の困りごとを模索することができるのは家族だからだと、ぼくは思うのです。

家庭以外の関係性をどう築くか

学校に行けないことによって失うものがあるものは何か。

学習進度についていけないこともひとつです。ここを気にされる方も多いことでしょう。我が家でも、妻さんは心底、心配をしている様子でしたし、ぼくだって気にしなかったわけではありません。

ただ、それ以上に気にしなければいけないなと思ったのは「社会性」です。

学校に行くことで仲のいいクラスメイトもできるでしょうし、その人たちとの会話は本当に何気ないものだったとしても積み重ねることによって相互に信頼関係を育むことになります。

仲のいい人たちだけではなく、どうしても折りの合わない人とも共存していかなければなりません。

好きな人もいれば苦手な人もいる中で、どう充実させていくのかを模索することが学校に通うことで得られることの中で最も大きな点であると、ぼくは理解しています。

学習面においては、正直なところ、通信教育やYouTube内に転がっている動画を視聴するだけでも十分だとすることだって可能です。

でも、社会性といった文脈で見ると動画をいくら視聴したところで、学校に行くことによって実際に対面し、言葉を交わす体験の母数を形成していくことはできません。

自宅に居場所を感じてもらうことはもちろんですが、自宅以外の場所に居場所だと思える箇所が必要であることは不登校となった時点から模索する必要があります。

そこでフリースクールなどの代替手段を利用することもひとつですし、我が家の場合、ぼくが商談のために出かけるところへ連れていくなど、彼に人と接する機会を設けることを意識的に増やしていくことにしました。

よかったのかどうかはわかりません。

わからないものの、彼はいくつかの場所に対し「楽しいし、安心できる場所がある。」と述べてくれるようになりましたし、実際、それで彼の中に居場所が複数あり、そこにいる人たちと接することに喜んでいる様子を見ると、あながち間違ってはいなかったのかなとも思えます。

学校に対する信頼と信用

学校に対する信頼は、正直なところ地に落ちたこともあります。

期待ができないどころか、何も考えていないだけでなく、腫れ物に触れるような態度や姿勢で接してくるクラス担任とのやりとりは不毛でした。

「学校には何も期待していませんし、何も期待しません。」

これは、彼のとある担任にぼくが述べた一言です。

当人が登校したいと思える状況になるしかない、といった文脈でもありましたが、キラキラしたクラス運営がしたいと考えているであろうこと、そういった姿勢であるがために能動的な働きかけをしてこないクラス担任に対する嫌味を込めた発言だったことは認めます。

いまは違います。

彼は現在、交流級(通常級)から特別支援級に転籍しました。

特別支援級と聞くと身構える人もいるのかもしれませんが、少人数で可能な限り目を届かせようとしてくれるだけでなく、とにかく「できること」や「できたこと」に焦点を当てて本人に自覚してもらおうと働きかけてくれる場所であり、ここに通うことで救われる児童や生徒がいるであろうことを実感しています。

我が家の長男くんも、このクラスに転籍したからこそ「学校に行ってみる」と自ら判断し、いそいそと勇足で悠々と登校していく背中を見せてくれたのであろうことが明白で、通常級へ顔を覗かせるようとすると臆してしまいますが、特別支援級であれば安心して過ごすことができるのです。

交流級(通常級)は35人も児童がいる中で、一人ひとりを目視で追うことはもちろん、その個性に対して丁寧に向き合おうとすることは物理的に不可能です。

学習が遅れていたとしても、ある特定の児童・生徒にだけ時間を割くわけにはいきません。ただ、それによってこぼれてしまう児童や生徒がいるのもまた事実ですから、特別支援級を利用できる可能性があるのなら全力で活用することをオススメします。

我が家の場合、それによって学校に対する信頼を獲得できました。もちろん、校長や教頭をはじめとした管理職がどういった考えを持って学校を運営しているのかにも寄るんですけどね。

おわりに

冒頭にも書いてますが、まだ「渦中」ですし、それが終わることもないでしょう。でも、彼自身がそうであるように、明確に前進していることを実感できてもいます。

こうやって自覚と認識、把握を繰り返しながら成長を楽しんでいくしかないんでしょうね。まぁ、楽しいからいいんですけど。

あとは、妻さんから「利益を出し続けろ」と詰問され続けることに耐えうるような事業成果を出す他にないわけで、むしろ、それこそが我が家にとっての大きな課題であることは言うまでもありません。

とほほ…。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)


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