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実家や地元って、なんだろう。

「ただいま」

そういいながら帰るぼくの家は、両親が営むそば屋は店舗兼用の自宅だった。つまり、ぼくの「自宅」はそば屋だったわけだ。

小学校の時、上級生たちからは親の屋号である「上州屋」と呼ばれることが...いや、そうとしか呼ばれてなかった。

まぁ、その親たちがぼくの父親のことを屋号で呼んでいたし、思えば地域的にも「屋号で呼び合う」のが風習として残っていた。

たまに仲良くなった上級生たちというか、「ぼくのことをぼくだと認知してくれる人」は、ぼくの名前を呼んでくれていたけれど、そんなに関係を深くする間柄にないけど、たまに絡むぐらいの関係の人は親の屋号で呼んだ。

いやゆる「地元」というか「故郷」というか、ようは小さい時分に住んでいた「街」があって、そこにある家が「実家」になるのだと認識していたのだけれど、少し違和感がでてきた。

何かと言えば、ぼくの両親は確かにそば屋を営んでいて、その土地にはぼくが小さい頃から大人になるまで住んでいた家がある。

これまでの認識でいえば、それが「実家」となるし、多くの方がそういう認識だろうし、それを否定する人は少数派ではないだろうか。

だけど。

そこに両親がいなくなったとしたら、そこは「実家」になる得るのだろうか、なんて考える。なぜなら、ぼくがその家に用事があるのは、その家に住む「人」、つまり両親に会うことが必要だからだ。

なにも用事もない土地や建物に行くのかといえば、行く必要がない。

たとえば、何かしらの原因によって、いわゆる「実家」が失くなってしまったとして。

ぼくの両親が健在だった場合、彼らはどこかしらで暮らすことになるわけだが、恐らくぼくの「実家」は彼らのいる場所になるのだと思っている。

つまり、場所が人の前に来るのではなく、人が場所の前に来る。

よくよく考えてみると、何故に人の前に土地が来るのかが理解できないが、いろいろと検索語句を変えながら調べた中で納得のいったのは、豊臣秀吉が行なった太閤検地が基礎になっている、と考えることがすんなりできた。

太閤検地は、すなわち年貢を取り立てるのに”土地”の所有者と、その広さを中央政府が関知することを目的としたことから始まっている訳だが、そこから変遷を経て現在の家族を主体とした情報を記載するものになった。

引っ越しをしたり、家族が増えたり、何かしらの契約をする際には、戸籍謄本を入手し、それを提出することが求められたりするが、この戸籍、いまでは中国・台湾・日本でしか使用されていない。

ちなみにアメリカでは社会保険番号、日本で言うところのマイナンバーが基本となる「個籍」となるため、日本のそれとは異なる。

中国も戸籍を利用しているとはいえ、芝麻信用(ジーマしんよう)なんて個人の信用を可視化することをマイナンバーに紐づけて取り組んでいたりする。

「家」ではなく「個人」の情報や信用を管理しようとする姿勢な訳だが、日本の場合は、まだ土地と個人がワンセットで組まれている。〇〇という土地に住んでいるのは△△さん。となる訳だ。

それであれば、ぼくの地元に残る屋号での呼び合いも納得がいくのだが、「いや、しかし...」だ。

やっぱり納得がいかない。

「実家」の話を戻すと、人の感情が景色や風景、物、そして人に紐付きながら形成され、人格として認知されていくことを考えると、確かに「場所」に対しての感情が深ければ深いほどに、「懐かしい」気持ちになる。

だから、その気持ちが「実家」だ、と言われるのであればまだ納得ができる。しかし、「あの「家」が...」引いては「あの「土地」が...」といった言い方だと、人が介在しない無機質なモノだけが残ることになってしまう。

それはいくら何でも寂しすぎる。

やっぱり、旧知の仲である友人や、自分の幼少期を知る人たちとの間に交わされる会話や何気ないやりとりが、当時の感情を引き出してくれるのであり、それこそが懐かしむべき思い出なはず。

それが地元であり、実家なんだとぼくは思う。

だから、誰がどこにいようが旧知の間柄の人がいる場所でされる思い出話があるのであれば、そこは地元になるだろうし、実家になるのだろうなぁ、なんて。

今日もお読みいただきありがとうございます。

そうなると、ぼくと新たにお会いする方との間にも、「地元」ができてしまうことになりますね。

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