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子どもの「権利」について考えてみる

どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。

我が家にはありがたいことに3名の子どもがいます。彼らは、それぞれに性格や特性も異なるし、何を好み何を嫌うのかも各々で抱きつつ、個性を発揮しながら着実に成長をしてくれていることに保護養育の責任を持つものとして非常に幸福感を得ている次第です。

ともに生活をする以上、彼らにも大人に向けて意見を表明する事由と自由があるし、差別を受けることの内容に暮らす必要があることは当然なわけですが、これを大人は「子どもの権利」と言いますよね。

今日はね、この子どもの権利について急激に興味が湧いてきたので簡単に調べつつ、書いていくことにしました。興味がある人はお付き合いください。

子どもの権利条約について

この世界には、子どもたちのために活動する国際的な機関がありますが、ご存知ですか。ユニセフ(unicef)っていうんですよ。

ユニセフは国際連合児童基金という名称の通り、世界の子どもたちのために活動する国連機関です。(国連の説明は省きます) 1946年の国連総会で創設され、世界中のすべての子どもたちが健やかに育ち、持って生まれた可能性を十分に伸ばすことができる世界の実現を目指し日夜活動を続けています。

国連とついているものの国連から予算の配分は受けていません。子どもたちへの支援活動のために必要となるお金は、民間寄付と各国政府などからの任意拠出金のみで構成されており、大人たちの善意によって構成されている組織ってことです。

今回は、ユニセフが出している子どもの権利条約を基に進めていきます。

子どもの権利条約は、1989年に国際連合総会で採択され、現在ほぼ全ての国が批准している国際的な人権条約で、子どもたちの生存、発達、保護、参加といった基本的な4つの権利を保障することを目的として1989年11月20日、第44回国連総会において採択され、日本は1994年に批准しました。

子どもの権利条約はユニセフで以下のように定められています。

  • 差別の禁止(差別のないこと)
    すべての子どもは、子ども自身や親の人種や国籍、性、意見、障がい、経済状況などどんな理由でも差別されず、条約の定めるすべての権利が保障されます。 

  • 子どもの最善の利益(子どもにとって最もよいこと)
    子どもに関することが決められ、行われる時は、「その子どもにとって最もよいことは何か」を第一に考えます。

  • 生命、生存及び発達に対する権利(命を守られ成長できること)
    すべての子どもの命が守られ、もって生まれた能力を十分に伸ばして成長できるよう、医療、教育、生活への支援などを受けることが保障されます。

  • 子どもの意見の尊重(意見を表明し参加できること)
    子どもは自分に関係のある事柄について自由に意見を表すことができ、おとなはその意見を子どもの発達に応じて十分に考慮します。

子どもの権利条約が果たす重要性

子どもの権利条約では、子どもたちが差別を受けることなく、周りで支える保護養育の責任者が最も良いことを提供し、その大人たちから命が守られスクスクと成長できるようになったうえで、意見を表明し何にでも参加できる社会であろうとすることが定められていることがわかりました。

それが果たす役割と重要性って何でしょうかってことを考えてみます。

まず、子どもの権利条約を定めることによって、子どもたちの権利に関する国際的な共通の基準を提供したことになりますよね。これを批准することによって各国が子どもの権利をどのように保護すべきかの方向性を示すうえでの最低ラインが定まることになりますから、おかしな方向に行きづらくなります。

また、子どもたちは単なる保護対象ではなく、自らの権利を持つ主体として認識されることも示していますから、彼らは大人の所有物ではなく、意思を持った人格保有者であり、対等に接することの重要性と必要性を認めることが求められます。

さらに、この権利条約に批准する以上、それぞれの国で子どもの権利条約に基づいた法律や政策を施行していく必要があり、一定以上の成果が期待されない法律や政策は見直され、子どもの権利の保護が強化されることにも繋がります。

では、子どもの権利条約を侵害するような事態に陥った場合、どういった問題が起こるのかも考えてみます。

子どもの権利が保護されない環境って想像するだけでも嫌なのですが、仮にそういう環境と状況があったとすると、子どもたちに適切な栄養が行き渡ることもなければ、疾病や傷害を受けたとしても医療にアクセスできないでしょう。また、教育が受けられないため、身体的・精神的な発達が遅れる可能性が考えられます。

どうしても大人たちと比べて肉体的にも精神的にも幼い側面があるため、虐待や搾取など大人たちの横暴な振る舞いに屈してしまうことでしょう。戦闘や災害などの経験は、子どもの心に深い傷を残すことになるでしょうから、長期的に精神的な健康に問題を抱えてしまうリスクを孕んでしまうことでしょう。

こんな社会、嫌ですね。ほんと

そもそも「権利」ってなんだ

ここまで当然のように「権利」について考えてきたのですが、改めてそもそも「権利」って何だろうなんてことを考えてしまいました。

権利を英訳すると「rights」。この概念は、個人の自由や平等を保障するといったいかにも西洋っぽい概念で、特に啓蒙時代やフランス革命、アメリカ独立戦争などの時期に強く打ち出されたとされています。

明治維新後、日本は西洋の制度や文化を積極的に取り入れるようになりましたが、この時期に西洋の法律や哲学が日本に導入される過程で、「rights」を「権利」と訳すことが一般的となったそうです。

翻訳って難しいなぁって思うのは、単純な言葉の置き換えで済む話ではなく日本の文化や価値観と西洋の「rights」の概念とが融合していく必要もあるってことです。「MOTTAINAI」とか「KAWAII」、「TSUNAMI」なんかも諸外国に訳されずに使用されていることも踏まえると、単純に言葉を置き換えてしまえばいいわけでもない事を思い出せますよね。

「権利」という言葉を「rights」として取り入れたことが「正しかったかどうか」は、正直、この短時間で調べて見たところでわかりませんでした。

ただ、現代の日本において「権利」って言葉は、個人の自由や平等を保障する意味合いで広く理解されており、明治維新後にドドーっと入ってきた西洋制度や文化が馴染んでいるように、それほど大きな乖離はないんでしょうね。完全に余談でした。

おわりに

子どもの権利条約ってところから、そもそも権利って何だって話にまで無理やり持っていってしまった感があるのですが、頭の整理をしながら書いているのであっちこっちにいってしまうのはご勘弁を。

ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)


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