ボクのようなオジさんが、これから成長していく人たちに何を提供できるのか。
ボクは年齢や経験、スキルや実績などでマウントを取ってくる人が苦手です。それは、ボクにそういったものがなかったり、自信がないために起こっている引け目やコンプレックスを拗らせた結果なのかも知れません。
ただ、まもなく40歳にもなろうとしている人間ながら、初対面であれば小学生であろうが敬語を使っています。たぶん、人間的に大したことない存在であると誇示し続けたいってコミュ障っぷりを発揮しているんでしょうね。
そこで、ふと思ったのです。「これからを担う若者の邪魔になってしまっていないのか」と。
もちろん、80歳の方からしたら40歳になろうかというボクは若手でしょう。ボクの年齢で考えれば、2023年現在、新生児として生まれてきてくれた新生児たちを見るような心持ちってことです。
そんな子どもたちや10代や20代の若者たちの「邪魔にならない」ためにはどうしたらいいのかを考えてみます。
どうも、ゑんどう(@ryosuke_endo)です。
成長の邪魔をしない
これ、大事ですよねぇ。邪魔をしないこと。
そもそも、成長ってのはどうやって勝ち得るものなのか。若い人たちが成長する過程を邪魔しないというのなら、成長がどのような過程を経て行われるものなのかを明確にする必要がありますね。
方法でいえば、学習によって知識や知恵を習得したことによって成長を得ることもあれば、未知のことに挑戦することと、その挑戦から得られた反省や内省を行うことによって足りない箇所を認知・把握することによって成長することもあるでしょう。
他にも、行動自体を継続することで体感値を得られるようになることから、日常的な差分を見出しては修正をすることを繰り返していくことで成長していく、なんてことも考えられます。
それらを前提にすると、成長とは「気づき」と「適応」だといえそうです。
これまでに気づくことすらできなかったことに気づけたのであれば、新たな引き出しを身につける機会になりますし、見つけた引き出しを手中に納めるよう適応することによって自分の中に定着させます。
オジさんたちの役割は、そういった環境や状況をいかにして複数回、若い人たちに提供できるのかどうかでしょう。決して、その過程を踏み躙ってしまうようなことがあってはなりません。
気づきと適応が成長の大事な要素なのであれば、瞬間的な把握と判断、行動と振り返りがセットになっている必要がありますが、オジさんたちは把握と判断を奪ってしまいがち。
間違わない方向に誘導するような言い方や矯正をすることによって失敗を減らそうとするわけです。これって、一見するとやさしいように思えますが、長期的には若い人たちを苦しめる結果になっちゃいます。
成長とは、誰かに矯正されることによって起こるのではなく、自発的なものです。自発的な気づきと適応があるからこそ、その人にとっての重要な資産となっていくものでしょう。
オジさん、気をつけて!
成長の邪魔にならない
これも大事ですよねぇ。邪魔にならないこと。
オジさんって、過去の武勇伝が好きじゃないですか。「オレは昔、〇〇だった」とか「今でこそ偉そうにしてるアイツは、オレの舎弟だった」的な。
オレってすごいんだぞ雰囲気を全面に出しつつ、いかに自分を褒め称えてもらえるのか、尊敬の眼差しで見てもらえるように仕向けるのか。そんなことを、あくまでも自然な態度として露呈させようとしてきます。
まぁまぁ、実害に及ばないのであればよしとしましょう。
しかし、若い人たちが自らの努力によって成長を勝ち得ようとしている傍で「そのやり方ガー」とか「全然ダメだ!」なんて具合に上から目線で堂々と全否定してしまうような態度を取ったら完全にアウト。
オジさんたちがよかれと思っている指摘も、相手からしたら不快な横槍だったりします。
なぜ、相手からすると不快な横槍と受け取られてしまうのか。
何かしらのマウントを取ってくるような態度からではないでしょうか。
年齢や肩書、実績など、ありとあらゆるマウント材料を引き出しから引っ張り出してきては、自分を少しでも偉そうに上から話すだけの価値があると思わせるようにする、瑣末な態度が不快な気持ちにさせるのです。
そんな不快な指摘しかできないような大人たちからの指摘なんて不要であって、ハッキリいって邪魔でしかないでしょう。
オジさん、嫌われてるよ!
成長の糧になる覚悟を決める
ボクの場合は、子どもって存在と生活をする機会に恵まれており、日々、彼らの成長というか気づきや適応を目の当たりにしていますが、同時に、10代や20代の方々と接点を持つと、あまりの伸び代に腰を抜かすような気分です。
そんな彼らの姿を見ていると、邪魔をしないようにすることは当然ながら、邪魔にならないようにすることも気をつけるようになります。道を歩いていて、大きな岩があったら邪魔ですよね。そうなりたくないのです。
だったら、せめて自分が彼らにとっての捨て石として使われるようになればいいなと。覚悟って言葉を使いましたが、そんな大層な心持ちではありません。彼らがもっともっとステキになっていけばいい、ただそれだけです。
塩梅がむずかしいのはわかります。
上では成長するための要素を「気づき」と「適応」だとしましたが、その気づきを促すことは相応の難易度があるわけで、大人になるまでの過程で得た経験があるから気づけることもあったりします。
でも、それを直接指摘してしまうと、彼らの気づきにはなりません。彼ら自身が気づき、適応していくことに大きな価値があるわけで、それを気づけるような環境や状況をどう生み出すのかを必死に考えなければいけません。
必死に考えて彼らの成長の糧になるような態度を覚悟と書いただけです。
転ばないように手をつなぐことも大切なことではありますが、転ぶ経験が少ないことによって長期的にみれば大きな怪我をしてしまう可能性を引き上げてしまう。
そんな視点に立ってみると、どう向き合っていけばいいのかってことを、それとなく考えられそうな気がしますが、どうでしょう。
おわりに
自分がオジさんと言われる年齢になってみて思うのが、やっぱり自分ってのはたいしたことのない人間なんだなってこと。それ以上でもそれ以下でもありません。
そして、多くの気づきを与えてくれた大人たちの後ろ姿はメチャクチャカッコいいってこと。そんな大人に自分がなれているとは到底、思うことができないのですが、それにしたって邪魔なヤツにはなりたくないのです。
みなさん、見た目だけでなく精神性も腐ったオジさんにならないよう、気をつけましょう!
ではでは。
ゑんどう(@ryosuke_endo)
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