とーしつシリーズ(1) 精神病疾患者という人種になってしまったら

一応この「とーしつシリーズ」ではこんな話書こうと思っています↓
1、精神病になるとは誰も思わない
2、なったらなったで甘える心理
3、そこからどうやって病気と向き合うか
4、そして付き合い続けていくか

私の精神疾患名は統合失調症という名前である。
元々健康的で丈夫な身体だったし、今でも「腐った豆腐を食べても死にはしないぜ!」と言い切れるほどには自信がある。否、死ぬ場合もあるかもしれないが。

そんな私がなんだかよーわからんうちにそんな病気になった。発症した頃、私はいわゆるヒキニートを脱出しようと奮闘していた。

「学校嫌い、友達いないし寂しい。っていうか勉強嫌い。やる意味わからない。行く意味もわからない。私は漫画家になる」
というクソみたいな思考で中学2年生の頃に引き籠りだしたものだから、ヒキニートを辞めるきっかけも「この生活に飽きた。なんか人の事怖かったけど、実は良い人も世の中にはいるのじゃないだろうか(希望的観測)」といったものだった。

けれどまあ、実際その頃私は対人恐怖症のようだったから、人間不信ではないもののいつでもどこでも「すぐに私は嫌われてしまう」という思い込みが前提としてあって、まあしんどかった。

そんな中、電車に乗って数駅先の夜間高校に通った。 
いつのまにか(統失の場合自覚症状が後にしか出ない 注・個人差あり)症状は生活を脅かし、川に身投げしてみたり、「死にたい人は僕の話を聞きにきてください」と張り紙をしてある民家に(謎すぎる)本当に話を聞きにいったり、定時制のヤンキーっぽいクラスメイトに目の前でツバ吐かれてそれを暗号と思い込んだり、妄想の中で作り上げた男性(現実のその人はめちゃくちゃ普通のヤンキー(?)だった)に「私がおかしくなったのはあなたのせいではありません好きです」と手紙を書いて渡したり、それなのに「ごめん俺好きな人いるから!」と爽やかに振られたり、そんな感じで過ごしていた。

退学した理由としては「幻聴の集団ストーカーから逃げたかった」というものだったが、学校の教師は「なにいってんのかわからん」という状態の顔をしていた。そらそうだ。

退学届は無事に受理され、私は結局ヒキニートのはずだったが、妄想と幻聴に振り回されて何度も家の周りに奴等がいないか確かめたり、奴等と会う約束をしたと思い込みその場所に出向いたりと以前より「アクティブなヒキニート」になり約半年が過ぎた。

そしてついに父親が、プリントアウトした「統合失調症についての検索結果」を部屋に持ってきて言った。
「お前、病気なんだよ」と。

私は精神病についての知識がドラマで見るリストカットして血がドバーッみたいなものかな?程度にしかなかったので寧ろ偏見もなく抵抗もなかった、すんなりと病院行こうと思った。

病院受診して病識をもち、どうにかこうにか幻聴がおさまり、薬が合っておそらく陰性症状といわれるものがきて、それから何かが吹っ切れた。

「人と関わりたい」と強く思った私は、病気である、という免罪符を片手に「デイケアに行きたいです!」と医師にお願いした。

もちろんその時は無意識であるが、
「私」をカテゴライズする材料としては病気は最適であった、ヒキニートという者同士は出会ってお茶をする可能性がものすごく低いのだから孤独である!それに比べたら病人同士のお茶会はなんなく実現可能なだけに最高に手っ取り早く人と関われた。

デイケアに毎日通いながら私は酒を覚えた。

酒と煙草をとにかく吸って呑んで肴との相性も考えず食べて吸って呑んでぶくぶく太っていった。ある日ポテチをもしゃもしゃつまみながら「あれ太った?」と疑問を薄っすら抱いたが、それでも美味い美味いと言ってポップコーンに手を伸ばした。あの日に危機感を感じていれば...!

ともかく遊び歩いていた時に、なんだかんだ人と関わると悩み事が出てくるもので、しかしそれすらもなかったヒキニート時代よりは「人並みの悩み」ができること自体面白く思った。

彼氏欲しいなー。という「自分を鏡で見た事あんのか」みたいな状態で欲望を持ち始め、そんな馬鹿げた欲望に忠実に行動した、男と見たらまず口説いていた(好きだから付き合ってくれと言いまくった)だいぶいろんな人に振られたっけ...。

そんな私を見て呆れ果てた父親が、言った。

「お前...病気に負けるなよ。病気に甘えてるよ、今のお前は。がんばれよ」

その言葉はグサリと胸に突き刺さった。
私はハッキリ言って、ファザコンだった。
父親への信頼は半端なくあったし、彼のことが完璧超人にすら見えていた。

病気に負けている?病気に甘えている?
一体どういうことだ、と考えた。
私は今まさに楽しいし人生を謳歌し始めたところで、確かに仕事はしていないがとにかく病気なんだぞ。だから闘病生活ってやつを送っているんだ。友達もやっと出来て、私はもうヒキニートじゃないし心の殻も破って、相当充実している。

もうその思考自体が病気に負けていて甘え切っていることに薄々気付いていくのは、まだもう少し先の話だが、とりあえずバイトを始めることにした。

振り返ると病気になる予兆はいろんなところであったし、実際に精神疾患を患っている人は「そういえば昔から不思議なことがあったな...」「元々、自分の中でストレスを発散できなかったり健常者との差はあったかもしれない...」みたいに感じる人も多いはずだ。

もちろん全然なにもなく、何か事件が起きてそのせいで精神病になる人もいる。性質だけが原因ではないし、そもそも原因なんて今この時代になってもぼんやりしているものである。

医者に聞いてみたことがある。
「原因はなんですか?」
医者はおじいちゃんだった事も相まって、全くなにを言っているのかわからんモソモソとした物言いの仕方で「原因というのはわからないのです」ということを周りくどく言っていた。

「誰も悪くなんてないんですよ」

と言ったのは医者でも友達でもどこぞの偉い人でもなかったがその言葉にえらく救われた。それは私のせいでもないし、親のせいでもないのだという事だからだ。

誰しもが精神病になる可能性はあるが、誰しもが精神病にならない可能性もある。

ならない可能性を信じて生きている時には伝わりにくいかもしれないが、

もしもこれを読んでいるあなたの周りに、いくら言っても自分は精神病じゃない!と言い張っている、見るからにやべーやつが居たとすれば、その人は精神病を知らなさすぎる故の偏見を持っているに違いないのである。

差別はとにかくされやすいものである。馬鹿丸出しなやつから蔑まれる対象にはなる。でも言っておくが私の健常者の知り合いや友達の中には蔑みわざわざ傷つけ、差別しようとするやつは一人もいない。

変な言葉になるが、安心して精神病になれる世の中であってほしいなと思う。

そのためには、もしも精神病になって、打ち明けるたびに人が離れていったとしても、人間不信にならず、悲観し過ぎず、「人はそれぞれ色んな種類のやつがいる」と強く思えることが重要なのだ。
そして、精神病になった人を見かけた時に、誰しもが(これは絶対に無理な理想だが)「自分も一歩違えばこうなっている」と想像力を働かせることができれば、いいのになあと思うのだ。

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