それでも知ろうとすること。
昨日、黒人差別の話についてつらつらと書いておりました。
Daikiです。改めましてよろしくお願いします。
今日は僕が精神的に参ってる話です。自分が仕事ややることで忙しかったり、金銭的に余裕がないと
こうも向こう見ずな性格になってしまうのか
改めて反省しました。
結論から言って昨日の記事にあるように中途半端な気持ちで黒人の友達の自尊心を傷つけたのは僕です。
黒人差別によって警察に黒人がころされる。このことに対して「悲しいね」と言いながら、自分は自分のやることがあるから今は何もしてあげられないと、まずは自分の命や家族が大切だから、ごめんと伝えました。
それでも彼は勉強すべきと言ってきたので、どうしてそんな風に言われないといけないんだろう。どうして俺が?という気持ちになりました。
でも、、、、、
それって「俺には関係ない」って言ってたようなものですよね。
2日経って、なんならこの文章を書きながら納得しています。
僕はそうして友達を失いました。未だに連絡をとってくれないので彼も相当怒っているのだと思います。
僕としては忙しくて必死な僕自身にこれ以上やることを押し付けないでほしいという気持ちが大きかったです。そして何より、たったいくつかの言葉のやり取りで関係性が崩れるほど、基盤が脆かった。
きっと本当に信頼し合っている仲なら、まだましな解決方法があるかもしれません。
それほどにこの問題は複雑です。私たちがボランティア精神で語ることが本当にいいことなのか、それは受けてである当事者が決めることだからです。
我々は当事者にはなれない。
この考え方こそが大切だと思います。
ただ、それでも、同じ人間が肌の色や顔の形の違い、生まれた場所の違いだけで差別を受けて、死の恐怖と戦っています。その恐怖を感じることはできませんが、ただそれでも、知ろうとすることが大切です。
400年も前から続いてきたこの惨劇を
終わらせることができたなら
我々はそれだけで生きる価値があります。
自分ひとりの命さえろくに守れない僕かもしれませんが
知って、伝えること。
「勉強」ということばは嫌に聞こえると思いますが
これこそが勉強といわれるに値するほどの教養必須科目のはずです。
僕と一緒に頑張りましょう。よろしくお願いします。
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