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怪獣「クラーケン」を封じ込めよう  ~アメリカの分断と混沌は対岸の火事ではないから、行うべき3つのこと。~

 2021年1月6日。米大統領選のバイデン勝利を確定する手続を阻止するため、連邦議会議事堂にトランプ支持の暴動者たちが大挙して乱入するというアメリカ憲政史上に残る事件が発生しました。この衝撃的な映像を見ながら、自分が20代の半分を過ごし、政治を学んだ国が、このような分断と混沌に陥ってしまった悲しさと憤り、何もできない無力感に打ちひしがれましたが、少なくとも日本は同じ轍を踏んではいけない、微力でも何かしなければ、と勢いに任せて筆をとりました。

 アメリカの分断と混沌は、決して対岸の火事ではありません。日本でも、相対的貧困(所得がその国の中央値の半分未満)の率は他のOECD加盟国と比べても高いレベルにあり、SNSのエコーチェンバーの中で極端な意見が増幅され、勢いを得やすい構造的な状況が生まれています。(直近では、コロナに関する「ロックダウン派」vs「経済回す派」の分断も激しくなりつつあります。)
 今回、暴動を画策したトランプ支持者の間では、「クラーケンを解き放て(Release the Kraken)」という合言葉が使われていました。(クラーケンとは北欧の伝説上の海の怪物で、選挙を盗む陰謀を打ち砕く最終兵器という意味合いで使われました。)日本でクラーケンが解き放たれるのを阻止し、民主主義を守るのは、政治家でも官僚でもなく、一人一人の市民。そのために、自戒を込めて、一人一人がすぐにできる3つのことを挙げたいと思います:貧困の存在を知ること;二元論を排すること;そして、当事者として政治に参画すること。

■貧困の存在を知る

 アメリカ社会の分断の大きな要因は、富の偏在にあります。
 米国の最も富裕な50名の合計資産額は約2兆ドルで、下位50%(約1億6500万人)の合計資産額とほぼ等しいとされています。株式に限っても、米国民の上位1%だけで株式の50%強、次の9%が3分の1余りを保有し、上位10%が88%強の株式を保有しています(2020年末時点)。
 そしてこの富の偏在は拡大の一途を辿っています。
 2016年の大統領選でヒラリーがトランプに敗れたのは、民主党が、ヒルビリーと呼ばれるような白人労働者層の失業と困窮に対して、さらに、本来の基盤である黒人等マイノリティーの苦境に対しても、無関心、無策だったことと言われます。この時、実は失業率や貧困率は歴史的に高い数字ではなく、むしろ改善傾向が続いていました。これは、絶対的貧困ではなく、格差という相対的貧困でも、社会は大きく不安定化することを物語っています。私は、頑張った人が報われる仕組みは社会の活力・健全性のために不可欠だと常々思っていますが、行き過ぎた富の偏在もまた、民主主義社会の維持を難しくするということを痛感させられました。
(それにしても、この時、白人労働者層の苦境に乗じて彼らのハートを掴み大統領の座を獲ったのが、彼らの状況にシンパシーなどおよそ持ち合わせていない超富裕層のトランプだったことは歴史的な皮肉です。)

 翻って、この国はどうでしょうか。日本はアメリカほどではないものの、2000年から2019年の間で、富裕層(資産規模1億円以上)の世帯数は83.5万世帯から132.7万世帯に増加、保有資産は171兆円から333兆円へとほぼ倍増しました。相対的貧困率はOECDでも悪い方で、16.1%とアメリカ(17.2%)にほぼ近い数字となっています。日本の子どもの7人に1人は相対的貧困状態にあります。
 このコロナ禍の中で、真っ先に経済的にダメージを被ったのは非正規雇用の方々ですが、その多くは、若者やひとり親家庭の方々でした。ひとり親家庭で食事もままならなくなった家庭が急増、その方々のアンケートを読ませてもらいましたが、「自分は一日一食で我慢している」など、切実で胸を締め付けられるものでした。
 この問題に対して、金融資産の6割以上を保有する高齢者層を中心とするこの国の富裕層はどれだけ関心を持っているでしょうか。政策や選挙の争点になるのは高齢者の医療・社会保障の自己負担や給付のことばかり。若者やひとり親家庭の困窮に関心があるようには見えません。(ただし、高齢者の中にも相対的貧困の方は多く、社会保障をもはや年齢で区切って考えるのは限界で、社会保障の対象は資産によって線引きすべきと思います。)
 起業や投資などで財を成した新興富裕層もおよそこの問題に関心を持っているようには見えません。最近は、社会課題の解決を標榜する起業家も増え、素晴らしい方もいますが、近い界隈にいて感じるのは、「ソーシャル・ビジネス」というよりも「ビジネス・ソーシャル」(ビジネスのために社会派を装う)の人が多く、ビジネスがうまくいかなければ課題は放り出して、別のビジネスに移る。うまくいってエグジットできれば、課題は放り投げて、自己顕示欲を満たしながら悠々自適な生活を送る、といった人が多い気がします。
 このように、富の偏在と、持てる者の持たざる者に対する無関心という意味では、アメリカほどではないものの、構造として似た状況が生まれています。これが分断と混沌につながらないようにするためには、この国で、日々の食事もままならない人々がいるという現実を、7人に1人の子供が相対的貧困にあるという事実を、まず皆が(とりわけ「富裕層」の方々が)知り、その声を聴くことだと思います。知りさえすれば、政策について意見の相違はあるにせよ(そしてそれは健全なことです)、社会の分断にまで至ることは防げるのではと思うのです。
 まずは、港区にだけ暮らしていてはわからない、この国に厳然とある貧困の現実をしっかりと見つめること、そこから始まると思います。

■二元論を排する

 今回の暴動に参加したトランプ支持者たちは、「盗まれた」選挙を取り戻し、「民主主義を守る」と叫んでいました。彼らにとってはこの暴動は「偉大なアメリカ」を陰謀から守るための「正義」の戦いでした。彼らを単純に「悪い人たち」、極めて特殊な人たちと捉えると本質を見誤るし、同じ轍を踏むことにもつながりかねないと思います。
 また、暴動に参加した若者は「コロナはフェイクニュースだ」と語っています。おそらく本気で信じているんでしょう。地球の温暖化も、コロナの感染爆発も、バイデンの勝利も、不都合な真実はすべて「フェイクニュース」。このような極端な思考がこれだけ情報が溢れる時代にこれだけ多くの人に受け入れられたのは大きな驚きであり、教訓です。
 社会が困窮化し、不安定化すると、陰謀論や極端な思想・言説が支持を得やすくなります。その思考は、善か悪か、黒か白か、という単純で極端な二元論に陥りがちです。トランプは常に、「トランプ支持か、裏切り者か」「愛国者か、共産主義者か」という、まさに単純な極論の二者択一のレトリックを多用しました。(おそらく彼にとっては、意図的なレトリックというより、彼の思考自体がそういうものだったのでしょう。)
 また、よく言われるように、オンラインニュースとSNSの普及により、「フィルターバブル効果」(オンラインでは各人に最適化されたコンテンツが表示されるため、近しい視点・思想の情報に囲まれてしまう)と「エコーチェンバー効果」(閉じたコミュニティの近しい意見の人々の間でコミュニケーションが行われ、近しい意見が反復されることで、その意見・信念が増幅・強化される)により、これだけ情報が溢れていても、自分に都合のいい、心地いい情報しか入ってこなくなることで、この二元論化、二極化が進んでいきます。

 そして、この状況は、日本でもまさに起こっています。
 特に政権への態度でその二極化が際立っています。極端な支持か、極端な反発。ネット上、SNS上では、右だ左だというレッテル張りが横行し、とんでもない陰謀論もまことしやかに広がっています。政治信条や支持政党にかかわらず、もう少し冷静に、ファクトベース、エビデンス・ベースで政策を議論する土壌が創れたら、と思います。
 多様な意見、意見の相違は、本来、むしろ健全な民主主義の大事な要素ですが、元来、空気による支配で、教育の中でもディスカッションやディベートで異なる意見を議論することをしてこなかった日本では、意見の対立が人格の対立になってしまいがち。そしてそれぞれのエコーチェンバーの中で、議論が感情的に激化し、極端な二元論に陥っていきがちです。
 コロナについても、感染防止か経済かという二元論で語られ、「ロックダウン派」vs「経済回す派」が対立しています。普通に考えれば、感染症対策も経済対策も、公共政策として当然両方考えなければならず、どちらが大事かという話ではないのは自明です。医療現場のひっ迫も、飲食店の惨状も、どちらも残念ながらフェイクニュースなどではないのです。

 白か黒かという極端な二元論はわかりやすいものの、答えはそこにはなく、常にその間のどこかにあるはず。一方で、どちらの意見にも、よっぽどの暴論でない限り、一定の耳を傾けるべき主張があり、それらを踏まえてファクトベース、エビデンス・ベースで本気で考え抜けば、解はある程度皆が合意できる一定の幅に収まってくるはずと信じています。
 大事なのは、極端な意見を発したり拡散したりする前に、一旦、疑ってみること。別の立場に意図的に立ってみること。議論において敢えて反対の主張を打ち出すことを「Devil’s Advocate(悪魔の代弁者)」と言いますが、自分の中でこの役割を演じて、反対の視点から見てみることが大事だと思います。すると、大抵の意見対立は、真実とフェイク、正義と不正義、善と悪、ではなく、それぞれの真実、それぞれの正義、それぞれの善があることに気づき、そうなると、白か黒で答えることはできなくなるはずで、極端な見解を再考する契機になるはずです。

■当事者として政治に参画する

 アメリカでトランプの暴政を終わらせたのは、66.7%という歴史的な投票率でした。前回レベルの投票率であれば(前回2016年は59.2%)、結果は変わっていた可能性も大きいと思います。
 既得権益を持った層の投票率は高く、極端な意見を持つ人は政治参加にも積極的です。全体としての政治参加の程度が低くなると、そのような既得権益や極端な意見のみが代表されることになり、社会の分断と混沌を招きます。
 日本の投票率は、直近の国政選挙で、衆議院(2017年)が53.7%、参議院(2019年)が48.8%と、民主主義国の中でも低い参加率。さらに世代別で見ると、60代が72.0%、70代以上が60.9%に対して、20代はわずか33.9%。金融資産の6割以上を保有し、社会保障の既得権益をもった高齢者層の意見が反映されやすく、非正規雇用の若年層の声は反映されにくい構造になってしまっています。
 極めて偏った、過激な思想・主張の候補が議席を獲得する例も多くなってきており、先の都知事選でも、かなり偏った候補に多くの票が入りました。ビジネスで財を成した、もしくはメディアで知名度を得た、公共政策にも公益にもおよそ関心のなかった方が突如出馬し、極端な主張を掲げて人気を博す例も絶えません。
 今回の暗黒のトランプ劇場から世界が教訓を得たのは、政治を、富を得た者の自己顕示欲の発露の道具にしてはならない、ということです。
 穏健でバランスの取れた市民がきちんと政治に参画をすることが、貧困の問題を放置したり、極端な意見に陥ったりすることを防ぐ防衛線。当事者性をもって政治に参加すること、まずは責任を持って一票を投じること、そこから始まると思います。


 世界中で、格差が広がり、SNSによるエコーチェンバーの中で極端な意見が広がって、民主主義を脅かす怪物「クラーケン」にとって最適な環境が生まれています。
 貧困の存在を認識し、社会課題に関心を持った人たちが、極端な二元論を排して、当事者として政治に参画する。それが、分断と混沌という怪獣「クラーケン」を封じ込める。この国で民主主義のモデルを再構築し、「最古の民主主義」とも言われるアメリカの皆さんに伝えてあげられたらと切に願います。


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