【メンタル術】一人で五万人と戦った男
オリックスの選手たちを見ていると、涙腺を刺激されます。
万年Bクラスのチームが、歴史的な優勝争いを最後まで演じている。次々とアクシデントに襲われても、心折れることなく戦い続けている。立派すぎますよ。
正直、画面越しでも緊張が伝わってくるんです。
プレーはガチガチ、試合はヒリヒリ、メンタルはギリギリ。
しかし、そんな戦いもいよいよ最後です。
月曜日、敵地・仙台での楽天戦。僕は選手たちにあることを伝えたいんです。
今から45年前「一人で五万人と戦った男」と呼ばれた大先輩のことを。
阪急ブレーブスの名投手、足立光宏さん。
通算187勝のアンダースロー。1962年には当時の日本記録である1試合17奪三振を達成。その5年後には阪急を初優勝に導き、MVPを獲得しています。
そして、語り草となったのが1976年の日本シリーズ。僕はその伝説をある本で知りました。
1990年に出版されているので、僕が中2のときですね。
足立さんの章は、こんな文から始まっています。
おそらく、ローマの闘技場の観客がライオンの餌食になる囚人たちに注ぐ視線も、後楽園を埋め、息をひそめて見守る五万人の期待ほどには、残忍でなかったろう。
ライオンが巨人で、囚人が阪急。それほどに両者の立場は対照的だったんです。
そもそも、当時の阪急にとって巨人は天敵でした。
巨人がV9を達成した1965~73年、阪急は5度も日本シリーズに挑みましたが、全て返り討ち。
さらに今回のシリーズも、3勝を先行したのに3連敗。中でも6戦目は7点差を逆転される最悪の展開でした。
「阪急なんかに負けるわけがない」
そんな空気の中で迎えた最終7戦目、先発のマウンドに上ったのが、当時36歳の足立さんだったんです。
試合は阪急が1点を先制します。しかし、6回に逆転を許すと、なおも一死満塁。ライオンの牙と爪で血まみれになった囚人を見て、後楽園球場の興奮は最高潮に達しました。
「ジャイアンツ、ジャイアンツ、ジャイアンツ!」
そんな中、足立さんはある言葉を呟いていたといいます。
「もっと騒げ、もっと騒げ」
「たかが野球じゃないか」
なんというメンタル!
このあと、足立さんは併殺打で見事ピンチを切り抜けました。そして、味方の逆転劇を呼び込み、そのまま完投勝利を収めたのです。天敵・巨人を遂に打倒した瞬間でした。
僕は本に書かれている〆の言葉を気に入っています。
津波のようなジャイアンツ・コールの中で、最後までクールだったこの男を、マスコミは、
「一人で五万人と戦った男」
と書いたが、テレビの前で釘づけになっていた全国の巨人狂たち数えれば、何千万人をも相手にして戦って勝った、といえるかもしれない。
オリックスの選手たち、この重圧を乗り越えた先にはきっと最高の歓喜が待っています。出し切れ!
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