『祖父紹介』 3代目林家染三
皆さんコンニチハ。
堂本剛さんと同学年の41歳で、無職、貯金ゼロ、自己紹介より先に、祖父紹介を書く事に決めた秋山真之介です。(働け!)
これまでの記事に『スキ』や『コメント』を下さった皆様、本当にありがとうございます。
父方の祖父は、3代目林家染三という落語家でした。
「でした」と言うようになって、9年が経ちます。
祖父といっても、私の父が幼い頃に祖母と離婚していた為、2度しか会っておりません。
初めて祖父に会ったのは、24歳の夏です。
祖父と面識の有った姉に連れられて、天王寺駅近くの集合住宅の一室にお邪魔しました。
表札には、秋山三郎という名前とともに、関西落語協会会長林家染三とあります。
「関西落語協会」というのは、祖父が上方落語協会と訣別した後に立ち上げ、落語教室や落語会を主催しながら、細々と運営していた協会です。
当時、祖父は再婚しており、小学生と中学生の息子がおりました。
落語家としての活動の他、塗り絵教室(?)をしたり、銀の粒に『気』を送り込み(?)、それに粘着テープを張り付けた『銀霊粒』なるモノを生産(?)していて
「これを調子の悪い所に張り付けといたら、ワシの『気』の力と銀の力で、直ぐに良うなるんや。運気も爆上がりやで」
という、とんでもなく素晴らしい物を、6個セット1000円(税込)で販売しておりました。
「いっぱい有るから、お前らも持って帰れ。家族やから特別にタダや」
姉と私は、ニヤニヤしながらお礼を言って『銀霊粒』を受け取りました。
祖父は昔の写真を引っ張り出して来て、過去の人気っぷりを語ってくれました。
テレビの時代劇なんかにも、ちょい役で出演していたらしいです。
「そらお前、噺家でこんな男前そうはおらんさかいに、テレビにも引っ張りだこや」
祖母が言うには、家を出る度に浮気して帰って来るような、プレイボーイだったようです。
「もちろん芸も達者やったからな、今でも難波グランド花月の楽屋なんか行ったら、師匠師匠いうて皆んな寄ってきおるで」
祖父の大口にも慣れてきた姉と私は、その都度「嘘つけ!」と突っ込んでおりました。
「嘘ちゃうやんか。今度来た時に証拠見せたるわ」
「マジで?約束やで」
と二ヤケ顔の姉と私。
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それから半年後、姉と私は再度祖父の家を訪れます。
家に上がると、祖父は私たちをテレビの有る部屋へと連れて行き、ハンディカムをテレビに繋いで、動画を再生しました。
その動画は、祖父がハンディカムを持って難波グランド花月の楽屋に侵入し、そこにいた芸人達に挨拶を受けるという内容で、桂文枝さんと肩を組んでいるシーンがハイライトでした。
文枝さんも他の芸人さん達も、とても迷惑そうでした。
「ほらな、嘘とちゃうかったやろ?」
祖父は、かなり自慢げです。
「終わった?『太鼓の達人』やって良い?」
下の子が、動画が終わるなり祖父に言いました。
「おぉ、ええよ。1時間だけやぞ」
祖父はハンディカムを仕舞って、僕達をリビングへと導きます。
上の子がお茶を出してくれました。
私達の父親にそっくりで、とても利発そうな顔をしておりました。
リビングに移ってからは、また祖父のトークショーが始まります。
「オール阪神巨人もな、漫才始める前は、俺の弟子やったんや」
かなり誇張しておりましたが、事実だったようです。
「ワシはな、何回も神様を見た事があんねや」
祖父の兄弟が宗教団体の幹部を務めていたので、その伝手を頼って、半年ほど修行をしていたそうです。
「毎日滝に打たれてたらな、3日に1回くらい神さんが降りてきはんねや」
「神さんは、オジイに何か言うたん?」
「ワシの人生は80歳からや、言うてはったわ」
この時、祖父は78歳でした。
「修行のお陰で、『気』も使えるようになったし『霊魂』も見えるようになった」
「霊魂?お化けの事?」
「まぁ、お化けっちゅうか、霊やな。悪い霊も良い霊も」
「ほな僕らに悪い霊とか付いてたら、分かるん?」
「そらそうや、お前は大丈夫やけど、お姉ちゃんの方には、ちょっと悪いのが付いとるな」
「マジで?ほなオジイ、それ徐霊したってや」
ニヤニヤしながら言った私を、姉が冷たい目で睨んでおります。
「おぉ、ええよ。お前は家族やから特別にタダや」
祖父は立ち上がると、姉を後ろ向きに立たせ、その背中に向けて「エイッ、キエーッイ」などと叫びながら、5分ほどお祓い(?)をしてくれました。
私はその様子を見ながら、ゲラゲラ笑っておりました。
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それからまた半年後、大阪で姉と酒を飲んでいる時に、祖父の話になりました。
「あん時面白かったな。お前「エイッ、ヤーッ」とか言われて、お祓いされてたやん。アレでちょっとは運気上がったか?」
姉は、不思議そうな顔で私を見ました。
「は?アンタ何言うてんの?お祓いされてたんは、アンタやで?」
「え?」
私の記憶では、姉がお祓いされているのを見て、ゲラゲラ笑い
姉の記憶では、私がお祓いされているのを見て、ゲラゲラ笑っていたのです。
「いや違うって、絶対お前やって」
「何いうてんのよ。絶対アンタやって」
いずれまた2人で祖父を訪れて、確認しようという事になりました。
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結局その後、再会する機会の無いまま、祖父は召されてしまいました。
「6月12日の午前、三郎さんが亡くなられたと連絡が有りました。ご報告まで」
姉から簡潔なメールが送られてきた日の午後、私は強い悲しみと、後悔に襲われました。
会いにいくべきだった。
もっと色々な話を聞きたかった。
今この文章を書きながら、その後悔はどんどん強くなっております。
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オジイの息子さんへ。
もし奇跡的に、この記事を読まれましたら、ご連絡ください。
一緒に、酒でも飲みましょう。
私の方が歳上ですが、アナタ達は叔父さんなんだから、奢ってくださいネ。
ご静聴ありがとうございます。