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30 更迭(dismissal)


はじめに

「更迭」とはどのような意味ですか?という質問をしてくれた一人の学生がいました。皆さんも最近、首相の息子さんであり、政府秘書官である方が、公私混同をしているとの指摘を受け、「更迭」されたというニュースを見聞きしたかと思います。質問してくれた学生さんは、「更迭」されたという言葉を聞いて、どのような罰を受け、その重さがどのくらいのものであるのかが「更迭」という言葉からは想像もつかないため、質問したという趣旨でした。質問を聞いて、なるほどと感心しました。
それは、国民にとっては、そこが伝わっていなければ、公的な立場の人がどのように、問題をとらえ、けじめをつけようとしているのかが理解できないということを意味していたからです。では、彼に話したことを順にまとめていくことにします。

更迭(こうてつ)の意味

更迭という言葉の意味は、「役目を交代させるという意味で、更迭という言葉を使う場合は、更迭される人の立場が会社の重役であったり、政府の要人(大臣・副大臣)であったりする場合に使うことが多いです。」と質問してくれた彼に、説明すると不満げな表情で、「全然、大した罰じゃないんですね。」という言葉が返ってきました。
彼がそう思うのにも一理あるのかもしれません。連日、報道されている様子では、公私混同をして首相公邸で忘年会を楽しむなど言語道断であるといった印象を受けていた彼にとっては、役目を交代させるだけで済むのか、といった気もちになったのだと思います。
では、更迭よりも厳しい処分にはどのようなものがあるのでしょうか。簡単にいくつか段階的に見ていくことにしましょう。

「更迭(こうてつ)」以外の処分

更迭は、肩書を外してポストから解任する処分です。ですから、職を去るわけではありません。つまり、辞職するような厳しいものではないということです。「左遷(させん)」や「罷免(ひめん)」や「馘首(かくしゅ)」などの更迭よりも厳しい処分があります。例えば、左遷は現状の役職や地位よりも低い立場に落とし、別の仕事に就かせるなど更迭に近いですが、若干厳しいものとなります。さらに一気に厳しくなると、よく公務員の場合に用いる言葉として「罷免」があります。これは、職務自体をやめさせますのでかなり厳しくなります。役職や地位を奪ったり、低くされる程度ではすみません。解雇や辞職まで視野に入れた処分を受けます。そして「馘首」は、通称クビです。懲戒免職などともなれば、大変に厳しい処分になります。

首相公邸(しゅしょうこうてい)

公的な場所を含む首相公邸で忘年会を楽しみ、赤じゅうたんの上で記念撮影した写真が流出したため今回の騒動となりました。
似た言葉に首相官邸というものがあります。こちらは、どのような場所かというと、内閣総理大臣と内閣官房長官が執務(しつむ)を行うためのものです。総理と官房長官は、政府を切り盛りする夫婦のようなもので、国政を進めるうえで、大変重要な場所であることはこのことからも容易に想像できます。いずれも、国費、国民の税金で建てられているだけではなく日々の警備も税金により賄われています。
首相公邸では総理が生活をし、首相官邸では閣議をはじめ、安全保障会議・国家戦略室・行政刷新会議など国政上重要な会議が多く開催されています。いずれも同じ場所に存在します。総理は生活のいかなる時においても職務が発生するため、いざというときの危機管理の中枢と居を一にしているのです。

公私混同(こうしこんどう)

首相公邸には、総理も総理の家族も生活しています。ということは、忘年会を親族としたり、室内を見学したりしてもいいのではないかと考えることもできはしないでしょうか。できるという世論も少なからず存在するように思います。親族の誰かが今回の報道で用いている写真を流出させたのか、それとも親族以外の人間がこの場にいたのかはわかりませんが、国家の中枢でありその執務を執り行う場所を使うということに対する意識のありようが問題の一つにあるのです。また、私事が過ぎるふるまいは、国民の理解のみならず、同じ国会議員の方々の理解を全く得ることができないのです。
それは、常識的に考えれば、国民の血税を用いている場所にいながら、その使用に対して不適切な振る舞いであるからです。さらには、政府秘書官という仕事はそうした振る舞いが首相官邸で行われないように高い意識をもって、政務に就くものを正す役割であることを優先していないこともその理由になるでしょう。

政治とは

政治の語源は、古代ギリシアの「ポリス」という言葉にあることは有名です。ポリスとは、政治的共同体という言葉で説明されることがあります。この政治的共同体を「ポリティーケ・コイノーニア」と呼びますが、この共同体は、平等な市民と市民の関係を示しています。つまり、ここで言うポリスを語源にもつ「政治」とは、平等な関係を重要にしているわけです。そうでなければ、意見の交換や価値の共有がまともにできないわけです。
では、今回の総理の息子さんのふるまいをこの視点から見てみるとどのように感じるでしょうか。一般には立ち入ることのできない場所で、国民の血税を用いて、上級国民が宴会をし記念撮影をしているといった不平等感を感じる方がいると思います。裏返せば、こうした感情をもたせることがないように、我が身を律することが政治家には求められているとも言えます。

公私混同を律した将軍

徳川八代目将軍、徳川吉宗は長い徳川時代において「中興の祖」と呼ばれています。中興の祖とは、政権の回復を成し遂げた支配者や統治者に用いられる言葉です。では、なぜこのような言葉が送られているかを見ていくと、政治を担う者の理想とする姿の一つが見えてきます。
吉宗は、財政難であった幕府を立て直しただけではなく、町人や農民の目線に立った政治を行うことで幕府に対する信頼を著しく回復させました。
自らも、将軍としての生活における無駄を省き、質素倹約をはじめ、多くの改革を実行しました。その改革を「享保の改革(きょうほうのかいかく)」と呼びます。この改革は、江戸の三大改革のなかで最も成果を出した改革でした。財政難だった江戸幕府にとっては、安定した財源の確保は最も重要な政策でした。質素倹約で出費をおさえながら、吉宗は収入の増加に努めます。町人や農民の経済活動や生活の安定を支えながら、治水工事や新田開発支援し、年貢の向上に努めました。また、参勤交代の負担を軽減し、代わりに税として納める上米制を導入するなど、町人にも武士にも様々な方法で改革の手を広げました。
自らを律する姿勢を見せることで、改革の本気度を示したからこそ、町人や農民、多くの武士に対しても協力を求めることができ、大きな成果を示すことができたのです。

自律と自立

学びを進めていく上で重要な点が、自律です。そして、自立へとつなげていきます。自分を律することは、学び方を自ら創造していくことにも、課題を設定していくことにも関係します。そもそも、自らを律することができない者には、正しい行いをすることは難しいでしょう。
自分本位の考えをおさえ、自ら規範を立てて、自分の事は自分でやっていくことそれが自律性です。自律性を高めていくためには、日々の生活に課題意識をもつことや今回のような問題をとらえて、正しい政治家としてのふるまい、正しい行動について考えるようなことを積み重ねていくことが大切です。飲食店で悪質ないたずらをし動画を撮影する行為しかり、悪質なあおり運転を繰り返す行為しかり、自律性を学ぶためには、こうした行為についてじっくりと自分自身のことのように考え、何が正しいのかを判断してみることをお勧めします。
これがまさに、古くから言われる「人のふり見て我ふり直す」という教訓に通ずる学び方です。


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