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142 おおじいのキャラメル


はじめに

今日の教育コラムは、とある少年がおやつに出した「キャラメル」を見てつぶやいた一言を聞いて思ったことをもとに、物を好きになるという行為がどのようなものであるのか、ということについて少しお話したいと思います。

きっかけ

キャラメルが好きな少年がいます。他のお菓子とキャラメルをおやつに出すことにしました。キャラメルがあるよと声をかけると、ある少年は嬉しそうに近づいてきました。
すると別のお菓子を選んで、嬉しそうにそのお菓子を食べていました。「キャラメル好きじゃなかった?」と聞くと少年は、「僕はおじいちゃんがくれた、ミルクキャラメルがすきなんだ。」と話してくれました。
味は同じミルクキャラメル系のものですが、おじいちゃんがいつもくれる黄色の箱に入ったミルクキャラメルがどうやら好きなようでした。好きなものとは小さなころの情景や経験が伴って決まっていく部分が多いのだということを改めて感じました。

好きになる原理とは

人がものを好きになる原理は様々ですが、国語が好きだとか算数が好きだとか理科が好きだとかといった教科の場合、小学生の頃にそうした好き嫌いがはっきりしてきます。
もちろんできるから、解けるから、分かるから好きという場合もあるでしょうが、教えてくれる先生が好きだからとか、授業で使った教材がとても素敵だったから、面白かったからという理由で、その教科そのものを好きになることって少なくないように思います。
それでは、感覚だよりではなく少しデータに基づき今の学校における子どもたちと大人の考え方を見ていきたいと思います。

学校への満足度

下のグラフは、中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会での配布物((第4期第4回)議事録・配付資料 [資料12] 教科の好き嫌い、学校生活の満足度、学校教育に求めるもの)です。
結果を見ていくと小学生、中学生共に行事に関する取り組みについては満足度が高いことが示されています。しかし、宿題の量を筆頭に学習指導や先生の対応や心の教育については満足度が行事に比べ低くなっています。
最も顕著なのが「一人ひとりの学力や興味に応じた指導」に対しては5割を大きく切る結果で、中学生に至っては3割弱ということで日本の教育がいかに一斉型で全体主義かということ、中間層に向けた授業であるかということが子どもたちの声で明らかになっています。アクティブラーニングはまだまだ取り入れる学校や先生たちの間で十分に理解されていないようです。

中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会での配布物((第4期第4回)議事録・配付資料 [資料12] 教科の好き嫌い、学校生活の満足度、学校教育に求めるもの

次に、学校で身に付ける必要性が「とても高い」能力や態度という点で大人と子どもの2つの視点からどのように考えているかを見ていきましょう。
教育者も含め、重要だと感じるものを大人は「教科の基礎学力」や「自ら学ぼうとする意欲」や「人間関係を築く力」としています。大して子どもは、いずれも「善悪の判断」や「協調性」や「コミュニケーション能力」としています。
やはり、ここでも意識の乖離が出ています。主体的に学ぶことを1位とせずに基礎学力の定着を最も重要としている大人の意識は、大きな矛盾を示しています。自ら学ぶからこそ、深く追究し幅広く学びます。その中で基礎学力的な教科の内容が伴ってくるようにしなければ、学び方の方向性も教育の方向性も同一のものであるという感覚が持ちづらくなり、違和感が生じます。
一方、子どもたちの方が、教育の大きな目標の人格形成に迫るためにどのようなことが学校で学ぶべきであるのかを適切に認識している可能性があります。もしかすると基礎学力や高い学力は、自学や塾で補えるけれども、同年代の仲間が同じ場所に集ってわざわざ、時間と空間を共にして生活をおくる意味をよく理解しているのは子どもたちの方なのかもしれません。

中央教育審議会 初等中等教育分科会 教育課程部会での配布物((第4期第4回)議事録・配付資料 [資料12] 教科の好き嫌い、学校生活の満足度、学校教育に求めるもの

さて、好きなものとはどのように決まるのかという話でまとめましょう。
何かに熱中できることが、好きなものを手にした瞬間なのかもしれません。つまり、それは「その人らしさ」が前面に出ていいことなのです。だとすれば、その人らしさが出せる状況で学ぶ必要があるのです。
自分は何が好きなのかということについて悩んでいる、悩んだことがある人は少なくないのです。例えば、何ひとつ思い浮かばないとします。すると「自分には何もない」と悩んでしまいます。
自分には何もないのではなく、何か好きになるきっかけは人それぞれの学び方や学ぶ経験によって掘り起こされるのです。みんなと同じように、同じ内容ができないといけないと考えさせられていることがそうした、自分の熱中できるものを掘り起こすという行為を邪魔しているのです。
基礎学力の向上が熱中するものに出会える方法だとしたら、すべての子どもたちがきっともっと目標や夢を語る日本社会になっていることでしょう。同じミルクキャラメルでも好きなものとは限らないということをもう少し教育に関わる全ての大人が認識しなければいけないのでしょう。

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