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戦場は日常でできている。渡部陽一さんが語る戦争の「本当」

戦場カメラマン・渡部陽一さんは、これまで世界中の戦場を取材し、戦場で暮らす人々をその目に映し、生きた声に耳を傾けてきました。

悲惨な戦場についてはもちろんですが、戦場に生きる人々の普段の姿も数多く写真に収めています。
それは、戦火の中にも、胸が痛むようなつらい現実だけでなく、温かな人々の暮らしがあり、渡部さん自身もそれに触れてきたからです。

10月20日に発売された『晴れ、そしてミサイル』では、そんな渡部さんが、実際にその目で見てきた戦場の本当の姿について語っています。
このnoteでは、本書の「はじめに」を公開します。

キーウの駅で抱き合う家族

キーウ中央駅で撮影した再開の場面

この写真は、ウクライナの首都、キーウ中心部にあるキーウ中央駅で撮影した写真です。

日本でいうなら東京駅のような、巨大な駅のプラットホーム。
花束を持った女性たちの姿が見えますね。その隣には、男性と少年が手をつないでいます。家族でしょうか。周りには大きなスーツケースがいくつもあります。
まるで旅行帰りの家族のようです。しかし、彼らはみんなで楽しく旅行に出かけていたわけではありません。

女性や子どもたちは、住んでいた街にようやく帰ってきた。
男性は、花束を抱えて、ホームで帰りを待っていた。
これは、再会の場面です。

2022年2月24日、ロシア連邦がウクライナへの軍事侵攻を開始しました。
圧倒的な兵力でウクライナを制圧できると確信していた、ロシアのプーチン大統領。しかし、ゼレンスキー大統領率いるウクライナ軍の徹底抗戦や、ウクライナを支援する欧米諸国の動きによって、戦争はさらなる長期化の様相を呈しています。

僕はこれまで、何度もウクライナに足を運んできました。
2022年9月の上旬から半ばにかけて、僕はウクライナに入り、取材を行いました。
軍事侵攻が始まってから、4度目の取材です。
そのとき僕が見たのは、日常が戻ってきたキーウの街でした。

ホームでは、父親世代の男性たちや、若いお兄さんたちが、電車の到着を今か今かと待っていました。彼らはみな18歳から60 歳の男性。戦時下のウクライナで戦闘要員の対象となり、出国を禁止されていた人たちです。

電車から女性が降りてきます。
男性が駆け寄ると、二人は抱き合ってキスをしました。

駅のホームでキスをする二人

続々と電車から降りてくる、女性や子どもたち、おじいちゃん。それからペットの姿もありました。戦争が始まってから、隣の国ポーランドや、その隣のドイツといった他の国に避難していた人たちが、キーウに戻ってきたのです。巨大なスーツケースを複数抱えている人たちが多く、乗客同士で荷下ろしを手伝う、温かな場面もありました。
ホームで再会した家族は、抱き合い、涙を流し、記念に写真撮影をしています。

「新しい季節」と書かれたTシャツを着る男性

中にはこんなTシャツ姿の男性も。
「新しい季節」。偶然でしょうが、日常が戻ってきたこの景色を象徴し、お祝いするような言葉です。
ウクライナは親日家が多いことで知られています。IT産業が発展しているため、ビジネスで日本を訪れたことのある人も多い。国際結婚をして、現在、ウクライナに暮らしている日本人もたくさんいらっしゃいます。
僕も、ウクライナで「日本語の漢字やひらがな、カタカナで名前を書いてほしい」と言われたことがあります。キリル文字とは違った、日本語らしい独特のシルエットに惹かれるのでしょうか。

戦時下の意外な日常

軍事侵攻が始まってから半年以上が経っていました。依然としてウクライナの東部では激戦が続いていましたが、この頃になると首都キーウのショッピングモールでは多くの店が営業を再開しました。

首都キーウのショッピングモール

この写真は、ブランドショップが並ぶショッピングモールです。とても戦争中とは思えない光景ですね。商品がたくさん並んでいて、物の流れが活発であることもわかります。休日になると、店は多くの買い物客で溢れていました。日本でいうと、表参道や横浜といった街を連想させます。

車が行き交うキーウの大通り

この写真は、大通り。たくさんの車が行き交っていますね。
この時期、朝早く公園に行くと、仕事に行く前にランニングをする人たちをよく見かけました。
地下鉄に乗って職場に向かい、お昼はちょっとおしゃれなカフェでランチをする。夕方、家に帰ってきたら、家族と一緒に、また散歩。夜はレストランで食事をしたり、オペラを見に行ったり。休日には結婚パーティーを行う新婚夫婦の姿も。

ウクライナの人たちは、家族や子どもたち、友人と過ごす時間を、とても大切にしています。離れ離れになるしかなかったこの数ヶ月間は、どれほどつらい期間だったでしょう。街中が再会の喜びで溢れているように、僕には見えました。

公園のベンチでは、恋人たちが語り合っています。僕が取材に出かける朝、「ああ、カップルがいる」と見かけて、夕方取材から帰ってくると、まだベンチで同じ二人が話していた、なんてこともありました。

ウクライナの日常。
家族で一緒に過ごす。仕事に行く。おいしいものを食べる。友達や恋人と語り合う。
特別ではない、ウクライナの優しい日常がそこにはありました。

戦争とふつうの日常が共存する日々

僕が取材を終えて帰国したのが、9月半ば。
翌月、10月10日。このキーウ中心部で、ミサイル攻撃と見られる爆発が起きました。

表参道のようなショッピング街に。
通勤や観光で、多くの人が行き交う駅に。
家族が、恋人たちが、優しい時間を過ごす公園に。
ミサイルが撃ち込まれた。

それは報復攻撃でした。その2日前に、ウクライナ南部クリミア半島とロシア本土をつなぐ「クリミア大橋」で爆発があり、橋の一部が崩壊。プーチン大統領はこれを「ウクライナ特務機関によるテロ」と断言。報復として、キーウ中心部のほか、リヴィウなどの地方都市を攻撃したのです。
国外に退避していたウクライナ市民が徐々に帰国している状況も摑んだ上で、あえて、一般市民が集まる中心部を狙った。ロシア軍にしてみれば「まだまだやるぞ」と己の力を誇示し、ウクライナ軍に揺さぶりをかける意味合いがあったとも読み取れます。

僕はこれまで戦場カメラマンとして、世界中のさまざまな戦地を取材してきました。

戦争というと、昔の戦争映画のような映像をイメージする方も多いでしょう。家や建物が爆破され、そこに暮らしていた人たちの姿はほとんどない。逃げ遅れた人たちが「助けてくれ」と叫んでいる。跡形もなく荒廃した道を戦車が行き、兵士たちが銃を持って向かい合う。そんな場面。

ところが実際に戦争が起きている国に入ってみると、拍子抜けすることがよくあります。
そこにはあまりにふつうの、日常の光景が広がっているからです。
人々は戦争の最中であっても、仕事をしたり買い物をしたりしていて、朝から晩まで緊迫しているわけではありません。

警報が鳴る。
今、どこかでロケット弾が撃ち込まれている。
だけどひとまず、大丈夫そうだから、ご飯を食べよう。
そうだ、大家さんに家賃を払わなきゃ。
ほら見て、きれいな夕日だね。

――不思議でしょう。ひょっとしたら、今にも爆弾が落ちてくるかもしれないのに。だけど、これが現実なのです。
どこもかしこも緊迫した戦いの中にあるのではなく、戦いとふつうの日常が共存している。

だから人々は、戦争下でも生きていける。
そして戦争は長く、長く続いていく。
日常の中で。
それが、僕が見てきた戦場の「本当」でした。

『晴れ、そしてミサイル』では、僕たち一個人が平和のためにできることを考えていきたいと思っています。

これまで、イラク戦争、ルワンダ内戦、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、アフガニスタン紛争、コロンビア左翼ゲリラ解放戦線、スーダン・ダルフール紛争、パレスティナ紛争など、さまざまな戦場で取材をしてきました。
そして、戦場で暮らす人々の生きた声に耳を傾けてきました。

1章では、冒頭でお話ししたような、ウクライナをはじめとした戦場での取材から見えてきた、戦争の実際の姿をお伝えします。2章では、これまでの紛争地域での取材や、日本でも起きているテロ事件を踏まえながら、なぜ戦争が起きるのかについて考えていきます。
3章から5章では、平和とは何かを考え、そのために僕たち個人ができることをお伝えしていきます。そして、6章では、日本の現在について振り返っていきます。

日本にいながらでも、平和のためにできることはあります。世界を知ること、世界とつながることです。それらについても、これまでの僕の経験をもとに具体的にお伝えしたいと思います。


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