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ベストセラー『嫌われる勇気』が、多くの日本人に与えてしまった誤解とは?日本にアドラーを伝え続けて40年の翻訳者が語る、本当のアドラー心理学

偉人・名著の超訳文庫シリーズ最新作の『超訳 アドラーの言葉』が、2024年1月26日に発売となりました。
このnoteでは、アドラー心理学の入門書にも最適な本書から、「翻訳者はじめに」を一部抜粋・編集して公開します。


アルフレッド・アドラー
(1870年−1937年)は、オーストリアの精神科医・心理学者です。言わずと知れた「アドラー心理学」の創始者であり、フロイト、ユングと並ぶ「心理学三大巨頭」の一人とされます。

2013年に発売されベストセラーとなった『嫌われる勇気』(岸見一郎・古賀史健著、ダイヤモンド社)でその存在を知ったという人も多いでしょう。のちに発刊された『幸せになる勇気』と合わせて、日本国内だけで370万部、全世界で1200万部を超えています。

ただ、「嫌われる勇気」というタイトルにもあるように、人間関係に悩む人、「嫌われる勇気」をもてない人などに、人気を博したような面があります。
これは、日本人の二つの性質が関係しているように思うのです。
「同調圧力」と「承認欲求」の二つです。
日本には、「みんなと同じでなければならない」という足並みをそろえることを求められがちな同調圧力が強く、また、「みんなに好かれたい」「嫌われたくない」という承認欲求が強い傾向もあります。そこに、「嫌われる自由がある」という言葉が刺さったところがあるのではないでしょうか。

ただ、困ったこともあります。
アドラーの名を聞くと、とたんに「トラウマは、存在しない」説と「課題の分離」が初学者から出てくることです。
結論からすれば、この二つは、アドラー心理学のとらえ方として不十分なのです。

トラウマはある

たしかに、アドラーの本には、このように書かれています。
「いかなる経験も、それ自体では成功の原因でも失敗の原因でもない。われわれは自分自身の経験によるショック ― いわゆるトラウマ― に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである」

ただこの文脈は、経験の一例として「いわゆるトラウマ」と書いているのです。
これは、「どんなことを経験しようとも、その経験だけで自分の未来は決まらない」ということです。

例えば、親から虐待を受けた経験のあるすべての人が、非行に走ったり人生が苦しいだけのものになるわけではありません。親から虐待を受けたからこそ、自分の子どもには虐待しないと固く決心し実行する人や、虐待を防止する活動をする人だっています。
つまり、「親から虐待を受けた」という経験だけで、その後の人生は決まらないのです。
建設的な方向に行くか、非建設的な方向に行くかは、自分で選べる。
そういうことを説いているのです。

もちろんですが、経験の「影響」は受けます。虐待の影響は受けるけれども「決定打」にはならないということです。
「トラウマはある。トラウマの影響は受ける。けれども、それをバネにして、糧にして、自分でその後の人生の方向性を決めることはできる」ということなのです。

アドラー自身も第一次世界大戦のオーストリアの軍医として従軍し、その渦中やその後にトラウマに苦しむ兵士をたくさん治療していました。その経験からも、「トラウマはない」とは言っていません。

「課題の分離」は人間関係の最終解決策ではない

もう一つ、その本では「課題の分離」でも誤解を与えていました。こちらは、著者というよりも読者側の誤解によるものかもしれません。

「課題の分離」をここで簡単に説明しましょう。
恋人とのデート中に、恋人が不機嫌だったとします。つい「私、何かダメなことを言ってしまったかな」「どこかで機嫌を損ねてしまったのだろうか」と気にする人がいます。
しかしながら、あなたがどんな発言をしようと、どんな態度をとろうと、「不機嫌になる」のは相手の問題です。同じ言葉、同じ態度をとっていても、不機嫌になる人とならない人とがいるからです。
したがって、その人が「不機嫌」なのはその人の問題・その人の課題であって、あなたが気にする必要はない。
こうしたような意味が「課題の分離」です。

たしかに対人関係で、相手の態度に一喜一憂してしまうと、ふりまわされることになります。
相手には相手の考えがある。相手には相手の受け取り方がある。
そうとらえて、気にしすぎないことは大切です。

また、「相手の問題・課題なのだから」と考えると、相手の顔色を気にしすぎずに、自分らしく振る舞い、発言することもできます。
そのため、「人間関係が楽になった」「嫌われる勇気をもつと、人の顔色を気にしないで自分らしくいられる」などと助けになった人も多いことでしょう。これはこれで、大切なことと思います。
ただ、「課題の分離」は、人間関係に悩む人の「最終解決策」ではないのです。

「共同の課題」のための「課題の分離」

例えば、親子の関係です。親が「部屋を片付けてほしい」と言ったところ、子どもが不機嫌になったとします。
子どもが不機嫌なのは、子どもの課題です。子どもが「部屋を片付けない」のも子どもの課題です。
けれどもこのときに課題の分離をして、親が子どもに対し、「私は『部屋を片付けてほしい』と思っているが、その思いをどう受け取り、行動するかはあなたの課題であり、私の課題ではない」というスタンスをとったとします。
「これはあなたの課題です。私の課題ではありません」ということです。
けれどもそこで終わると、親の心は楽になっても、子どものほうは突き放されたように思うことがあります。
子どもが「自分は大事にされてない」と感じたりするのです。

ですから、「部屋を片付けてほしい」と提案し、最終的に片付けるかどうかは「子どもの課題」ではあるけれど、「一緒に考えよう」と「共同の課題」を設定するのです。
この「共同の課題」を設定することが、人間関係に悩む人にとっての最終解決策であり、とても大切なポイントです。
「部屋を片付けてほしい」のは、「親の課題」です。親が勝手にかけた子どもへの期待です。
子どもがそれをどう受け取るかは「子どもの課題」です。
親自身が、「子どもが言うことをきかない」とイライラしたり、「片付けなさい!」と一方的に口を出してしまうと「相手の課題に土足で踏み込む」ことになってしまいます。
この場合、「課題の分離」を用いてお互いの課題をいったん分離し、その次にお互いが協力して取り組む課題として「共同の課題」を設定するのです。
「夕飯までには片付ける」「ボックスに入れるだけにすれば片付けやすいのでやれる」などと、やり方や期限についてお互い落ち着いて相談し合うのです。

つまり「課題の分離」は、「いったんもつれてしまった人間関係の糸をほぐすためのもの」です。その先には、必ず協力関係を置いているのです。
「課題の分離」は、いわば「共同の課題」の「前段階」のステップなのです。
「注意したのにいうことを聞かない」とか、「ちゃんと教えたのに何も変わらない」と怒る親は少なくありません。
こういう「私が○○○したのに、相手は変わらない」という悩みは、親子でも上司部下でも、友人でも、パートナーでもよくある話です。人間関係をこじらせてしまう原因になりがちです。

こうした悩みに、「私の課題」と「相手の課題」を切り分け(課題の分離)、そのあとに、お互いどうしたらいいかを落ち着いて話し合うのが「共同の課題」なのです。
「課題の分離」の一面だけが取り上げられ評価されてしまった感がありますが、本来は、「協力のための手続きの一つ」なのです。

人間は弱いから集団をつくる

アドラー心理学の本質には、「人間とは何か?」という問いがあります。
人間は、個体で考えると弱い生き物です。弱いからこそ群れをつくり、協力し合い、道具を扱うようになったことから生き延びたという人類の種の歴史があります。
ゾウやトラ、クマより弱い人間が万物の霊長になれたのは、集団をつくり、協力し合ってきたからなのです。
そうやって生き延びた人間だからこそ、集団・社会・共同体というものの存在は重要です。集団・社会・共同体なくして人間はない。それがアドラー心理学の基本にあるのです。

アドラー心理学で一番大事にしている考え方に「共同体感覚」というものがあります。
ここで言う「共同体」とは、人間の集団のことです。ですから、小さいのであれば家庭や職場がそれにあたります。大きいものですと、地域社会、国家なども共同体です。
共同体感覚とは、共同体にいる仲間の人間に関心をもち、仲間を信じ、仲間の幸せや成長に役立とうとする信頼感や共感、貢献感をいいます。
さらには、所属している共同体に対して「居場所がある」「ここにいれば安心できる」と感じる所属感や感情を指します。
共同体感覚とは、こういった共同体に対する所属感・共感・信頼感・貢献感を総称した感覚・感情のことです。

今、「心理的安全性」という言葉がビジネスの分野を中心に広がっています。
「生産性が高いチームは、心理的安全性も高い」。Google が実践していることで有名になった考え方です。
心理的安全性があるチームでは、意見を言いやすく、お互い協力し合い建設的な活動ができるのではないでしょうか。
この心理的安全性と、先ほどアドラー心理学で大切な概念とお伝えした「共同体感覚」は、非常に近い考え方なのです。

共同体感覚とは、共同体に対する所属感、共感、信頼感や貢献感などを総称した感情・感覚になります。
共同体に対して「居場所がある」「ここにいれば安心できる」という所属感をも含むのです。
社会の中に居場所がある、この組織にいれば安心だと思える、そういう感覚も大事にしているのです。
そういう感覚があるからこそ、人は自分らしさを生かしてのびのびと貢献できるのだといっています。

貢献の心理学

人はそれぞれ違って当たり前、もちろん能力にも違いがあり、遺伝的に違うこともあります。個性もバラバラです。
一人ひとり違う人間が集まる共同体であっても仲間に信頼感をもち、自分の役割を果たし、仲間のために何ができるか、社会のためにどうすべきかを考えることが大切なのです。これが共同体感覚です。

この共同体感覚は、「お互い仲良くしよう」「ベタベタしよう」というのとはまた違った考え方になります。
信頼関係やパートナーシップがあるうえで、お互いの共通の目的のために自分は何ができるかを考えることと言えます。

2023年、WBC(ワールド・ベースボール・クラシック)で日本の野球チームは優勝しました。大谷翔平選手の目覚ましい活躍もあって記憶に残っている人も少なくないのではないでしょうか。
個性も能力も異なるプロ野球選手たちですが、しかしながら、慣れ合うように仲良くしたわけではないでしょう。「仲良くご飯を食べに行って」とか「仲良くお話しして」というわけではありません。
お互いを尊敬し合い、信頼し合い、チームが勝つためには何ができるか。それを一人ひとりが考えた結果ではないでしょうか。

このWBCの例のように、共同体のため、つまり家族のため、チームのため、組織や会社のため、社会のため、「自分は何ができるか」という貢献の視点をとても重要としたのがアドラー心理学です。


『超訳 アドラーの言葉』は、アドラーの言葉を、現代に生きる私たちが理解しやすいよう、私なりに「超訳」してみました。
お手にとって読んでみて、深く心に刺さった言葉、視点ががらっと変わった言葉、勇気をもらった言葉などがあったら、ぜひメモしたり、手帳に書いたりするなどしてみてください。そして折に触れて読み返してください。

自信を失いそうなとき、くじけそうなとき、困難にぶつかったときに、あなたの助けになるはずです。

この本が、あなたの一助となることを願っています。


書籍情報

偉人・名著の超訳文庫シリーズに待望のアドラーが登場!
名言集だから、読みやすい。
アドラー心理学の入門書にも最適!

目次
Ⅰ 「働く」ことの意味
Ⅱ 人間関係の悩み
Ⅲ 愛・パートナーシップ
Ⅳ 教育において大切なこと
Ⅴ 勇気をもつ
Ⅵ ライフスタイル(性格)
Ⅶ 人間とは何か
Ⅷ 劣等感・劣等コンプレックス
Ⅸ 共同体感覚について
Ⅹ 学び、理解したことを実践せよ

著者について
岩井 俊憲
1947年、栃木県に生まれる。早稲田大学卒業。1985年、有限会社 ヒューマン・ギルドを設立。代表取締役。
中小企業診断、上級教育カウンセラー、アドラー心理学カウンセリング指導者。
ヒューマン・ギルドでカウンセリング、カウンセラー養成や公開講座を行うほか、企業・自治体・教育委員会・学校から招かれ、カウンセリング・マインド研修、勇気づけ研修、リーダーシップ研修や講演を行っている。
「勇気の伝道師」をライフワークとしている。


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