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20代自分史…夢を追って叶わなくて前に進んで倒れて-part4

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自分語り始めたいと思います。


25歳 2013年 平成25年

映画の専門学校に入り2年目に突入していた。

春休みを終わり二年になると撮影現場に行く人は早い人は自分から足を運びコネを作り撮影現場にどんどん行っていた。自分は焦燥感にかられつつ特に行動もできなかった。監督になりたい。それだけがあったからだ、助監督やほかのパートからスタッフとして叩き上げに監督になるイメージは一切持っていなかったからだろうと思う。まぁ自分のわがままである。そんなこんなで卒業に向けて作る映画制作(以降卒制)が始まるわけだがグループから外れて一人で作る事を選んだ。グループ制作で講師の人にやんや言われながらやるのに疲弊していたのと、まぁ単純にめんどくさいのと根底にはそれが怖かったのだと思う、自分を否定されるのが。。正直別にリスクはゼロなのだからやればよかったわけだがその時の自分にはできなかった。後々グループ卒制の体制をみると羨ましくもあった、卒制チームの絆の部分だ。グループで作った卒制チームには不思議な絆で結ばれていたようにも思う。自分はもともと誰かと何かに一緒になって取り組むより孤立して何かを職人のように作り上げるタイプでもある、それは別に監督としてそれが向いてなかろうが構わないし向いてる向いてないの問題ではなくやるかやらないかの選択の問題であると思っている。

結果間に合わせだけど自分のやりたいことを1%でも出来た卒制には実は不思議に満足している、規模はめちゃくちゃ小さいがそれは構わない。誰がなんといおうと俺にとっての卒制は成功したのである。笑

童貞の映画マニアのオタクサラリーマンが後輩に映画の話でマウンティングするが逆襲にあうというくだらない映画であるw

まぁどうせ個人の卒制なんてのは自己満足のオナニー映画である事を初めから公言するという卑屈さと皮肉もやりたかった。


↑これが本作である。

個人で卒制をやったおかげでますます専門学校での存在感は薄くなりパッとしなくなった、それと夏以降は脚本の授業でお世話になっていた脚本家の人と授業が終わり次第中華料理屋で飯を食って飲んだり話したりしていたのだった。あっという間に冬が来てボランティアで映画のスタッフに参加したりしていたそんな時たまたま一年の時に作った映画を観たとある映画業界の監督から助監督のオファーが来た。直々には電話がかかってきてびっくりしたのと何より断るという選択肢がそこにおいてはなかったので引き受けた。2013年の冬から準備に入っており2014年が明けて撮影に入った記憶である。

結果は散々の現場は地獄だった。

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