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工作員、ティーナに会いに行く①

もう長いこと、旅行のための旅行をしていない。
用事があってする旅行ではなく、観光や遊びが目的の旅行。
それを、していない。

理由はけっこう明白で、それは出不精の人ともう16年くらい一緒に暮らしているからで、「どこどこ行こう」と誘っても「そこで、何すんの?」と返されることが容易に予想可能で、よって仕事がある、手伝いがある、学会がある……そんな理由付けがなければ何となく国境を越える旅なんぞには出かけづらい環境で棲息している。

いやいや、人のせいにしてはいけない。
そもそも私は一人旅を愛している。自分以外の人に気を使いながらの旅行は「やりたくないことリスト」の上位に明記されている。人と旅行をする利点はお手洗いに行く時に荷物を見ていてもらえるくらいしか思い浮かばない。

六月に入って時間に拘束される教育機関系の仕事が次々と学期末を迎え、ふと
「去年は日本に行く予定があったから他の旅行なんて考えられなかったけど、今は時間もあるんだし近場でどこか行ってみたら?」
と思った。そう思いながら、パソコンの隣で常時横になっている『その名はカフカ 1』を見つめていた。
そして私は、自分に向かって
「ワルシャワ、行こう」
とつぶやいた。

本記事はワルシャワという街を知るためには何の参考にもならない、何とも独りよがりなワルシャワ紀行である。
6月24日から26日にかけてのたった二泊三日の遠足だったというのに、何だか超長文になりそうな予感たっぷりだが、お付き合いただける方がいらっしゃれば幸いである。


なぜワルシャワなのか

長編小説『その名はカフカ』を書き始めた当初、舞台になる街はすべて自分が一度は行ったことがあるところを選ぶようにしていた(もちろん第一部で登場する弾薬貯蔵庫のある村は例外)。
しかし第二部の中盤でどうしても「クロアチアの青い海」を物語に登場させたくなってしまった。私がクロアチアで行ったことがあるのは首都のザグレブだけで、しかも2005年のこと。観念してGoogleが見せてくれるリエカの美しい写真の数々で想像を膨らませて書くことにした。
以来、私は小説の中にまだ自分で足を踏み入れたことのない街を次々と盛り込んでいくこととなった。

しかし、街の構造が直接話の流れに関係している箇所は少ないとはいえ、隣国の首都ワルシャワに行ったことがないというのは何とももどかしい、とずっと思っていた。

だいたい、ポーランド自体にほぼ行ったことがない。

なんだ、その「ほぼ」というのは。
行ったことがあれば「行ったことがある」で、行ったことがなければ「行ったことがない」のだろう?

ちょっと説明させてもらえるかな?
カフカ第二部の最終話で舞台になったドイツとポーランドの国境に位置するゲルリッツは覚えているかい?
私は2008年にあの街で行われた学生映画祭で作品が上映してもらえるというので出かけて行った。その際「川の向こうはポーランドだ。行ってみるか?」と誘われたので、車でポーランドの領域まで行き、車から降りることなくドイツに戻ってきた。これが、私のこれまでの唯一のポーランド体験なんだ。
どうだい?「ほぼ」、と言えるんじゃないのかい?

……この上記二段落は一体誰と誰の会話だったんだろう。

とにもかくにも、ワルシャワ行きの国際列車には数えきれないほど乗っていたのに行ったことのないワルシャワ。ワルシャワ行きの電車に乗っていた時だって何度となく「この先乗り続ければワルシャワ」と思いを馳せたワルシャワ。

改めて考えてみれば、この22年間でチェコを囲む四ヶ国のうちのドイツ、オーストリア、スロヴァキアには何度となく足を運んだことがあるというのに、ポーランドだけはこんなにも手付かずだったのか!と自分で驚いた。

そう考えたら、俄然行くしかない気分になってきた。

思い立ったら突っ走る性格なので、速攻でプラハ-ワルシャワの往復チケットを購入した。

ちなみに電車のチケット購入後、パートナーに「再来週ワルシャワ行ってくる!」と意気揚々と宣言したところ、案の定「何があんの?」と返ってきた。そこでウキウキ「ワルシャワ!」と答えた工作員。
何だか小学生の「何やってんの?」「人間やってる」というしょうもない問答を彷彿とさせる気がしないでもない。

ワルシャワは観光地ではない

ワルシャワでの観光が気に入っている人に袋叩きにされそうな見出しであるが、私は長いことそう思っていた。ワルシャワはポーランドという大きな国の大きな首都ではあるが、第二次世界大戦で全てが破壊され、よって全てが新しい。古いものがないというのは観光名所にはなり得ないのではないか。そんな思い込みがあった。いくら元通りに復元させたと言っても、新しいものは新しい。

新しければ見る価値がないというのもおかしな話だ。よく知りもせずに決めつけるのは良くない。ワルシャワの歴史地区が1980年にユネスコ世界遺産に登録されたことを忘れてはいけない。

そう思ってはみたものの、ワルシャワ行きを決めてすぐに買ってみたポーランドのガイドブックは本の最初の約三分の一をクラクフが占めていた。

『ポーランド』というタイトルで!
クラクフが最初に載ってて、しかも本の三分の一!

観光ガイドって普通、首都から始まるんじゃないのか……?

この本の中でワルシャワはほんの数ページ。ブダペストだったらハンガリーの一番の目玉だろうし、そもそもブダペストだけで独立してガイドブックが売られている。

この差は、一体何なんだ。

ちなみに私が買った本はBerlitzが英語で出した手のひらサイズの本の翻訳もので、その書店では他のポーランド関連のガイドは見当たらなかった。チェコ人にとっては、ポーランド自体が観光地ではないのかもしれない。

一応ワルシャワにも持って行ったが一度も出さなかった。

いろいろと「ワルシャワは観光地ではない」を裏付けるかのような現象を垣間見た気がしたが、何でもかんでもオンラインで済ませるこの時代に紙で観光ガイドなんかを求めたのが間違っていたのかもしれない。

しかし私はこういった観光ガイドや地図を紙媒体で眺めるのが大好きで(スグリと同じ趣味。むふ)、世界の旅行代理店が出店する見本市での毛筆書きの仕事なんかが入ると休憩時間に他国のパンフレットをかき集め、帰ってからウハウハ言いながら眺めている。

この一冊も、きっと無駄にはならないだろう。

工作員、てめえは銭の勘定ができねえのか

「ワルシャワに行こう」と思うまで、私はポーランドも未だ自国の通貨を保っていることを知らなかった。というよりも意識していなかっただけかもしれない。ポーランドズウォティのPLNの表記はネットのレート計算機で何度となく見ているはずだ。
EUに加盟してもユーロに変更していないのは意地っ張りなチェコくらいなものなのだろう、と何となく頭の片隅で思い込んでいたのだと思う。2009年にスロヴァキアがあっさりとユーロに変更した時に何だか裏切られた気分になったのが印象深すぎたので、その影響かもしれない。そう言えばハンガリーも今も自国のフォリントを使っている。

で、肝心のレートなのだが、検索したところ、1ズウォティが現在5,75チェココルナ、と出てきた。
小数点以下四捨五入で1ズウォティは6コルナ、と考えられる。
円安の昨今、1チェココルナは約6,5円辺りをウロウロしているので、小数点以下切り捨てで6円と考えられるとして、ポーランドズウォティと日本円はだいたい同じだなあ、と思った工作員。

ちょっと待て、工作員。
工作員として、恥を知れ。

1ズウォティ=6コルナ
1コルナ=6円

これのどこが同じなんだ。ここからどうしたら「1ズウォティ=1円」になるんだ。

5,75コルナを小数点以下切り上げたのに、6,5円を小数点以下切り捨ててしまった時点でこの工作員の杜撰さが露呈しているというものだが、それにしても心配になるな、こいつの工作。

出発前に三千字

このような何ともいい加減な準備段階を経てワルシャワへ向かったのだが、ワルシャワ行きの電車に乗る前に既に3000字以上書いてしまった。
当初は「ワルシャワに行ってきました」とサラッと一記事で終わらせる予定だったのだが、この後自分はどれだけ書くつもりなのか、と考えたら怖ろしくなってきたので、この準備段階を第一話とし、このワルシャワ紀行は(たったの二泊三日なのに)数回に分けてお届けしようと思う。

引き続きお付き合いいただければ幸いである。


工作員、ティーナに会いに行く②へ続く


車内での落書き一枚目。むむ、この「車内落書き車内撮影」自体が既に何だか懐かしいですなあ。


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