『月と散文』の「はじめに」が最高すぎる
又吉直樹の『月と散文』を読んだ。
これの「はじめに」が最高すぎたので紹介したい。
冒頭、小学校のころに書かれた又吉の作文について語られる。クラス文集の巻頭を飾るような素晴らしい作文だったのだが、それを見て、両親は笑ったそうだ。理由は、「恥ずかしい」というワードが作文内に頻発していたから。
この「はじめに」はそんな「恥ずかしい」と思うことについて書いている。
この一文で、グッと引き込まれた。自分も非常に共感できてしまったのだ。
何をするにも、恥ずかしい。そんな気持ちは常に自分にもあった。
だから、Twitterでも何でも、ROM専だったし、自分を表現するのにすごく臆病だった。友達も、本当にシンパシーを感じる人としか仲良くできず、多くの人と交友関係を築くことができなかった。
でも、その後、こんなことを又吉は言う。
ここからの展開が非常に好きなのだ。「恥ずかしい」と思うと、何もできない。そんな人生はつまらない。全てが恥ずかしいのなら、何をしても一緒ではないかという開き直り。
恥ずかしがりやで、偏屈な人間であるなら、それを前提に自由に生きるべきだという前向きなメッセージ。
そして、こう続く。
ここ最近、noteを書き始めた自分に直撃だった。なんで、自分はこんな恥ずかしいことを始めたのだろうかと、自分のことながら原因が分からなかった。初めて投稿した記事には、アウトプットを習慣にしたいとか、もっともらしいことを記載していたが、そんな実益的な部分ではない、精神的な理由を知りたかったのだ。
それに、1つの回答を与えてくれた気がする。
そう、何をしても恥ずかしいなら、好きなことをやって恥を掻けばよい、そんなヤケクソ精神だったのかもしれない。
たかがネットに自分の駄文を垂れ流しても、死にやしないというヤケクソな気持ちで自分もnoteを書き連ねようと、覚悟を決めれた気がする。
そして、この段落はこの一文で終わる。
こうして、「恥ずかしい」を「アホ」に変換していくと、愛おしさすら生まれる。だから、アホな自分を愛し、よりアホになっていくために、掻き続けるという趣旨で、この「はじめに」は終わる。
同じく、「アホ」なことを始めた自分は、すごく勇気づけられた文章だった。
他、面白かった箇所紹介
正直、この「はじめに」がピークだったのだが、それ以降の面白かった箇所を、タイトルと一緒に紹介していく。
カレーとライス
又吉の親友の話。この2人の会話のルールが非常に面白かった。
お互いが適当なことを言い、その適当なことを否定せず、さらに適当なことを言って、そのまま言った通りの行動をするというルール。
「カレーの日やらかな、今日は」と相手が言ったら、否定せずに「4件はカレー屋行かなきゃね」と返していく。
そして、本当に適当な会話を実現するために、自由気ままに遊び回る2人。すごくピュアだし、こんなノリを大人になって続けていける生き方にすごく憧れた。
幼いころの生き方を貫けるというのは、それはそれですごくカッコいいと思う。
どこで間違って本なんか読むようになってしまったんや
こんなnoteを書いている通り、自分は本に限らず、良いと思ったものをオススメする人種。でも、又吉はそうではない。
林修なり、森博嗣なり、自分が好きな人物はあまり本をオススメするのを好きじゃない人が多かった(しかし、出版社の要望で書いた彼らの「本を紹介する本」はめちゃくちゃに面白い)。
又吉のは彼らとオススメしない理由が少し違い、面白かった。
相手の時間を無駄に奪ってしまうリスクとか、そういった小心者感を感じる理由もあったのだが、「本と作者に申し訳ない」という理由ご最後に来た。
これが、あまり聞かない理由だった。まあ確かに、勝手にマッチングさせて、嫌われるとか、作者からすると腹立つのかな…?
本当にどう思っているかは作者に聞かないと分からないが、この理由は、彼の優しさを感じられて好きだ。
その後、又吉が唯一、他人にオススメするのは太宰であることの理由も面白かった。「自分ごときが何をしてもビクともしない強さ」があるからと。
逆に自分は、全ての作品に対して、こういう信頼感はあるかも。そして何よりも、自分がこうした他人のオススメで何度も良い出会いをしてきたので、その恩返しということもある。
そして、この章の後半部分では、「読書」という趣味が高尚なものになっていることに関する疑念が書かれている。
これには非常に共感できた。
又吉の言う通り、読書をするヤツなんて、学生時代は変人扱いだったのに。
いつの間に褒められたり、「カッコつけた」と思われるような趣味になったんだろうか。
みんなもっと読書に対してのハードルを下げて気楽に取り組んで欲しい。
覗き穴から見る配達員
Uberの配達員を覗き穴から観察するのが趣味という、何とも悪趣味な話。でもそれを「面白そう」と思ってしまうので、少し共感できる。
最後、善良な配達員によって、又吉がすこしギャフンと言わされるようなオチなのも含めて良かった。卑屈な人間はまっすぐな人間に成敗されてなんぼです。
なにか言い残したことはないか
死に際に、遺言求められたら悩むよね、という話。
辞世の句とかカッコよく言える偉人に憧れつつ、自分には難しいと思っていたので、これにもめっちゃ共感した。
多分、自分も又吉と同じく、オドオドしながら、情けない一言をいって死ぬんだと思う。
魂を解放してもいいですか?
カラオケ苦手だけど、歌を歌うのが好き、という話。
自分も、大学生で酒を飲むまで、カラオケが大の苦手で、友達とかとは一度も行かなかったから、気持ちはわかる。知らない曲入れて盛り下がったら悲しいし、自分の場合は本当に音痴だからなおのこと。
又吉が小さい頃、よくブランゴに乗って気持ちよく歌っていたらしい。それを女子から指摘されて、恥ずかしくて誤魔化そうとしたときに、その女子から
「歌好きなのはいいことやん」
と言われた。この一言で、歌うことを嫌いにはならないようにしてきたし、歌いたい時には歌おうと、前を向いていくところがすごく好き。
そうなんだよ、「歌好きなのはいいことやん」で、いいんだよね。盛り上がりとかそんなの気にしちゃう辛くなっちゃうけども。カラオケが苦手という人に聞かせてあげたい。
小説家としてのエッセイ
気に入ったお話としてはこんな感じ。とにかく、「はじめに」が最高すぎた。
全体的な感想としては、さすがの文章力と、又吉の作家性を感じるエッセイだったなと。オードリー若林のエッセイは、捻くれた芸人のエッセイ、って感じだったけど、こっちは小説家のエッセイ、という感じだった。
1つの物事からどんどんと物語を作っていく感じ。エッセイとしては、若林のほうが刺さった部分は多かったかもしれない。
順番逆転しちゃったけども、次は『火花』を読んで、エッセイ作家ではなく小説家としての又吉を感じてみようと思う。
以上!
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