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Dichterhut ~詩人の帽子~

はじめまして、こんにちは。
このページにお越しくださりありがとうございます。
僕の名前は、宮加谷 和俊(Kazutoshi Miyagatani)といいます。
ちょっとめずらしい苗字で、WEB調べですが、
全国で40名、広島県に多く内70%は広島にいるようです。
(ちなみに僕は広島の呉出身です。)
僕の身内で約17人くらい知っているので、全国の半分くらいは、
知ってる人だと思います(笑)

今日は、これから始めていこうと考えている、
Dichterhutという活動について説明したいと思います。
青い正義感と机上の理想論、つたない文章にまみれた、人によっては不快
な文章になるかもしれません。どうか、広い心と温かい目で見てもらえると幸いです。

Dichterhutとは

”詩人の帽子”という言葉のドイツ語訳です。

dichter  : 詩人の
hut        : 帽子

皆さんは、”詩人の帽子”と聴いて何を想像しますか?

人によって想像するものは様々かとは思いますが、
僕は、あの物語のキャラクターを想像します。
そうです。あのフィンランドの作家 トーベ・ヤンソンが描いたあの物語、
その中に出てくる登場してくる緑のやつを想像します。
みなさんはどうでしょうか?

そこから連想されるのはフィンランド・スウェーデンなどの
北欧に広がる草原、彼が奏でるハーモニカの音楽、そして彼に誘われるように集まるゆかいな仲間たち。
統計はとってないのでわかりませんが、それくらい、彼の吟遊詩人感は強く
皆の記憶に残っていると思います。

何が言いたかったか、少し脱線しましたが、要するに、”詩人の帽子”
僕は、”人の想像力を刺激し同じ風景を投影する力”を感じています。
この後、詳しく話していきたいと思いますが、この言葉の力を借りて、
みんなの想像力を掻き立て、創造力を引き出せるような、クリエイティブを発信していきたい。(ここは僕のエゴです。)
その活動のことを総じて、 Dichterhut ~詩人の帽子~ と名付けました。

人の世を創るのは今生きる僕たち

昨今、新型コロナの影響で、
多くの人が、我慢を強いられ、金銭的苦境、仕事がない、明日への不安、生命の危機、これまでと違うやり方への順応、得られたものが得られない恐怖と戦っている、向き合っている、よく生きようと懸命でいる、と思います。
正直に申し上げますと、新型コロナがなかったとしても、社会の水面下で
みんな一人一人がこれらに向き合ってきているし、
新型コロナはそれを万人にわかりやすく表面化させただけであると個人的には考えています。

格差社会、高齢社会、経済成長の停滞、グローバル化、自由競争市場、宗教問題、人権問題など日本社会だけでない世界中で、
これまでの社会を築き維持してきたシステム(民主主義/資本主義/共産主義/社会主義)が環境変化による経年劣化、さびてきているように僕は、感じています。(もちろん賛否はあると思いますし、極端なことを言ってごめんなさい。でも言います。)
このままの社会をただ維持し停滞を続けることは大きなリスク・落とし穴が潜んでいるように思えて、ならないのです。
僕は、このDichterhutという活動を通じて、これから訪れる未来の社会にあった、新しい仕組み・システムの原案を創造していくことを志向したいと考えています。
今を生きる僕たちから生み出されたそれはきっと未来をちょっとだけよくしてくれるから。。。

江戸時代末期、時代を創った人たちがいました。当時は、志士と呼ばれていました。彼らは彼らが生きる時代において、どうある未来がよいのかと、自らに問い理想を掲げ、そこに至るための課題を見つけ、いかに実現するかを志向しました。すべては未来のため、今を生きる僕らのために。

第二次世界大戦に至った理由は明治維新の富国強兵にあったと語るものがいます。その通りかもしれません。あれほど、日本国の国力を削ぎ、失策とされる政策を実行した日本はバカだと語る人もいるでしょう。ただ、今の僕たちが享受している、日本国のこの平和は、第二次世界大戦の敗戦、失敗がなければなかったかも、しれません。

戦争が終わり、高度経済成長期、自分たちは這い上がれると信じた人たちの手によって、日本は先進国までのし上がりました。先人たちの残してくれた、社会システム・インフラ・産業・文明文化はすさまじく、終戦からまだほんの約80年しか経っていないというのは驚きです。ここまで来るのにどれだけの人の、人生が、心が、理想が、熱量が使われたのか、僕には想像もできません。

過去のどの時代、どの事例を見ても、その瞬間を懸命に生きてきた人によって繋がれて、今があります。
人の世はいつだって、今を生きる僕たちにしか創り出すことができません。
自分のため、未来のため、子どもたちのため、夢をつないでくれる後世のために何ができるのでしょうか?
過去、現在、未来を生きるすべての人を総称して、人類。その人類の一端としてこの世界に何が自分にできるのか。
僕はこの活動を通じて、このnoteを読んでくださったみなさんと一緒に考えていきたいと思っています。

強い文脈と弱い文脈

いま世界を動かしている大きな流れは、政治や経済、社会システムや法律・ルール、ほかにもエンターテイメントなど、大きな存在の文脈によるものがほとんどです。

例えば、有名な資産家・投資家や、権力を持った政治家、そして知名度や認知度が高いゆーちゅーばーと呼ばれる者たち、有名な映画、小説、漫画、アニメ。。。

大きな流れを生み出す一部の大きな存在と、それを受け取る大多数の小さな存在(不快に思われたら申し訳ございません。僕は小さな存在と自認しているので、この言葉を使わせていただきます。)。この2分化がどんどん進んでいるように思えます。

ここでは、大きな存在から生まれる文脈を”強い文脈”、小さな存在から生まれる文脈を”弱い文脈”と表現し、それぞれの文脈について考察していきたいと思います。

※この言葉は”渡邉康太郎『CONTEXT DESIGN』”から自分なりに解釈を変更
 させ、引用させていただいております。詳しくはこちらをお読みください。
 誤用しているかもしれませんが、ご容赦ください。

人は日常的に、大きな存在から影響を受けています。
身近に言えば、アニメを見た人がいたとして、その人は、アニメという存在が生み出す、”強い文脈”に影響を受けます。
その影響の多くは、受けた側の中で消費されていきます。
ですが、普段何かに影響を受けたとき、何かを感じて考え、想像することはないでしょうか?”強い文脈”を消費した後で、受けて一人一人が”弱い文脈”の生産者になっていると考えることはできないでしょうか。
あなたが今日、一日生きて、様々なものを消費する中であなたの中から生まれた”弱い文脈”。この文脈にこそ価値があり、実は”強い文脈”よりも重視されるべき、ほんとの理想・熱量であると僕は考えています。
今これを読んでくれるあなたの中に、いったいどんな”弱い文脈”が生まれているか、想像もできませんし僕はワクワクとドキドキが止まりません(笑)

歴史は一部の偉人によってなされたのではありません。
文化は一部のすごい人が創り上げたのではありません。
名も知られぬでも、理想と熱量に満ちた多くの人たちによってつくられているのです。

僕はこの場を、そんな僕が日常的に考えている”弱い文脈”・理想・熱量に質量を持たせた作品作りをしていきたいと考えています。

”詩人の帽子”の力を借りて、僕の作品を受け取ってくれる皆さんの、心の中に、頭の中に、気持ちの中に、”弱い文脈”を生み出せるような、クリエイティブを志向して、モノづくりをしていきたいと考えます。これが僕の中にある僕だけの”弱い文脈”です。

そして、できることなら、ぜひみなさん自身が、自分が生み出した”弱い文脈”・理想・熱量を大切にして、せっかくならその”弱い文脈”に質量を持たせられるような取り組みをしてほしい、それが一緒にできたらこの上ない楽しみになるだろうなと強く強く願っています。

"弱い文脈"はひとつでは無力です。一人でやるには途方もない。けれど積み重ねた"弱い文脈"は時に"強い文脈"と引き合う力を持ちます。
それは歴史が証明しています。
世界各国の人類史に残る革命の多くは、
"弱い文脈"である、市民の意志によって
なされ、一人一人の中にある、小さな物語の
種が、大きな時代のうねりを創り上げます。
同じようにみんなならできるし、
みんなしかやらないことです。

僕は皆さんと一緒に、いつかの、どこかの、だれかの、なにかの、ために、
今ここで0から物語を創造することを始めたいと思っています。

諦めたくなる、でも、一人じゃない

僕は、社会人です。サラリーマンです。いつもお金を稼ぐため、ご飯を食べるために一生懸命で余裕なんかいつだってありません。
みんなのことを考える余裕も、新しいことにチャレンジする余裕も、
一人で頑張る気力もありません。。。

でも、今のままじゃだめだなと思っているのも事実でした。
何かしたかった、何か生み出したかった、何者かになりたかった。

子どもに誇れる自分であるか、なんのために生きてるのか
未来のことを考えられているか、今僕は何をすべきか、どうあるべきか。

ご飯食べたくないなぁ、今日寝たら明日が来る、寝たくないなぁ。
自分ダメなやつだなぁ、自分に価値なんかない、
早く、死にたいなぁ。

僕はみんなと同じです。今度やるガンダムの映画を早く見て、”強い文脈”に影響を受けたい、小さきものです。

こんなありふれた小さきものですが、自分なりの”弱い文脈”を、
吟遊詩人の語る叙事詩のように、
人々の心を導いたかの唄のように、
子どもたちの心を育てた童話のように、
未来を諭すSF小説のように、
心に寄り添う優しいアニメのように、
心揺さぶるヒューマンドラマのように。

こんなご時世だからこそ、不安や恐怖を、心や気持ちを、少しでも柔らかく、寄り添えるように。

余白だらけで、不完全で、時に人を不快にさせるかもしれません。
それでも、N=1で共感してくれる誰かがいるなら、僕は一人じゃない。
その誰かが、次の誰かに、”弱い文脈”の連鎖をつないでくれるように、

今日も僕は、言いたいことを、やりたいことを、

僕しか言わない、僕しかやらないことを、

正解なんてわからないけどとにかく、がむしゃらにつたなくでも、

バカにされても、ののしられても、発信します。

Dichterhutに夢を託して、僕は今日も詩(うた)をかき、明日をかきます。

世界が今よりちょっとよく、想像と創造に、
溢れますように。

フィクションがリアルに
 ストーリーがヒストリーに
  キッズがヒーローに

       Dichterhut ~詩人の帽子~


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