ベストセラー編集者が明かす「売れる本の鉄則」、若手時代につかんだ極意とは?【新入社員がインタビュー】
最初の興味は編集者ではなく「起業」
ーー種岡さんはなぜ編集者という仕事に興味を持ったんですか?
どこから話せばいいか難しいのですが、大学生の時に一番最初に興味をもっていたのは「起業」でした。当時、サイバーエージェントやライブドア、ミクシィなどが話題になっていて、学生起業というのをしてみたいなと思っていたんです。漠然と「東京の大学に行けば、学生起業を目指す人たちと関われるのではないか」と思い、上京して早稲田大学に進学しました。
大学に入った後、起業を目指している学生にたくさん出会ったんですが、ほぼ全員が「ものすごい行動力があるモンスター」だったんです。それが本当に驚きでした。実は僕もひっそり起業をしたんですけどね……。
ーーどんな会社を起業したんですか?
不登校の子どもがいる家庭に、将来教師になりたい大学生を家庭教師として派遣するサービスです。どちらかというとNPO寄りの事業でしたね。起業したのは大学2年生のときだったんですが、事業に夢中になりすぎて、その年の単位が4単位しか取れなかったんです。その後、奨学金も一時的に打ち切られて、「これは人生詰んだな……」と思いました(笑)。結局その事業は共同でやっていた友人に任せて、なんとか単位を挽回して就活も嫌々ながらやりきって、本当に危機一髪でした。
「誰かのモチベーションの原点になる本」を作りたい!
ーー「起業」と「編集者」にあまり結びつきを感じないのですが、そこからどうして編集者を目指すようになったんですか?
先ほどの起業を目指している学生は共通して、「ものすごい行動力があるモンスター」だったのですが、それに加えてもう一つ「本をたくさん読んでいる」という共通点があったんです。
僕も、当時話題になっていた、『渋谷ではたらく社長の告白』や『夢をかなえるゾウ』、『金持ち父さん 貧乏父さん』などを読んでみたらすごく面白くて衝撃だったんです。根っから行動力があるように見える人たちでも、裏ではこっそりビジネス書や自己啓発書を読んでモチベーションを上げているというところにグッときたんですよね。
そこが行動につながるモチベーションの原点になるような気がして、それを生み出せるような本を作る側に回るほうが自分には向いているんじゃないかなと思うようになり、編集者っていいなと思うようになりました。
ーー今、何冊かビジネス書のジャンルにあたる本が挙がりましたが、大学生の頃からビジネス書を読む人は珍しい気がします。種岡さんは元々本が好きだったんですか?
高校生になるまでは、本は全然読んでなかったです。高校生になって、勉強を頑張ろうと思って、最初は受験参考書を探すために書店に行くようになりました。そこから勉強法とか受験体験記とかをのめり込むように読むようになって、ある時、たまたま山田詠美さんの『僕は勉強ができない』という文庫のタイトルが目に飛び込んできて。
当時僕は本当に勉強ができなくて、そのタイトルがとにかくすごく気になったんですよね。けれど、現代文以外で小説を読む習慣がなかったので、『僕は勉強ができない』が気になるけど、手には取らない。そんな状態が3、4か月くらい続いて、ある時「まあ買ってみよう」と思い読んでみると、めちゃくちゃ面白かった。周囲の「普通」に違和感を抱える主人公がすごく魅力的で、「本って面白いな」と思った。
この本がきっかけで「本」そのものに興味をもつようになりました。そこから、山田詠美さんに影響を与えた別の作家を辿りながら小説を読んだり、タイトルが気になった新書を読んでみたり……。いろいろなジャンルの本を読んでいるうちに大学生になり、先ほども話した『渋谷ではたらく社長の告白』などビジネス書も自然と読むようになりました。
「考えるよりも先に動く」ということを叩き込まれた
ーー種岡さんは新卒で大和書房に入社したんですよね。
大和書房は、ビジネス書をはじめ自己啓発や生き方、人生論などをテーマにした本を多く出版しています。入社すると編集として採用されたんですが、半年後に「編集以外の業務をやったほうがいい」ということで制作部に異動になったんです。
ーーえっそれは何でですか?
うーん、朝起きられなかったり、締切が守れなかったり、編集部にかかってくる電話でうまく受け応えができなかったり……。社会人の基礎的なことができなかったんですよね。だから、「まずは内勤として働いたほうがいい」ということもあって、異動になりました。
制作部は、常に会社にいて、編集者や営業部の間で調整をしたり、印刷や製本を効率よく進めなければいけないという環境でした。その中で、事務処理能力とスケジュール管理のことがとても鍛えられましたね。「考えるよりも先に動く」「先回りしてトラブルを防ぐ」ということを叩き込まれたように感じます。制作部に1年半ほどいたあと、もう一度、編集部に戻ることになりました。
「嫌いなことだけど、どうしてもやらなければならないこと」は本との相性がすごくいい
ーー編集部に戻ってからはどんな本を担当しましたか?
最初に作った何冊かは全然売れなかったですね。最初に手応えがあったのは、3年目に作ったpha(ふぁ)さんの『しないことリスト』という本です。phaさんはフジテレビのドキュメンタリー番組「ザ・ノンフィクション」に出ていたのですが、「日本一有名なニートの生き方」というテーマで、「所有しないリスト」「努力しないリスト」「自分のせいにしないリスト」といった具合に「○○しない」という切り口で著者の考え方をまとめたんです。単行本と文庫で合わせて、今たぶん13万部くらいですかね。
あとは『おしゃれが苦手でもセンスよく見せる 最強の「服選び」』も4万部くらい売れました。僕自身、自分で服を選ぶのが本当に苦手でした。大学生の時は適当なものを着ていてもそれなりに似合うんですけど、社会人になって25歳を過ぎるとある程度ちゃんとしたものを着ないとヤバいなと気づいたんです。そこで、これまでファッション誌も読んでないし本心ではおしゃれに興味はないんだけど、そこそこまともに見られるようなファッションのコツをまとめた本を作ったんです。ここで初めて、自分の悩みと読者のニーズがカッチリ噛み合うような感覚が得られました。
ーー若手時代に、売れる本を作るコツは掴めた感覚があったんですか?
そうですね、それこそ『最強の「服選び」』で「嫌いなことだけど、どうしてもやらなければならないこと」は本との相性がすごくいいことに気づきました。この原則って、たとえば人前でプレゼンすることとか、料理とか片づけというジャンルにも共通することだと思うんです。
また、本を作り始めて2〜3年目で、なんとなく本を作っているだけでは売れないということに気づいて焦って、そこからは毎回、「こうしたら売れるんじゃないか?」という仮説を立てて、試してみています。「タイトルを思いっきり強い言葉にすればいいんじゃないか?」と思って、「神・〇〇」「無敵の〇〇」というタイトルを付けたり。「実はみんなタイトルより帯コピーしか見ていないんじゃないか?」と思って、帯の幅を思い切り高くしたり……。そしてそれがうまくいっているかを振り返る、ということを毎回するようになりました。
あとは、特に若手の頃は、5歳から10歳上くらいまでの先輩たちを見て「あっ、こうすれば売れる本を作れるんだ」ということをとにかく観察していましたね。今の上司の三浦さん(前職も同じ大和書房)が、一時期、「一流」「最強」という言葉をタイトルによく使っているのとかを当時はすごく見ていた気がします。あらためて過去の担当書を振り返ると、本当にさまざまな先輩方の影響を受けているなと感じますね。
ーーインタビューの後編では、ベストセラーとなった『リーダーの仮面』がどのようにして生まれたのか、今後の編集者としての目標などを聞いています!8月27日(火)17時に公開予定です。ぜひご一読ください!
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