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活動家同士の蛸壺への引き籠りと啓蒙される側の自分事化キャパオーバー

何気なく感じている事をつらつら論じたい。

1.「社会問題」を取扱う総合デパートの不在

 1992年の地球サミット、1995年の阪神淡路大震災を皮切りに、日本では社会課題を解決に取り組む市民活動がより活発化した。1998年にはNPO法が公布施行され、内閣府のデータによれば、NPOは年々増加傾向にある。そのため、現在では何らかの社会問題の解決のために誰かが何らかの形で解決へと行動することが当たり前の世の中となった。更には、インターネットやSNSの誕生による爆発的な情報拡散がなされたことも相まって、個々人が身近に生じた社会問題を気軽に発信できる時代となった。これにより「社会問題を自分事化させよう。よりよい社会のあり方を普及啓発させよう。」との善意から、NPOも含め発信活動に躍起となっている。

 私は皆様の価値観を揺さ振る思想家として、社会問題と称される全ての現象やNPOが目指す理念に目を通している。いずれの活動においても崇高な理念が掲げられ、全ての理念が実現すれば、人類の幸福追求に一役買うであろう。しかしながら、大多数の活動家は、自身が掲げる理念の実現に邁進し過ぎるあまり、同様の活動を行う者との協働・共創まで至っておらず、社会に対する強いインパクトが打ち出せていないのが現状である。また、活動家がある一つの社会問題に固執するあまり、他の社会問題との関係性や問題解決の優先順位に関する検討については、結局は政府が行なわざるを得ない状況となっている。そのため、日本においての市民活動の力はまだまだ他の市民活動が活発な国家と比べて劣っている。全ての社会問題を俯瞰している活動家が乏しいのである(本来は政治家がその役割を担うはずなのであるが、現実的ではないであろう。)。

2.啓蒙合戦による啓蒙する側・される側の共倒れによる喪失感の蔓延

 これまで論じてきたように、日本では市民活動が活発化する一方で、自分の活動領域の外に目を向け、総合的に問題解決に挑もうとする者が少ない状況である。啓蒙される側の立場からすれば、「いろいろな個人や団体がいろいろな主義や理想、具体的な行動を啓蒙しようとしているが、全てを実践することは無理である。」という自分事化のキャパオーバー状態となってしまうだろう。

 これは、リテラシー向上業界においても同様のことが言える。よりよい生活のため、各団体がより多くの者が不利益を被らないために、「リテラシー」を向上させようと啓蒙活動を行っている。例えば、メディアの情報を鵜呑みにせず、物事を正確に把握するためのメディア・リテラシーやネット・リテラシー、人生で個人資産に悩まないようにするための金融リテラシー、疑似科学の商品を購入しないようにするための科学リテラシー、データを正確に理解し、正確に意思決定をするための統計リテラシー・・・等である。これらのリテラシー向上業界では、各々の理念を達成するためのあらゆる工夫をして、教育や情報発信活動に注力している。これも啓蒙される立場からすれば、全てのリテラシーを向上させるためにリソースを避けるわけではないので、結局何が最優先かを教えてほしいと嘆くことになるだろう。啓蒙する立場からすれば、自分達が発信するものが重要であるとの一点張りの主張をするに留まるため、お互いに疲労することとなってしまう。勿論、活動家達もいくら啓蒙しても効果が出ないため、活動中止に追い込まれることもあるだろう。

3.若者の「社会貢献」離れ、若者の「稼ぐマインド」への接近

 日本人の傾向として、全体最適よりも部分最適にどうしても目が行きがちなことが挙げられる。社会の分断について論じたことと関連しているが、鳥の目を持ちながら、社会全体を創るマインドが乏しい。つまり、蛸壺の中に入ることで快感を得ることが好きなのであるが、このままでは、先に論じたとおり、活動家も啓蒙される側も喪失感に苛まれ、何も変わらない状態が続くことになる。その煽りを受け、実際に、最近まで社会貢献活動に興味を強く抱いていた若者の心境に変化が生じている。

 それは、社会貢献(全体の福祉)よりも、自身の人生防衛の方が重要であるとの心境の変化である。実際に、多方面から、若者がNPO等の社会貢献活動への関心が薄れ、より稼ぐことに価値に関心が向いているとの話を聞く。これは、人生100年時代による老後2000万円の件や家庭の実質賃金及び可処分所得の減少など複合的な要因が重なっている事象であろうが、要因の一つには社会貢献活動の社会的インパクトがあまり大きくなかったことにも起因していないだろうか。日本では、NPOで声高に社会問題の解決に向けて行動するよりも、起業家や何らかの事業を成功させ、裕福な資産を保有した方が、社会問題についての啓蒙力が高まり、自身の人生も荒波に耐えられるようになるとの考えが根付き始めている。人生を社会問題の解決に捧げた結果、上手くいかずに自身の業界の内輪で啓蒙活動を行い、社会的インパクトを度外視して、単なる自己満足に浸っている30代、40代を若者たちが見てきた結果なのであろう。

youtuberやNPOの活動家、煽り起業家を含めた啓蒙家たちがそれぞれ自身が快適と感じる蛸壺の中にいたのでは、結局は影響力の大きな者の情報が重要であるとの錯覚を起こしてしまう。

社会問題の優先順位や他の社会問題との関係性を把握した上で、戦略的な問題解決に向けて、日本人が苦手な「共創」を行ってほしい。

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