大学

奨学金を返す苦労

 この話を聞くと胸が詰まる思いをします。近年では「実際に借りるか否か、よく考えてから決定するように」との警鐘じみた内容が多くなっているようです。

 もちろん、「貸与」型の奨学金の話です。主に大学教育を受ける時期に授業料など高額な諸費用をその時期に用意できない、という場合に、当座の支払いのために借り、卒業後に何年もかけて分割返済していく、という仕組みであることは皆さんご存じの通りです。

 ところが、返せずに自己破産するなど、困窮する奨学生が非常に多くなっているという社会問題。これは借りた本人に限った問題なのでしょうか。副次的影響も考えた方がよさそうです。

 『出世払い』という言葉が当てはまるわけではないですが、「卒業後に安定した職に就き、一定水準以上の収入を得られる」ということを前提にしている、という見方をする人がほとんどでしょうし、だからこそ、「利用申請する際にはよく考えてから」という”釘刺し”や”念押し”的な話が伴うわけですが、それでもなお、後の人生で多かれ少なかれ負荷となる。進学しただけでは、(学歴が付く等)期待値が上がる効果はありますが、返済は担保されていないのです。
  奨学金は『経済的理由で修学が困難な優れた学生に学資の貸与を行う』と記されているものの、結果論的な話になってしまいますが、自然と「そんなにしてまで何で進学したいのか」という風潮になってしまうのが何とも悲しいところです。
 
 卒業後、返済に追われ、結婚年齢の上昇という影響は無いのでしょうか。あるいは、結婚しても、未返済があることで子供を持つことを控える心理を高めることはないのでしょうか。もしそうだとしたら、社会全体に関わる問題です。 ⇒これが〔副次的影響〕の例だと考えます
 
 授業料を例にとってみても、時代が違えばその金額も異なります。私立か国公立かでも勿論違いますし、学部によっても差があります。
 金額水準の分析や追究が主旨ではないので細かい点には触れませんが、『安くはない』。だから奨学金貸与制度が昔も今もあり、多数の「返済できない人」がいる、という話が出てくるのです。
 
 「返せる金額だけ借りる/借入れを最小限にするべき」と言ったり、返済プランをPCでシュミレーションしたりするのは簡単でも、実際の適確な判断を20歳前に若年がするのはやはり困難でしょう。
 経済学に『現在割引価値』という用語がありますが、奨学金の貸与を受けるということは、つまり「未来の自分からお金を借りて就学する」ということですので、「今のその出費が価値のあるものなのかどうか」の見極めを迫られるわけです。
 
 貸与型の奨学金制度に対し、ここで否定しようとする気はありませんが、しばしば取り沙汰されているように、申請するか否かについては十分慎重に検討しなければならない --- 「そうは言っても」感が極めて高い、深刻かつ相当に”まどろっこしい”社会問題であるように思います。
 
 
【以下、余談です】
 二十数年前の話。ある人は、大学進学した際、奨学金の貸与を受けるか否かの決断をする時を迎えましたが、結果として申請をしないことにしました。つまり、四年間、原資を用意して適時納める覚悟とその見通しが必要になります。
 そして、入学金の一部こそ親族に補助してもらいましたが、その後の全ての授業料、教科書代、交通費、もちろん昼食代まで、全てアルバイト代で賄って過ごしました。自宅生であったという点は大いに有利になりましたが、余暇よりもアルバイト、時には学業よりも就労?とも取れるくらいの『勤労学生』ぶりであったわけです。
 四年で卒業。成績は良くはなかったものの、就職もでき、学生の頃から培った特性(?)を活かして過ごしているのですが、ここで特筆すべきはやはり「返済の必要が無かった」というゼロ負荷要素。マイナス(=借金)を背負った社会人スタートというものはやはり厳しい、との実感を持っています。 私のことなのですけれど ^^;

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