コミュ障にしているのは、聞き手のコミュニケーションスキル不足のせいかもしれない
学校やセミナーでのグループディスカッションで、うまく話せないことはないだろうか。
なんとなくこの、たまたま同じテーブルに座っていた人たちと、自分は個性が違う気がする、ノリが違う……
となると、普段から控えめな性格の持ち主は、もっと自己表現が控えめになる。背景にあるのは、「この人たちに、私は誤解されるかもしれない。分かってもらえないかもしれない」という不安。
一方で、普段から前へ前と出るタイプの人が、今まで出会ったことのないタイプの人たちに会った場合。そういうグループに入ってきたら。ある意味、新鮮さ、刺激を感じて、自分のことをしっかり伝わるように話したい、と思うかもしれない。
控えめな性質持つ人のコミュニケーション
普段から控えめな人の場合、相手のコミュニケーション力、傾聴力に影響を受けやすい。控えめなタイプの人は、聞き手に回ることが多いので、人の話を普段から聞いている。聞くことになれてる。相手にどんな反応をしたら話し手が喜ぶかを、よく知っている。
我を忘れて、話に聞き入って「すごいねー!」とか、「私にはできないー!尊敬するよ!」など、出し惜しみせずに相手を立てる。もちろん、相手を立てているという意識はない。
それを聞いて、相手は気を良くして、どんどん話をするかもしれない。
人の話を聞く時には、相手と同じ場面を想像して、相手と同じ気持ちになったかのようにして話を聞いた方が楽しい。ということを割と良く理解している。
自分が話す時にも相手からそういう風にしてもらえると、無意識のレベルで思っている。
目の前に相手が見ている景色が見えた方が楽しく話を聞けるし、相手と同じ感情が湧き上がって来た方が、楽しく話を聞ける、本能で分かっている。
つまり、話をどう聞くのが自分も相手も楽しく会話できるか、というスキル、遺伝子のレベルで知っている。
前のめりで話す性質の人のコミュニケーション
一方で、割と前のめりで話す人は、もしかしたら話を聞く技術を本能的には知らないかもしれない。そうなると、相手の話を聞いている間、どこか無表情で、自分には関係ないなぁ……という雰囲気を垣間見せたりする。この話が終わったら、何話そうかなーと、悪気なくそう思っている。
コミュニケーションスキル不足が招く悲しい結末
ところが、控えめなタイプの話を聞くのが上手い人からすると、この対応は……
「嫌われてる?空気読めてない発言しちゃったかな?」と不安になってしまう。。。
話を楽しく聞いてくれようとする雰囲気がないということは、どんな話も楽しく聞ける人からすると、その楽しく聞く技術を使うことすらしてもらえない、残念な人……に思われているかもしれない……と不安がよぎる。
そして、心が開けなくなる。何を話したら良いのか、どんな口調や話題を選べば相手と楽しく話せるのか……途端に分からなくなり、急性コミュ障を発症してしまう。
似たようなことが続くとどうなる?
慢性コミュ障となり、「あぁ、自分はコミュ障だから」と、人とのコミュニケーションに難易度の高さで苦しむようになり、できるだけコミュニケーションする場面を避けるようになってしまう。
そして、いつの間にか周囲から陰で、「あの人、コミュ障だから面白くない」と囁かれるようになる。
あぁ……書いてて悲しくなってきました。
相手の話を聞くのが上手いからこそ、自分が話す時もしっかり話を聞いてもらいたいと思っていただけなのに、それが仇となった。
周囲の人が、「あの人、話をすっごくよく聞いてくれる。話を聞いてもらっただけで、悩みが解決した!」とでも囁かれれば、コミュ障ではなく、話を聞くのが上手な人となり、その人の持っている特性の中で、良い点に焦点を当ててもらえる。そうなると、当人にもそれが何となく伝わるものだから、コミュ障というよりは、「話を聞くのが上手いらしい。だから、みんな私と話したいんだ」となる。
コミュ障というレッテルではなくて、聞き上手という評判を得る。
結局、周囲が聞き上手であれば、コミュ障を発症しないわけで、、、。聞き上手な人が意外と少ない。と、思う。
話したいところまで辿り着く前に、相手が話題を変えたりする。自分のコミュニケーションのスタイルとズレが起きて、コミュ障を発症してしまうのだ。
そして、周りがコミュ障というレッテルを貼るからますますコミュ障になる。
聞き上手、というレッテルを貼れば、本来の聞き上手の特性を生かせるコミュニケーションも生まれる。
相手と楽しく話す工夫、これからも見つけて行きたいな。