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何のためにデザインするのか?そもそも仕事とは?|非美大卒が0から造形を学ぶ#3

こんにちは!2年目UI/UXディレクターのyunです。

一度は学んでみたかったけど、なかなか手を出せなかった美術やデザイン。
文系大卒社会人が初めて学び、生じた疑問、感想を毎週投稿。なんでもありの備忘録。

「非美大卒が0から造形を学ぶ」シリーズ第3回。今回は学んだことというより、最近考えていることを書いています。それではスタート!


背景

前回の記事の最後で、自分なりの解釈として「デザインは社会、いや人間、自然に求められて造形を行うこと」と記載しました。今回はデザインにおけるクライアントとしてなぜ「社会」だけでなく「人間」と「自然」を追加したかについて書いていこうと思います。

なぜ仕事をするのか?どんな仕事をしたいのか?

仕事をするとは「事に仕える」こと。生きていくために何かしらの価値を生み出して対価を得ることです。例えば、友達が肩がこっていると言ったのでマッサージをした。そのお礼にお菓子をもらった。価値を生み出して対価をもらったわけですから、それだけで立派な仕事だと思います。

会社で働くということは、その会社の利益のために価値を生み出す行為をすることです。もちろん企業はそれぞれビジョンを持っていて、お客様に対して価値を生み出しています。それが経済の成長にも貢献することは言うまでもないでしょう。

しかし、その行為は会社の一時的な利益のためになっても、人間ないしは地球のためにはどうでしょうか?例えばその会社提供したサービスによって、お客様の生活が便利となった一方で健康を害する影響はないでしょうか(SNSが普及して、人々のメンタルヘルスに与えた影響は計り知れないでしょう)。会社に勤めたことで従業員の幸福度はどうでしょうか。地球の環境は壊していないでしょうか。

上京し新卒として都内IT企業に入社しました。田舎から東京に出てきて、今も働きながら色々なことを勉強させてもらっています。しかし、この先一生かけて「どんな事に仕えたいか」「本当の幸せは何か」と考えたところ、会社のためではなく人間・地球のためになることしたいと思うようになりました。

最近の猛暑は人間が温室効果ガスを排出して、温暖化が進行し海水温が上昇したことが原因といわれています。私たちの世代だけでなく後世もが地球で人間が幸せに生きていくためには、企業の一時の利益を考えるよりも行動するべきことがあると思っています。産業革命当初は良かったかもしれませんが、急速な成長に対するひずみが露わになっている気がするのです(人間の欲は計り知れない)。

最近はSDGsを掲げる企業が増えています。企業の利益を上げつつ、持続可能な成長をするということ。でも、そもそも成長をすることって本当に必要でしょうか(経済学的には必要と言われるでしょう)。人々は幸せになるのでしょうか。本当に大事なことは、それだけじゃない気がしているのです。

どんな仕事をして生きていきたい?その問いに対して、私は人間・地球にとって優しい、共に生きていくための活動をしたいと答えます。そして生きていける最低限の衣食住を得て、身近な人と幸せを感じて生きていきたいと思っています。

「人間・地球にとって優しい、共に生きていくための活動」とは何か?

節電する。食生活を見直す。自給自足の生活をする。個人の活動として取り入れていくことは大事な活動です。将来的には半自給自足(現代の便利さとのハイブリット)を目指して、移住することを検討しています。

では他に今の自分・時代だからできること/やりたいことはなんでしょうか。私はデザインの側面で人間・地球に対してできることを探し、仕事にしたいと思っています。

デザインにこだわる理由は2つあります。1つ目は造形に対する個人的な興味。2つ目はイメージの力で、現代の不要な情報を取り除いたり、人間の幸せや地球環境に関する気づきを与えることで人間・地球の健康にポジティブな影響を与えられるのではと思っているためです。

情報が瞬時に伝わる現代で、イメージが人々に与える影響は良くも悪くも大きいです。例えば、スマホを見なかったら、街から広告が消えたら心の健康はどうなるでしょうか。不便になることもあれば、不要/不快な情報が入らなくなりメンタルが健康になることもあるでしょう(私はSNSをやめてから、スマホを見る時間が減って肩こり解消と精神的な健康に繋がりました)。人間が意図して作り出したイメージは我々の生活に大きな影響を与えているのです。

「人間・地球にとって優しい、共に生きていくための活動」においてデザインにできることは何か。すぐにできることではないですが、私がこの先長い時間かけて「事に仕える」のであれば、この活動に携わっていきたいと思っています。

これが、デザインの定義を「社会、いや人間、自然に求められて造形を行うこと」とした理由です。自分にとってクライアントは社会ではなく、人間と自然であってほしいという思いを込めています。

生きていくには一生仕事をするわけですから、このことを自分にとって働く意味(軸)として持ち続けたいと思っています。すぐに答えを見つけるのは難しいでしょう。まずは焦らずに今まで通り働きながらデザインの基礎を勉強して、できることを少しづつ見つけていこうと思います。

まとめ

縄文時代であれば、狩りをすることや食物を育てることが主な仕事だったでしょう。ただその時代は上司、すなわちボスがいなかった時代。誰かが富を独占するのではなく、自然からの恵みを共同体の中で分け合う時代。

その姿勢が今の時代に必要だと思っています。縄文時代と比べて経済は成長して寿命も延びているにもかかわらず、人間の幸福度は下がっているのではないでしょうか。

平和に生きていられるだけで幸せなのになぜ欲深く金、富、名声を求めるのか。なぜ若者でも精神的に病む人が後を絶たないのか。(特にこんなに恵まれた日本で)

まだまだ知るべきことがたくさんあります。そしてこの先長い時間かけて、人間そして地球のためのデザインとは何かを考え続けたいと思っています。

~余談~

幸せを問いかけたムヒカ元ウルグアイ大統領はこう述べています。心に残る言葉です。

「私は、消費主義を敵視しています。現代の超消費主義のおかげで、私たちは最も肝心なことを忘れてしまい、人としての能力を、人類の幸福とはほとんど関係がないことに無駄使いしているのです」

ホセムヒカ 名言集・ 格言 ~最大級~

「苛烈な競争で成り立つ消費主義社会で、『みんなの世界を良くしていこう』というような共存共栄な議論が、果たしてできるのでしょうか?」

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「すごい進歩を遂げた国だとは思うけど、産業社会に振り回されていると思うよ。本当に日本人が幸せなのかは疑問なんだ。西洋の悪いところをマネして、日本の性質を忘れてしまったんだと思う。日本文化の根源をね」

縄文時代は類のない平和な時代


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