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リストカットは「施し」

調子が悪くて、煮詰まって、出口がない。閉塞感をなんとかしたい。開放したい。愛しすぎて胸が苦しい。放出したい。

リストカットやODでなんとかなる?いやいや、違うだろう。ここ数ヶ月そんなことを考えている。リスカやODではなく、それに代わる何かがあるだろう、って。

まだ少女の頃、切っていた。流れる血をペン軸につけて、文字を書いていた。センチメンタル、メランコリック。でも、すぐに飽きた。

いい大人になってからODもした。一度は救急車の世話になった。死ぬつもりはなくて、ただ何にも考えたくなかった。一番最近は、安定剤を(たった)1シート飲んで、ただ眠ったつもりが、息子の世話になっていた。情けなくなって、ODも違うだろう、って。

ある時、青年さんのTikTokライブで「私のリスカの代わりは浪費かも」と呟いていた。気づいたら。青年さんはすぐさま、浪費じゃなくて、施しだよ、と言ってくれた。

言い方が悪いな、のんちゃん。「浪費」と「施し」は全く別のものだよ。のんちゃんのリストカットは施し。誰かが幸せになるねん。

青年さんはいつも素敵に華麗にひっくり返してくれる。ポジティブな言葉に置き換えてくれる。

そういえば、不倫がわかってから、お金の使い方が変わった。今まで決して行かなかった喫茶店に行くようになった。「私なんて」が常にあったから、そういうことが超贅沢品だった。それが今や、ホテルの喫茶室で、コーヒー一杯1500円です、ってなっても、平気のへーだ。きっとね。別に行かないけど。そういえば、スタバのフラペチーノなるものも、先日初めて飲んだ。ワハハ。

お金を使うにあたって、少しルールがある。自分が惨めにならないこと。お金を使うことに罪悪感をもたないこと。価値があるもの、価値をつけたいものに支払うこと。それについては、支払った後に評価が変わったとしても支払い先にぶつけないこと。

後になって「どんなにあなたにお金をかけたと思ってんのよ」などと喚くのは、超絶みっともないし、情けない。惨め。カッコ悪い。(具体例を見せてくれてありがとうね。あべ○きんこさん。感謝してます)

だから、お情けでお金を使うことはないかな。景気付けや、お祝いの意味合いがあったとしても、お情けはない。気持ち悪いもん。

そこで「施し」が引っかかる。外側から見て結果的に「施し」になっている、ということだけれど。そして確かに「浪費」ではない。ちょっと自嘲気味に言ってしまった。

私のリスカはなにかな。平板に「お金を使うこと」としようか。

お金との付き合い方はセルフ認知行動療法みたいだったかも。なんてね。書いていて思った。

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