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エブエブが良かったというより、刺さった人の感想と考察

はじめに

とにかく刺さった。面白いとか泣けるとか最高!というより、人には説明できない何かを受け取った感覚。いつもなら面白い映画として、人に勧めたり同じ感想を共有できるけど、この映画では自分の感じたことを共有できない気がする。たぶん映像と音以上のものを受け取ってしまった。
無理やり言語化して感想を言うと「元気をもらった」んだけど、それを勝手な考察も交えて、できる限り説明できればと思う。

この映画のテーマとは?

この映画にはいろんなテーマ(問題)があって、親子、夫婦、移民問題、LGBT、ポリコレ、税金など、それぞれ共感できるフックがあり、人によって感情移入できるだろうし、むしろありすぎて困惑した人もいるだろう。
他のレビューや感想にもあるように「もしかしたらありえた幸せな自分」への羨望は誰もが経験している(よね?)。この映画最初で最大の共感ポイントはここで、その羨望をマルチバースで表現し、最終的には「それでも自分の運命を受け入れる」みたいな「メッセージ」、古代ギリシャ的な「運命を受け入れろ!」結論になる。
エブリン(主人公)に感情移入して観ると、マルチバースを通して、結局いまいる自分の世界が一番幸せで、私の見方や考え方の問題だったよ。優しさだよってテーマになる。すごくわかる。

でも、自分はそれ以上にジョイ(娘)に感情移入してしまった。同性愛とか親子の部分じゃないよ。ジョブトゥパキのマルチバースに対する虚無感、Notthing Matter (何も重要じゃない)って部分。見た人(エブリン側に感情移入した人)によってはあれを悪として、娘に取り憑いた悪魔に見るかもしれないけど、そうじゃない。あれは誰もが抱えているリアルな悩みで、この映画のもう一つ大事なテーマだ。このテーマをこんなにしっくりくる形で映像化するなんてほんとにすごい。
だけど、これをリアルの問題、悩みとして認識できる人ってたぶん少ない。もしかしたらそういう人たちは監督同様にADHDなのかもしれない(自分含め)。それがこの作品の評価を分けているところな気もする。
もしかしたら、宿題を先延ばしにするもしくはやらないって人には、この作品が刺さるし、きっちりやるタイプの人にはよくわからないかも。

だるさや虚無感から悪になったりするんだよ。

とりあえずまあ、この悩みについてなんとか自分なりに言語化してみる。


ベーグルってなに?

なにもかもあって、なにもない。inf=0
こういう虚無感、ニヒリズムとか書いてあるけど、そんなこといってもよくわからん気がする。パンフにあるインターネット世界に対する若者の虚無感とか言われても… ネット禁止?香川県ですか?
ってなるよね。めっちゃわかる。
ネット使ってゲームして、映画見て、友達と通話して、なんでもできるし、ネットなしの生活はありえない。虚無感なんてない。
でも時々、微かなを違和感を感じる。
たとえば、Netflixで何を見ようか迷う。Spotifyで何を聴こうか悩む。LINEにいる友達の数で競い合う。インスタやTwitterのフォロワーを自慢する。Amazonで買えばよくない?ネットで調べればすぐにわかる。ググれカス
そういうのに感じる違和感。自分はそれが気になってしまう。違和感が日に日に大きくなる。やっぱりうまく言葉に出来ないけど、漠然とした何かに悩まされる。ほんとうに若さゆえの悩み?ウェルテル症候群?

ネットの問題だけではない気がしてくる。

たとえば、ふと自販機で飲み物を買おうとして、10種類ぐらいだったら自分で選べる。じゃあ30種類だったら? たぶんまだ選べる。100種類、1000種類、10000種類の飲み物が並んでる自販機だったら?
選ぶ気なくすわ。どうでもよくなって買わずに帰る。

1億、1兆、無限の種類の飲み物が並んでる自販機

そりゃたくさんあるほうがいいけどさ、無限だよ?そんな自販機見る気すらおきない。視たら脳が焼き切れそうだ。

そもそもその自販機は何種類?
え、コカ・コーラ、サントリー、キリン、伊藤園、ダイドー?それも無限?

「わしは敗残者だ・・・・・ああ」

詩雲 円 劉慈欣短篇集

超越的な宇宙人が人間の漢詩に惚れ込み、今後生まれるであろう全ての漢詩を生成して失望する。

啊啊啊啊啊(あああああ)
啊啊啊啊啊(あああああ)
啊啊啊啊啊(あああああ)
啊啊啊啊唉(ああああぁ)

詩雲 円 劉慈欣短篇集

生成した最初の詩。無限の時空の中にいる詩人が、自身の卑小さに対して発した声なきため息。

La biblioteca de Babel

この虚無感わかりますか?飲み物とか詩だけじゃないよ、成績表とか領収書とかゴマとか、それらありうる全種類を全部混ぜたのがあのベーグルだ。あのベーグルを見るなんて正気じゃない。
無限のユニバースを体験しベーグルを作ったジョイなんて、未来が見えるとか、長生きしすぎて感情を失ったとかの次元じゃないよ。修行して悟りを開くなんてクソ食らえ。

ママにはわかる?

そのベーグルに近いのがインターネットで現代社会の問題というか悩みってことだと思います。(ネットなんて比じゃないだろ。一生ROMってろ。)
AIとかビックデータとか一般意志とか政治、宗教、税金、戦争、あーだこーだ、マジでどうでもよくなってくるよね。

ベーグル信者?

おっと、あやうくベーグルに飲み込まれるところでした。そういう虚無感を昔から感じていて、むしろ親近感すらあります。というかあのベーグルめっちゃかっこいいし、あの世界線なら自分はベーグル信者になって崇拝していると思います。マジで。
これって他人事じゃなく、同じような思考の人はいると思います。
何もかもどうでもいいカッコよさ。
カオス、ニヒル、ニヒリズム、アナキズム、フリーダム、リバタリアニズム、オープンソース、ユートピア、反体制、解放
虚無感や憎悪だけでなく、共感や憧れをそれらに感じます。

ジョーカーとかファイトクラブのタイラー・ダーデンとか
クロロとかヒソカとか夜神月とか

自分はジョブトゥパキが同じようにカッコよく見えました。草薙素子に惚れてるバトーみたいに。

そういう虚無感に落ちた人たちはみんなベーグルみたいなものを作るんですよ。人類補完計画とか進撃の巨人とか無限ツクヨミとかネオ・ヒューマとかハロウィンとか。あげたらキリがないですが、シンギュラリティなんてのもその一種だと思います。ロマンを感じますね。

でも問題にぶち当たります。それらの行き着く先は「無敵の人」ではないですか?




END




この映画のメッセージ

上の問題に自分も相当悩まされて、結局答えなんてない気もします。どうでもいいし。でもなんとなく、無敵の人にならないためには「思いやり」が大事だな思いながら生活していました。

この映画のメッセージというか解決策も優しさ(kindness)です。これには肩透かしを食らった人もいると思います。ありきたりな答えですよね。

でも僕は、その正直な表現に心を打たれました。

こういうありきたりでシンプルな答えって表現が難しいですよね。あたりまえで恥ずかしいし、わざわざ映画で言われても。なのでぼかしたり、回りくどく表現したりするんだと思います。ATフィールドは優しさだよとか。そこにいたのねママ!

でもこの映画は、ほんとうにまっすぐ恥ずかしげもなく優しさが大事だと訴えてくるんですよ。虚無感に陥ったときこそ優しくあれって。

こんなハチャメチャでカオスでおバカな映画で、なにもかもどうでも良くなってるときに、いきなりまっすぐそう言われたら、それが真実に感じますよ
「まあどうでもいいけど、試しに優しくなるかって」

いやマジでそのメッセージがほんとに刺さってしまい、監督のメッセージ、優しさが直に伝わりました。

でも優しさがぶつかることもあるよね?そういうのなんていうんだっけ。リツコさん?

「ヤマアラシのジレンマね」

作中でも母(エブリン)と娘(ジョイ)がこのジレンマに陥ってしまいますが。ぼくの解釈では、お互いを傷つけあったとしても、自分の優しさを信じる。たとえ他に新しい革命的な発見(答え)があるとしても
とりあえず今は優しさで。


まとめ

そんな感じで、すごく刺さりました。ヤマアラシの針で血だらけです。
もちろんテーマだけでなく、俳優、映像、音響、アクションすべてがぼくにとっては最高で、正直同じテーマを別の映画でやられたら、あまり刺さらないかもしれないです。自分はSFが好きで、マルチバースやらメタ表現やらオマージュがあるこの作品は大好物です。

でも、そういう自分の好みを抜きにして、もし、ぼくと同じように虚無感を感じていたり、「自分が無敵の人になるかもしれない」みたいな危機感というか恐怖を感じたことがある人がいたら、ぜひこの映画を見てほしいです。

僕は「Joker」や「タクシードライバー」を見てある程度共感してしまうタイプです。無敵の人予備軍だと思います。でもこの映画からは共感だけでなく、優しさを受け取りました。あれらみたいに共感だけさせて、投げ出したりしていません。優しさの押し付けかもしれませんが、ぼくは投げ出されるよりはマシだと思います。

とか書いてみたけど、ガッツリネタバレありで書いたから、観た人しか読まないじゃん。けど、「僕と同じ無敵の人はエブエブを見ろ!」とかアウトだしなぁ笑

蛇足

ここまで読んでくれたなんて圧倒的感謝!

なのでこの映画の良くない点をあえてあげるとしたら、やっぱり下品すぎる。でもそれ以外は完璧だ。

自分が感じる映画の面白さ監督の凄さって、サンプリングだとこの映画をみて改めて思った。
脚本、カット、構成、現実から切り出す作業。イメージを映像に落とし込む作業。アクター選び、照明、音楽、セリフ、オマージュ。
数多の母集団の中から、検証しベストなものを抽出する。
すべてがサンプリングだ。

そしてこの映画の一番すごいところは、マルチバースからのサンプリング。つまり、無限の宇宙から、映画で表現したい宇宙を抽出してる。というだけなんだけど、無作為に選べばいいというわけではない。でも作為的に選ぶとマルチバースのEverything感を表現できない。これはかなり難しい作業だ。どう選んだんだろ?
デタラメなサンプリングバースをオマージュで我々の現実に繋ぎ止める?「レミーのおいしいレストラン」とかで。
もしオマージュやメタ表現がなかったとしたら、映画内で表現されているそれぞれの世界線を自分は受け入れられない気がする。なんの脈絡もなくコックや歌手になられても置いてけぼりだ。はいはい監督がそういうバースを選んだのねって。
そこに、我々観客世界との繋がり(元ネタやメタ)を入れることで、マルチバースのなんでもある感と没入感をうまく両立している。

そんなこんなで、この作品には全体的なサンプリングセンスを感じた。こんなカオスな作品でなにかまとまりを感じるのは、それのおかげだ。
けどそれは、砂漠で針を探すみたいな、ベーグルからゴマだけ抽出する作業だ。
その作業は虚無感への断固とした抵抗を感じる。普通ならうまくいかないし、実行には移せないというか実行する気も起きない。超めんどくさそう
このバースではそれを実行し、成功した作品が存在するらしい。
できればこれが統計的必然であってほしい。

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